ポテトはいかがですか?

はくすや

第1話① 店長 江尻克巳




 夏休みに入るとファーストフード店は毎日盛況を呈する。

 江尻克巳えじりかつみが店長を務めるクイーンズサンド明葉あけはビル店も例外でなく、ランチタイムから小中学生や幼児を連れた若い母親たちで溢れかえり、店内はときおり嬌声が聞かれるくらい賑わっていた。その上、今日は土曜日だったので、江尻はオーダーを受けるカウンターを四つとも開いて対応することにした。

 こういう状況に対応するため、夏休み体制を組んでいた。大学生、高校生の短期アルバイトを男女含めて十二名採用し、七月朔日から研修を組んできたのだ。特に接客するカウンター係は、江尻が自ら面接して採用した大学生二人、高校生五人の精鋭で、明葉ビル店の目玉だと自負していた。

 江尻は高校時代からクイーンズサンドの系列店でアルバイトをし、大学卒業後は常勤パートになってさらにスキルアップを果たし、この春、三十歳にしてようやくこの明葉ビル店のマネージャーを任されるようになった。それまで系列店を十箇所以上も渡り歩いた挙句の店長就任である。

 明葉ビル店は、東京西部のベッドタウンの最寄り駅徒歩三分のところにある明葉ビルの一階にあり、二階に書店、ビデオ店、地下にはゲームセンターがあることもあって、朝夕は通勤通学の客が多数利用し、昼は主婦層、子連れ層で賑わう優良店だった。必然的に繁忙期はスタッフを多数配置することになる。しかしファーストフード店は低自給の肉体労働であるため、アルバイトスタッフの定着は難しく、出入りが激しいために常に募集をかける必要があった。それが店長となって以来の江尻の悩みの種の一つだったが、夏休みという高校生アルバイトが最も供給される時期になって、ようやく精鋭を揃えるということが実現したのである。

 江尻が認める精鋭、それはとりもなおさず彼の好みのタイプの人間をさしていた。江尻は自らアルバイトの面接に加わった。よその系列店では店長自ら面接を行うことは少なく、たいていはスウィングマネージャーと呼ばれる常勤スタッフの中でチーフと呼ばれる存在が面接にあたっていたが、この明葉ビル店では、チーフの松原康太まつばらこうた、同じくスウィングマネージャーの宮本遥みやもとはるかと江尻の三人で面接を行い、採用を決めた。

 応募が多かったので選考の困難は嬉しい悲鳴となったが、接客業である以上外見とコミュニケーション能力で決定されることになる。結果的にはきはきと喋ることのできるプリティな娘たちばかりを採用することができた。顔で選んだという揶揄が聞こえてきても構わない。要は少しでも売り上げをあげることにつながれば良いのだ。中には女性である宮本遥の目に疑問符として映る子もいたが、江尻は松原とともに遥を押し切って採用することにした。

 本日はその彼女ら七人がたまたま全員同じ時間帯に揃った。ふだん大きな顔をしている主婦アルバイトがひとりもいないところが、フレッシュな雰囲気を作り上げ爽快感をもたらす。一方でトラブルがないかと常に緊張を強いられることにもなった。

 毎日のように繰り返される彼女たち新規アルバイトのミスを少しでも少なくするよう目を光らせなければならない。以前ドライブスルーのある店舗でチーフをしていた時に、渡し漏れていたポテトを十キロも離れた客の自宅まで届けに行ったこともある。さすがにこの明葉ビル店にはドライブスルーがないので、何十キロも離れたところへ届けるというサービスを行うことはないだろうが、それでも新人の多い時期に、一日十件程度のミスはあっても仕方のないことだった。

 特に混雑してくると、カウンターに四人並ぶだけでは対応できなくなり、うしろでサポートするスタッフが増える。これがベテランならまだしも新人なものだから連携がうまくいかずミスを誘発するのだ。オーダーをとり品物を用意するところまでひとりでマイペースにすれば間違いないのだが、慌てている上にオーダーをとった者と用意する者が異なるわけだからとんでもない間違いすら起こる。江尻は客の誘導を行いながら客側から彼女らを監視し、宮本遥はカウンターの内側から彼女らをサポートしていた。

