何もかもが消えてしまう前に、君だけは。

幽山あき

「親愛性忘却症」

丘に立つ。

私の横を、風がすり抜けていく。


先程までいた街を見下ろしながら、思う。

(ねぇ、また思い出せないことだらけだよ)


いるはずのない君の声が聞こえる。

「ねぇ、笑って。」


こんな高いところからじゃ、あんなに好きだった君のことも見つけられないや。



私は高校生の時に、「親愛性忘却症」と診断された。

「親愛性忘却症」とは、いわゆる記憶障害の一つ。普通と違うのは、日常生活に何ら影響がないこと、そして、身近な人のことだけが分からなくなるということだった。


まず最初にわからなくなったのは家族。

ある朝、起きてからリビングに向かうと、見知らぬ人がいた。

母、父、知らない人。

「この方は?」


その言葉に両親は顔をこわばらせ、その日のうちに病院に行った。

私はもう、妹のことがわからなくなっていた。


遺伝や感染では発症しない原因不明の病に、私達は成すすべもなく、ただ悪化していくのを見ているしかなかった。

その人のことが認知できないだけでなく、その人との思い出自体が薄れてしまう。積み上げてきた記憶が徐々に失われていく。


今では、両親の顔も覚えていない。

私は、妹を認知できなくなってすぐに実家を離れた。

この病では、新しく覚え直しても、もし認識できてもまたすぐに薄れていってしまう。

クラスメイトも、学校の先生も、バイト先の人も、関わり過ぎさえしなければ覚えていられる。


友達は、いなくなった。

最初に自分の病について相談したとき、皆は何度でも友達になると、そう言ってくれた。でも私は、そんなことをさせたくなかった。苦しめることがわかっていた。何度も自分を忘れられるなんて、並大抵の精神じゃ、耐えられない。


だから、忘れる前に私から距離をおいた。



高校卒業まで、なるべく当たり障りなく生活をしてきた。人と関わりすぎず、独り暮らしをして、メモと顔写真をノートにまとめさせてもらい毎朝確認する。忘れていてもそれを悟られないようにその日その日で生活していく。


誰にも頼れない、いつ誰がわからなくなるかもわからない。そんな真っ暗闇と戦っているうちに私はどんどん疲弊していった。

自力で大学に進学し、教員以外には病気のことも話さず、人との関わりを最小限にしながら学校生活を送る。


学びたいことを学ぶことはできる。

人を忘れる分、脳のキャパシティに余裕ができてか、すんなり頭に入ってくる。

何かを学ぶことが楽しかった。


一切人とかかわらず楽しそうに勉強をする私を周りはおかしい人と遠ざけてくれた。

私からしたらありがたかった。


しかし物好きもいて、しょうもないことで話しかけてくるものや、冷やかし、何かの罰ゲーム。そんな奴らもしょっちゅういた。

迷惑だが、親しくないこいつらの事は記憶に残る。


本当に、嫌な病気だよ。


勉強をしていく中で、図書館はとてもいい場所だった。

本も多くて静かで、遊び呆けてる奴らは絶対に来ない。


そして、「親愛性忘却症」についての文献もおいてある。


学ぶことが楽しくなったらまずやらなければいけないこと。それは自分の病気について知ることだった。しかし、どの本にも原因不明、謎の多い病気、そんな曖昧なことしかないのだ。


(はぁ…これもだめかぁ)


静かな図書館に大きなため息が響いてしまった。どうせ人もいないのだが。



「『親愛性忘却症』、調べてるの?」


ふいに後ろから声がして、驚いて振り返る。


そこにはいかにも真面目そうな細身の男性が立っていた。

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