女神ニコールの祝福があらんことを

衛かもめ

第1話

女神ニコールの祝福があらんことを


 人間の寿命じゅみょうには限界がある。そのため、森羅万象しんらばんしょうの神秘を知り尽くすことは不可能だ。

 わたしの底なしの求知心を満たすためには、永遠のいのちを手に入れるしかない。

 千巻せんかん博覧はくらん万里ばんり遍歴へんれき。これらをて、私はついに賢者けんじゃトートの秘密を知った。

 彼のみちびきに従えて――

 十字路じゅうじろ新月しんげつの夜。

 三句さんくの呪文、一杯の魔法薬まほうやく

 私は微笑み、私は歌い、私は踊り、ようやく溢れだしそうな喜びを抑え込み、十字路の中央に立った。鼓動は早まり、顔は火照り、まもなく換骨奪胎の時が来る。

 私は凡人ぼんじんの肉体を捨て、二度と年を取らず、刀剣とうけんを恐れなくなった。私は永遠に耳目じもく聡明そうめいで、永遠に思惟しい敏捷びんしょうで、魂が決して消え散ることのない存在となった。

 ただ思わなかったことはその代価――一体が石像せきぞうになることだ。



 私ながらなかなかいい場所を選んだんだ。

 最初には、虹の真下で一羽の鳩が私の肩に止まっていた。それを見た流れ者たちは、神のおぼしだと信じ込んで、私を囲んで住み着いた。

 流れ者だった人々は、勤勉きんべんに周りの土地をたがやし、思ったより早く自給自足じきゅうじそくの小さい村を作りあげた。

 村の人口じんこうが増え、村人の資産しさんが積めば、小さい村が大きい村になり、やがて町になった。

 私の立つ十字路はいま、町の中心広場だ。

 町に住む人々は、祖先がここで定住ていじゅし始まった伝説を口承こうしょうし続け、その伝説中で、私は新しい名を、女神ニコールと名付けられた。

 彼らは、私を丁重ていちょう磐石ばんじゃく台座だいざに持ち上げた。

 町の繁栄はんえは、全部女神ニコール様のご祝福のおかげだ。

 町の住人が私の足元で五風十雨ごふうじゅうう五穀豊穣ごこくほうじょうを祈り、健康長寿けんこうちょうじゅう一攫千金いっかくせんきんを願う。勿論、思い人と結ばれるには私の力も必要である。

 「世界があんなに広かったんだね」

 十字路、新月の夜。

 少女が何の前触まえぶれもなく私の足元で独り言を始める。

 「彼が氷結ひょうけつの大地や灼熱しゃくねつ流砂りゅうさ、果ての無い海原うなばらを見た。その誠実せいじつな目で私は分る。彼がウソなんかつかないことを。彼が語る景色はきっとあるんです。行商人ぎょうしょうにんって本当にすごい」

 私がよく知っている少女はこの町で生まれ育った。あの「ウソをつかない目」を私も見たことがある。今日の朝、真正面から見た。

 氷結の大地も灼熱の流砂も、果ての無い海原も確かに実在するものだ。

 けれど、あの行商人の青年はいったいウソをつくかつかないのか、私には分からない。

 行商人の青年は、私に近いどころで屋台を立ち上げた。そこには緻密ちみつにしき斬鉄ざんてつ利剣りけん、輝く宝石までが並べられている。珍奇ちんきな商品が通行人の足を止めさせる。

 立派に見える行商人の青年は、意気揚々いきようようで、立て板に水のように商品を紹介する。彼の魔法の言葉をかけばどんなに平凡な品も千金せんきんの宝物になれる。もっとかけば、千金がはかり知ることのない金額にもなりそう。