 入り口からクイーンズサンドの紙袋を手にした客が入ってきた。これは何か手違いがあったなと江尻はさっとその客の前に行き声をかけた。

「何かございましたでしょうか?」

「あの、さっき、ハンバーガーを買ったんですけど、ソースがないんですけど……」

 人と喋るのがあまり得意でなさそうな若い男だった。細い体と落ち着きのない下半身のゆらめきから神経質な性格が窺われた。何年もこの仕事をしていると、印象で客の性質を読んでしまうのだ。

 ナゲットのソースを入れ忘れたのかと思ったら、驚いたことにハンバーガーの中身のソースが欠損していた。ビーフとレタスだけが挟まれているのだ。これはカウンターではなくキッチンのミスだった。

「大変申し訳ありません、すぐに代わりのものをお持ちします」

 江尻はキッチンへ行き、チーフの松原に報告、すぐに代替品とハンバーガーの半額券を用意して客のもとへ取って返し、詫びを入れた。

 客はもごもごと何やら言って、特に怒りの表情も見せずに帰っていった。どうにか事なきを得たが、キッチンの方も戦場のような忙しさだと理解した。自分も経験しているだけに、頭ごなしにスタッフを叱ることはできない。あまり叱ると最近の若者はすぐにやめてしまうこともよく知っていたからだ。

(俺も若者のつもりなんだけどな)

 江尻は苦笑した。ここでは十年違うと大人と子供以上に世代の違いを感じてしまう。女子大生アルバイトが高校生を見て世代の差を嘆く時代なのだ。

 ふとカウンターの一番にいる蒲田美香かまたみかを見た。そこは入り口から最も近いがために客がまず最初に並ぶ場所である。学生アルバイトの最年長の蒲田美香はやはり落ち着いていた。彼女は高校時代からこの店で夏休みや春休みなどに短期アルバイトをしていて、今回も新規採用として面接をしたわけだが、経験者として頼りになる存在だった。何より愛嬌のある可愛い顔立ちにはきはきとした好感を持てる話し方、清潔な身だしなみが魅力的だった。同じ格好をしていても清潔感が異なるのは、その所作にあるのかもしれない。悪い姿勢や落ち着きのない動きはみっともないものだが、彼女は常に背筋をしゃんと伸ばし、マニュアル通りのお辞儀をすることができた。聖麗女学館大学の三年生と聞いているが、どちらかというと童顔で、高校生たちの中に混じると高校生に見える。ときどきもぐりの高校生が彼女にナンパをしかけるところを見たりするが、「ごめんね、私、彼氏もちなの」とにっこり笑って切り抜ける余裕があった。

 カウンター係を務める七人の短期アルバイトクルーの中で彼女が最も信頼できる人間だった。それだけに彼女の後ろにサポート用のスタッフは必要だった。にもかかわらず後ろに控えて足を引っ張りかねない動きをしているのが、泊留美佳とまりるみかという地元の公立高校の一年生だった。もちろんアルバイトは初めてである。留美佳がトラブルメーカーであることは、現時点で間違いはない。目に見えるミス、トラブルの大半が彼女を起点に始まっていた。

 江尻は七人を選考する際に、はじめは極端にルックス重視の考えですすめていた。しかしあまりに可愛い子が揃って応募してきたために、これでは少し露骨過ぎるのではないかと宮本遥に指摘されたのだ。確かにそうだと江尻は松原と顔を見合わせたものだった。そこで将来性も考え、地元の市立押坂おしざか高校一年生の女子を二人採用したのである。そのうちの一人が泊留美佳であり、もう一人が森沢富貴恵もりさわふきえといった。ふたりとも絶世の美女には程遠いが、素直で真面目、そして清潔感が漂うタイプで、中高年のパート主婦たちから可愛いといわれる存在になるはずだった。しかし実際に研修を行い、本番のシフトに入った後、留美佳にミスや勘違いが多いことが判明したのだ。

 その第一が聞き違いである。客が「コーラ」と言っているのに、「コーヒー」だと聞こえたり、「二つ」が「一つ」に聞こえたりすることが相次いだ。押坂高校はそれなりに偏差値の高いことで地元では知られている。進学率も高く、さすがに帝都大への進学者はいないが、明鏡大や叡智大などへの進学者を毎年数名出しているわけで、そこに通っている留美佳の知能に問題があるとは思えない。むしろ彼女の場合はメンタルに問題があるようだった。

 精神的な緊張が留美佳に第二の問題点を呼び出させる。間違いを指摘されてパニックになった彼女はたちまち頭が真っ白になり、より大変なミスを起こすという悪循環にいたるのだ。

