失恋ループ

星留悠紀

失恋ループ

失恋フラループ


 教室が暖かな茜色に染まる。

 校庭からは運動部の声が、秋風に乗って小さく聞こえた。

 カキンとバットがボールを打ち返す音が小気味よく鳴る。見ると、野球部の友人が思い切りボールを打ち上げていた。

 約束の時間まであと五分。

 コツンコツンと規則的な足音が近付いてきるのが分かって、僕は喉元の唾を飲み込んだ。

 だけれど、飲み込む唾はもう無くて、口の中が酷く乾いていた。

 ガラガラと音を立てながら、教室のドアが開く。

「何の用?」

 そう聞きながら、瀬井栞は教室から校庭の見える窓側に歩いてきた。

 揺れる長い黒髪が、斜陽を透いてキラキラと輝いている。

「言いたいことがあってね」

 なるべく心を落ち着けて、緊張が言葉に乗らないように答えた。

「そう」

 鈴が鳴るような声で、短い返答。瀬井は口数が少ない。

 僕は経験からそれが、彼女の癖であることを知っている。

「瀬井、あのさ。君のことが──」

 好きなんだ、と告げようとした。

 けれど、言葉は続かない。本当にこの言葉で良いのだろうかと思ってしまう。

 こんな状況で、未だに迷いを捨てきれていないことが分かって、自分に呆れてしまう。

 君のことが、と再び口にし、一言で済むならいいじゃないかと覚悟をした。

「好き、だ。付き合ってほしい……」

 最後の方の声は何だか消え入りそうになってしまっていて、すごく情けなかった。

「そう」

 瀬井はしばしの沈黙の後に一言答えた。

 その後、再び口を開いた。

「ごめんなさい」

 その言葉を飲み込むのに、時間がかかる。

 やっぱりな、と落胆する気持ち。どうして、と未練がましい気持ち。それらが頭の中でごちゃごちゃと入り交じっていた。

 夕陽が落ちて、ちらちらと頭を除かせているだけになっている。電気をつけていない教室は少し暗かった。

「今日はありがとう」

 必死に言葉を捻り出す。何がありがとうなのか、自分でもよく分かっていなかった。

「私、嘘が分かるの」

 突然、瀬井が呟いた。一人言のような、そんな呟き。暗さも相まって、表情は読めない。

「それって───」

 どういう、と聞こうとしたとき、僕の視界は暗転した。



「───どういう」

 そう言った僕の前には、誰もいない教室が広がっていた。端的に言うならば、瀬井が消えた。

 もう一つ加えて、世界が未だ明るかった。斜陽が教室を照らしている。

 一体何が起きたのか、分からない。

 辺りを見回して、ふと時計を見て驚愕した。

 約束の五分前。

 訳が分からない。白昼夢でも見てたのだろうか。失恋のショックで目が覚めた?

