あの夏の日に、色鮮やかな世界で

不破伊織

プロローグ

 町を一望できる丘の上。


 暗く静かな夜空に空気を切り裂くかのような音と共に一つ、また一つと花火が色鮮やかに咲き誇る。


「…また、一緒にここで花火を見ようね」


 僕の隣でそう言った声は響き渡る花火の音の中、やけに凛として聞こえた。





「んぅ……」


 夏のまとわりつくような暑さと蝉の声で目を覚ます。


 夢を見ていた。 中学生くらいの俺と同じくらいの歳の女の子が丘の上で花火を見る夢。


 だが、その子と何を話したかなんで花火を見ていたのか内容はあまり鮮明には思い出せない。  ただ、一つはっきりと覚えている。


 あの夢には色があったこと。 それは現実ではありえなくて、だからこそ強く望んでしまう、淡い希望。 しかし、そんな希望はひとたび目を開けてしまえば打ち砕かれ灰色の世界に引き戻される。


 俺は物心ついた時には色を認知することができなかった。 医者によれば『全色盲』という色覚異常の一種らしい。


 この病気のせいで何度食中毒になりかけたか分からないし、事故に遭いかけた回数なんて数えることもできない。


 だが、そんなことは慣れてしまえば大した問題ではない。 食中毒なんて外食をせず家で出されたものだけを食べていればそうそう起こらないし、最近の信号機は青になれば音が鳴るから色が分からなくても間違えることはない。


 ただ、この色のない灰色の世界は酷く退屈だ。


 花や景色を見て美しいと思うこともなければ、豪華な食事を目の前にしても食欲を掻き立てられることもない。 ましてや花火なんて見たところで今更何かを感じる事なんてありえないだろう。


 何かに喜びを感じることもなければ希望抱くこともない。 だからこそ何かに期待することをやめ、他者からの同情や憐みを無視し全てを諦めてきた。


 そしてふとした時に思うのだ。 そんな人生を生きていて何の意味がある? 何の価値がある?


 価値なんてあるはずがない。 誰かに言われるまでもなくそんなことは俺が一番よく知っている。


 それでも投げ出すことをしなかったのは心のどこかでまだ救われたいと願っていたせいか。


 それともこれ以上自分に絶望し、後悔だらけの人生を歩みたくないと感じたからか。


 はたまたその両方なのか。 とにかくなにか一つでも欠けていたら同じ結末には至っていないことだろう。


 今となってはあの初夏の君との出会いも諦めきれなかったゆえの結果だと思える。


 あの夏の日、図書館のテラスで太陽の日差しを浴びながら暑さを感じさせることもなく本を読む彼女を視界にとらえた瞬間、俺は初めて色を見た。


 それは比喩でも何でもない。 紛れもなく景色が色づいて見えたのだ。


 それは一瞬の出来事で色はすぐに戻ってしまったけれど、真っ白の制服に身を包み夏の穏やかな風に黒く長い髪をなびかせる彼女は今まで知らなかった感情を呼び起こした。


 そして俺は、初めて見た名前も知らない異性に対して


「……好きです」


 と、そう呟いていた。






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