 江尻はむしろこちらの方を危惧していた。だから留美佳にはなるべく遥の監視をつけていたのだが、さすがに今日のような混み方では、留美佳ひとりのために遥を張り付かせるわけにもいかない。おそらく遥は、蒲田美香の仕事をよく見て勉強するように留美佳に言ったに違いなかった。それが美香の足を引っ張ることになっている。留美佳が用意した品物を美香はもう一度点検する必要に迫られていた。これなら美香が一人で用意した方が断然速いに決まっているのだ。

 留美佳に落ち着きが出るまでにはまだ当分時間がかかるだろうと江尻は思った。基本的には単純作業である。時間をかけて熟練してくればたいていの人間にはできる仕事なのだ。今までにも留美佳のようなタイプはたくさんいた。そのうちの多くは時間をかけることによって仕事をこなせるようになっていったのだ。しかし問題は夏休みが終わるまでにその域に達することができるかどうかだった。

(来年以降の投資だと考えよう)

 江尻は自分にそう言い聞かせて、熱くなりそうな心を冷やそうと努力した。


 間が悪いことに、そういう時に限って、本社の人間がふいに視察に来るものだ。

 江尻は店の窓の向こうに、こちらへ向かって歩いてくる本社の人間の姿を見つけた。本社地域開拓部門営業部の吉田部長と、たびたびクルー教育のためにやって来るトレーナーの柚木璃瀬ゆずきりせだった。

 抜き打ち視察の形となるが、このタイミングを狙ったのは柚木璃瀬だと江尻は舌を噛んだ。彼女はシフト勤務表をみて今日の状態を知っていたはずだ。それでわざわざ部長を連れてきたのは、自分を陥れるために違いないと江尻は思った。

(そんなに俺が気に入らないのか)

 江尻は思った。

 五月頃、柚木璃瀬がスタッフクルーのトレーニングを行うためにこの店にやって来た。彼女はあちこちの店舗に順に顔を出している本社のスタッフだった。どう見ても二十代半ばの娘で、江尻はおろか松原、宮本遥にとっても年下の人間である。しかし店長をはじめ現場のスタッフは本社の人間に頭が上がらない。可愛いと感じた美貌も、たちまち鬼軍曹の様相を呈して行った。特にクルーは厳しい指導を受けるからなおさらだった。嫌だと感じた者はやめていき、現場には叱咤されても何もいえない従順な人間だけが残る。江尻は店長としてクルーが辞めていかないよう細やかな配慮をする必要があった。

 ある夜、反省会と称して江尻は松原や宮本遥とともに柚木璃瀬を囲んで夕食をとった。璃瀬の意見に耳を傾けつつ味を感じることのできない夕食をとり、一時間ほどで松原と宮本は店に戻った。璃瀬がまだ話したりない様子だと感じた江尻は、近くの居酒屋でその続きを承ることにした。そこでもてなす事に気を遣いすぎた江尻は少々璃瀬に飲ませすぎた。彼女は少し足元がふらつくようになった。鬼軍曹が、か弱い美少女の足取りになっているように江尻の目に映った。このまま一人で帰すのも忍びない。タクシーを呼ぼうか。しかし彼女の自宅がどこなのかわからない。あまり遠くだとタクシーは無理だろう。などと考えているうちに、ふとラブホテルのネオンが目に入った。

「少し休んで行かれますか?」と何気に彼女の肩に手をかけた瞬間、彼女は豹変した。

「私の体に触らないでください」と、璃瀬は江尻を睨みつけ、その背後のラブホテルを見遣ってから、「私を誘ったことは本社には言いませんが、今度同じことをしたら間違いなくあなたを告発します」

 江尻は呆気にとられて動けなかった。

 彼女が立ち去ってからようやく我に返り、なんと自意識過剰な女なのだろうと思うことで自分が受けた衝撃を和らげようとしたのだった。

 その日以来、璃瀬の自分を見る目が明らかに変わったと江尻は痛感している。何事もなかったように淡々と業務をこなしているが、江尻は彼女から敵意を浴び続けた。

 その仕打ちの一環として、今日の抜き打ち視察が計画されたのだ。

 江尻はさっと宮本遥を呼び寄せ、吉田部長の姿を見せ、現場にスクランブルを発令した。


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