 さて、少女のお目にかかった、もっとも貴重なものは何だろう。

 「女神さま、あれは本当に妖精の女王がいただく宝冠ほうかんでしょうか」

 妖精の女王がいただく宝冠を、青年は一度だけ見せたことがある。あまりにも惜しみそうに早く納め戻されたから、私もその真偽しんぎを判断することができなかった。

 「彼は言った。あれは最も貴重な宝物なので、どこで売れたらどこで旅を終わらせると。」

 真偽には関係なく、宝冠を人に売れば、彼は安定するための金を手に入れられる。彼の冒険も、そこで円満えんまんに終止符を打つ。

 「女神ニコールの祝福があらんことを。彼の旅がここで終わるように」



 「彼は今日ね、緻密な錦を売ったんだ」

 この日、少女が私の足元で報告した。

 そうよ。売ったよ。私も見た。私の目の前で売った。

 「彼は今日ね、斬鉄の利剣を売ったんだ」

 次の日、少女も私の足元で報告した。

 そうよ。売ったよ。私も見た。私の目の前で売った。

 「彼は今日ね、輝く宝石を売ったんだ」

 三日目、少女はまた私の足元で報告した。

 彼女には才能がある。私が無関心だったできことをよりつまらなく話してくれるのが上手いのだ。

 最初に財布のひもを解いたのは町の金持ちだった。そのつぎは領主家りょうしゅけつかえる騎士であり、そして隣町となりまち豪商ごうしょうもうわさを聞いて嗅ぎついた。

 私は少女に付き合わされて、宝物の持ち主が変わることを見ている。

 残りは、妖精の女王がいただく宝冠だけ。

 少女はまた夜中に私の足元に訪れた。

 「毎日のように彼を、いや、彼の屋台を見に行っただけなのに、彼は今日急に、宝冠をつけてみたらどうって言い出した」

 少女の心臓しんぞうはいまでも胸の中で落ち着いていないだろう。彼女の顔は月光げっこうに照らされて赤く見える。

 「私がまるで妖精の女王そのもののようだ、なんて言ってくれた。私も手鏡に映った自分を見て、いつもより綺麗だとは思ったけど、妖精の女王なんて」

 少女は恥ずかし気に笑った。

 けれど笑顔は一瞬で消えた。

 「宝冠を彼に返すしかない」



 十字路、満月まんげつの夜。

 「隣町の豪商が今日も来た。見たことのない大量たいりょう金貨きんかが財布から出されたが、宝冠を持っている彼は首を横に振るだけ」

 今日の昼頃ひるごろは、確かににぎやかだった。

 広場には豪商の馬車や随従ずいじゅう以外、見物けんぶつするものもいっぱい集まった。

 「豪商はふくらんだ財布をもう一つ彼の前に出したけど、彼はまだ首を横に振っていた」

 見物人たちは騒ぎ出し、皆はこの宝物がどれくらいの値段で売れるのかを知りたい。

 「もう一つ、また一つの財布が出されて、豪商の顔もだんだんしぶくなっていき、だけど彼は首を横に振るいがい何もしない。結局、豪商はしびれを切らし、いったいいくらで売ってくれるんだって彼に聞いた」

 当時騒いでいた見物人たちの前列ぜんれつに割り込んだ少女が、私に青年の回答を教えた。

 「宝冠と同様に貴重な宝物を手に入れなければ、僕は宝冠を手放さない」

 宝物が欲しければ、同様に高価こうかなものをもって交換こうかんするまでだ。

 おそらく、私もその日を見ることができないのだろう。

 少女は私の足元でひざまずいた。

 「女神ニコールの祝福があらんことを。もし彼はまた旅立つなら、いつまでも元気でいられるように」



 末尾まつびの見えないほど長い隊列たいれつが私の前を通り過ぎる。

 先頭せんとうの子供たちは手籠から花びらをちゅうらす。

 ついに、花びらの道の上に、見慣れた顔が現れた。

 いつも夜中に私に話しかけるあの少女は、妖精の女王の宝冠をいただき、真っ白なウェディングドレスを身にまとい、隣にいる行商人の青年と腕をつないでいる。

 幸せそうな二人が私の前で立ち留まり、新婦しんぷは急に新郎しんろうを放ったらかしにして、私に向かって走り出した。私の立つ台座に花束を置き、顔を上げる彼女は笑った。

 あの行商人の青年は誠実だ。少女は妖精の女王のように綺麗に見える。

 隊列に戻り、少女は青年とふたたび腕を組んだ。二人は私の見えないところまで歩んでいく。

 二人が末永く幸せにと、私は願う。

 どうやら私は、すっかり女神さまの役になれているようだ。

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