「そんな馬鹿な……」

 一人言を呟きながら、頬を引っ張ってみるけれど、その痛みは現実そのものだった。

 カキンと校庭から音がしたので見ると、野球部の友人がボールをバットで打ち上げていた。

 さっきと同じ軌道だ。

 ふと、足音がこちらに近付いてくることに気付いた。

 規則的で、妙な既視感がある。

 まさかと思い、僕は大急ぎで教室のドアに向かい、勢いよく開ける。

「びっくりした……」

 そこには、驚いた瀬井がいた。

 彼女にしては珍しく。目を少しだけ見開いている。その目には困惑の色が浮かんでいた。

「びっくりされた……」

 間抜けにも、そんなことを呟いた。

 瀬井はその言葉を聞いて、雰囲気を和らげた。表情からは、なにそれと笑っているのが分かった。

「ああ……悪い」

 その表情に、現実にようやく引き戻された気がする。

「どうしたの?」

 瀬井が心配をしているのが伝わってくる。

「あ、いや、大したことじゃない」

 それを見て、僕は誤魔化しの言葉を使う。

 今の状況は分からないことだらけだった。

 だけれど、例え白昼夢の話であっても、さっきの最後の言葉を無視できなかった。

「あのさ」

 そう一言切り込む。

「瀬井って嘘が分かるってほんと?」

 瀬井の表情は。あまり大きく変わらなかった。

 だけれど、そこには確かな驚きが浮かんでいる。嘘がバレた子供のような、それを誤魔化すようなそんな表情だ。

 やがて、見せたその表情も元に戻る。

「昔からそうだったの」

 そう、瀬井が語り始めた。

「人の誤魔化しとか、嘘が分かるの」

 それは、なんというか。

「超能力?」

 間抜けな声。さっきの告白とはまた別の種類の。

「ううん」

 瀬井が首を横に振る。

「超能力とかじゃなくて、経験則とか勘が鋭い類いだと思う。なんとなく分かるだけなんだけど、私はそれを無視できないの」

 面倒くさいと私も思うよ。そう最後に、付け加えた。

 日が落ちる。斜陽が消える。

 僕は、嘘をついていたのだろうか。あの告白の気持ちは嘘ではないと思う。

「ねぇ」

 僕はそう短く一言投げ掛けて、言葉を続ける。

「僕は、君のことが好きだよ」

 今度はさほど緊張してない気がした。

「この言葉は嘘?」

 そう彼女に問い掛けた。

「その言葉は……嘘じゃないかもしれないけど。本当でもないよね」

 そう答えた瀬井は、少しだけ寂しそうな表情をしていて、僕の視界はその表情を映しながら、ノイズが混じるように暗転した。



 暗転のうちに夢を見た。

 それは走馬灯みたいな夢で。短い過去だった。

「結局さ。お前は瀬井のことをどう思ってるんだよ」

 そう友人に聞かれたのはいつのことだろうか。野球部の彼の部活終わりに、ラーメンでも食べながら話していた。

 この友人には、何度も瀬井との関係を勘繰られている。

「大切とか、一緒に居たいとか、そんな気持ちかな」

 その言葉は率直なものだった。

「いや、そうじゃなくてさ」

 違うんだよな、と何やら苛立ち気味に繰り返し、頭を掻いていた。

「そういうのを『好き』って言うんじゃねーの?そんなんじゃ、分かりにくくて迷惑がられるぞ

 『好きです。付き合ってください。』が王道だ。王道に敵うもの無し」

 モテる友人のことだから、その時は、そんなものかと納得していた。


 再びのループだとすぐに分かった。 

 暗転と回想から抜け出すとそこは、約束の五分前。

 相変わらずの運動部の声、そして、足音。

 瀬井の言っていた嘘が、分かった気がする。

 カキンとモテる友人がバットを振った音が聞こえた。

 このループを、想いを伝える五分前から、想いが伝わる五分前に。そんなふうにしようと思う。

 ドアを開けて瀬井が教室に入ってきた。

「何か用?」

 瀬井が不思議そうに首を傾げて、僕はそれをとても可愛らしいと思った。

「伝えたいことがあるんだ」

 はっきりと言う。

 僕は、付き合うっていう気持ちが希薄なんだと思う。

 きっと、気持ちをまとめてしまえば、それに似た気持ちにもなるんだろう。

「分かりづらいのかもしれないけど、聞いてほしい」

 僕は瀬井の目を見てそう伝えた。

 瀬井栞は、不思議な女の子である。感性が独特だ。

「僕は瀬井のズレた感じの会話がとても楽しい」

 瀬井栞は、文学少女である。一日一冊本を読むし、何よりもその雰囲気がそれらしい。

「お互い本を、おすすめし合う時間がとても尊く思える」

 瀬井栞は、優しい。無口だから、他人に興味が無いようにも見えるけれど、人の感情の機微には敏い。きっとあの嘘が分かる話もそうなんだ。

「きちんと人を見れて、尊重できて」

 瀬井栞は、賢い。羨ましいくらいに頭の回転も速いし、毎度のように試験では成績上位者だ。

「宿題が分からなかったら丁寧に教えてくれて」

 瀬井栞は、芯がある。生き方のスタンスを決めていて、言葉を丁寧に扱う。

「こうありたい自分を持っていて」

 瀬井栞は、無口だ。僕は、その詩的な沈黙が好きだった。

「ただ、隣に居るだけで、何処か落ち着いて」

 憧れで、羨ましくて、尊敬できて、好ましくて。

「大切なんだ」

 そして。 

「一緒に居たいんだ」

 瀬井はこちらの目をはっきりと見ていた。ちゃんと話を聞いてくれている。

「だからさ」

 想いが正しく伝わるなんて、そう簡単に起きることじゃない。

 だけれど、時間はかかるのだろうけれど、そこで妥協するべきではきっと無い。

 借り物ではない言葉を、端的ではない言葉を使って。

 誠実な言葉で、自分の言葉で、詳細な言葉で、想いを伝える。

 一番大切で、一番難しい。

 だから、僕の想いを叶えるために、まず最初だ。

「『栞』、一緒に帰らない?」

 まずはここから言葉にして、一緒に居ようと思う。

 瀬井の表情がほんの少しだけ綻んだ。

「うん、いいよ。帰ろう」

 そう言いながら彼女が手を取る。

 帰る頃には斜陽はすっかり星空に変わり、僕らは気紛れに横切る流れ星を見た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

失恋ループ 星留悠紀 @fossil-snow

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