4冊目〜書庫の規則〜
「おはようございます、呪読師どの。本日もよろしくお願いします」
フレドリックは書庫に入ってすぐ、少女に向けて敬礼をし、向けられた御令嬢の頬がポッと薔薇色に染め上がると定評のある、鮮やかな笑顔で礼の形をとった。
小脇に抱えられた書類の束が動きに合わせてカサリと音を立てる。
昨晩、そこそこの量のお酒を飲んだはずだが、彼には全く支障がなかったようだ。
ちなみに、そんなフレドリックとは対照的に一緒にほぼ同じ量を飲んでいたヨハネスは、今朝青い顔でフラフラとしていたらしい……。
フレドリックの挨拶に入り口のカウンターに座っていた呪読師の少女は、
「わざわざ敬礼なんてしなくていいです」
そうばっさり一切変わらない様子でそう言った。
「そっ…そうですか……」
「そんなことより、今日はこの部屋での規則を説明しておきます」
「あれ?それは昨日説明されましたよ?」
「昨日お伝えしたものは呪読師長として、です。これからお伝えするものは『私』からのものです」
「ああ、なるほど」
「規則と言ってもたった一つです。」
「あの部屋には絶対に入らないでください」
そう言って彼女のほっそりとした指が指し示したのは、初めてこの書庫に来た日に彼女が紅茶を入れてきた部屋だった。
「理由をお聞きしても?」
「……物置きです。あの部屋の奥に、ここにあるより古い本や貴重な本などもあるので。」
「なるほど、わかりました。覚えておきます」
「では、私は奥で作業をしているので、あとはご自由に。何があればベルを使って呼んでください」
「了解しました」
フレドリックの返事を聞いて、さっと彼女は本棚の森の奥深くに引っ込んでしまった。
「……相変わらず、賢者様はお帰りが早いな」
やれやれとカウンターの中、護衛役用に用意された机に紙束を置くと、人目がないのをいいことに音を立てて椅子に腰掛けた。
護衛といってもその対象が引きこもりである。
必然的にフレドリックは任されていた書類の整理に勤しんでいた。
静かな部屋の中には、ペン先が紙の上をはしる音がよく聞こえていた。
「っと……こんなもんか」
途中、昼休憩を入れた以外は無心でペンを走らせていたために、ようやく書き終えた書類から顔を上げると、もう日が傾き始めていた。
さて、自分はそろそろ終業すると、一応の護衛対象に伝えるためにフレドリックが机の隅に置かれている例のベルに手を掛けようとした、その時。
「お疲れ様です」
少し離れた所から、声がした。
「…い、いつの間に」
ちょうど座っている位置からはカウンターが邪魔をして気がつかなかったが、少し顔をずらした先。
カウンターの向かいの壁際、応接用のソファーに声の主、呪読師の少女が深緑の表紙の本を片手に座っていた。
彼女は本からこちらの方に顔を上げ、
「終業を伝えに来たのですが、集中していらしたようなので」
そう平淡な声で言った。
「あ、ああ。そうでしたか」
―――いや、言えよ!
心の中でそう叫びながらも、はははと愛想笑いをする。
若干、自分でも乾いた笑いになっているのがよく分かった。
彼女は何も言わず、再び本に視線を落とした。
その反応が逆に気まずい。
何か話題をと視線を巡らせて、はたと気づく。
「あ、もしかしてその本、呪読の仕事の最中でしたか? すいません」
「いえ、これは仕事ではないので」
「え?」
「ただ読みたいから読んでいるだけですが、何か?」
「あ、いえ。なんでもないです」
続かない会話に疲れを感じながら、机の上を片付けて書類を来た時と同じように束ねて抱える。
「じゃあ今日はこれで失礼します。呪読師殿は…その本を読み終えてから帰られるのですか?」
尋ねた瞬間、彼女がピクリと反応した。
しかし、それはほんの一瞬で、すぐに淡々とした調子で「…まあ、そんな感じです」と返された。
特に変わった様子はない。
だからフレドリックはそのまま、「では、お疲れ様でした」と書庫を出て行った。
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