一宿一飯の恩義

健さん

第1話

東郷栄一郎は、女性秘書の岩原とも子と、東京から、ここ長野県に、仕事の打ち合わせのため、運転手付きの黒のトヨタセンチュリーで、出張に来ていた。2日間の予定で今日一日分は、すでに、先方の取引先と、打ち合わせを終えて予約しているホテルへと、向かう途中であった。東郷は、運転手の松浦正彦に向かって言った。「松浦君、悪いけど、ホテルまで我慢できないから、公衆便所があったら停めてくれ。」少し走ったところに公園があった。公衆便所も見てとれた。「社長、ここでいいですか?」と、松浦は言った。「ここでいいや。ちょっと待っててくれ。」車を、ちょうどいいところで止めて東郷は車から出た。便所に入るところを、見計らってセンチュリーは、走り出した。「松浦君、やったわね。」秘書の岩原とも子が、ホッとした顔で言った。「どうやって、言い訳をして、社長を、おろそうかと、色々考えていたのだが、思いつかなかったところ、自分で言いだすとは、思ってもみなかったよ。」と、松浦が、得意げに言った。そうなのだ。この2人は、すでにできており、前々から計画していたのだ。後部座席には、会社の金300万がアタッシュケースに入っており、社長自らのバックがあった。中には、携帯電話、免許証、ポケットマネーの50万が、入っていた。東郷は、用を終えて車がない事を知り、愕然とした。「あいつら、、、。」裸のまま放り出されたのと、同じだ。(これからどうするか?警察に通報すべきか?いや、待てよ、こんなことがニュースになったら、わが社のイメージダウンになる。)東郷は、とりあえず、あてのない町の中をしばらく歩き始めた。時計を見るともう6時になろうとしていた。(金もないし、今夜は野宿か?)などと、歩いていると、2階建ての全部で、6部屋あるアパートの前で立ち止まった。すると、ちょうど、バイクに乗って帰ってきた。101号室に住む熊垣四郎39歳だ。東郷は、その男に向かって言った。「唐突で申し訳ないが、携帯電話持っているなら、ちょっと、貸してもらえないでしょうか?実を言うと、泥棒にバック盗まれてしまって、困っているのですが。」申し訳なさそうに言うと、その男がすかさず言った。「どうして、見ず知らずの、どこの馬の骨かわからない人に、電話を貸さなくてはいけないのか?泥棒にあった?そんな事俺には関係ない。」「それは、そうだよね。あんたの言う通りだ。お礼はあとで、何とかする。今夜一晩部屋に泊めてもらえないだろうか?」と、東郷が言うと、「あんた、頭おかしいのではないか?心臓に毛でも生えているのではないのか?見ず知らずの人によく泊めてくれなんて、言えるものだ。野宿でもすればいいじゃないか。もう俺にかまわないでくれ!」と、その男は、部屋の中に入っていった。東郷がしばらくたたずんでいると、買い物袋ぶらさげた一人の男が、帰ってきた。その男は102号室に住む岡本秀男40歳だ。そして、岡本が、声をかけた。「どうかしたのですか?」「あっ、どうも今晩は。実は、泥棒にあって、金品すべて、盗まれてしまって、途方にくれていたのです。」申し訳なさそうに言った。「家はどこなのですか?」「東京です。」「東京ですか??」「仕事できたのです。」「警察には、通報したのですか?」「それが、携帯電話も持っていかれて、まだ通報はしてないのですが、、。それよりも、お礼はあとで何とでもします。今夜一晩泊めていただけないでしょうか?あつかましいこと十分承知の上、お願いしたいのですが、、」「それじゃあお困りでしょう。せまい部屋ですが、どうぞ。どうぞ。充分なおもてなしできませんが。」「とんでもないです。泊めていただくだけで、もう充分です。」岡本は、部屋に招き入れた。部屋は2DKである。「布団も、お客様用があり、パジャマもサイズ合うかわかりませんが、新品のが、ありますから。汚い部屋ですが、おくつろぎください。」岡本は照れくさそうに言った。「いや~地獄に仏とは、このことだ。本当に申し訳ない。」東郷は、こんな世知辛い世の中で、こんな親切な人が、いるのかと、涙がでそうになった。さっそく風呂にいれさせてもらい、食事も出来合いのものばかりだが、東郷にはうれしかった。岡本はコップにビールを注ぎながら聞いた。「お名前聞くのわすれました。お名前は?」「これは、失礼しました。東京で、会社社長をやってる東郷と言います。」「社長さんですか?」「えっ、まあ。」やがて2人は、酒を酌み交わしながら話が、弾んだ。「いやあ~恥ずかしながら現在失業中なんですよ。今日もハローワークに行ってきたのですが、40だと、仕事、なかなか、ないですよ。失業でも、会社が倒産したのです。このアパートも、実は前の会社の寮だったんですが、会社の恩情でそのまま住まわせてもらっているのです。他の4人は、出ていき、隣の101号室の2人だけ住んでます。だいち、会社都合でしょう?ここ追い出されたら、路頭に迷ってしまって、そのままホームレスですよ。」「実家は?」東郷が聞いた。「東京です。」「東京?」「そうです。目黒です。兄夫婦と、母親がいます。父親は、すでに他界してます。でも、今更帰れません。」すると東郷は、「って言う事は、さっきの人も同じ同僚の方ですか?」「さっきの人とは?」「101号室の方で、一泊させてほしいと言ったら、罵倒されてしまいました。」バツ悪そうに言った。「あー彼ですか?熊垣君って言います。そうです。”同僚”でした。彼も俺と同じように何日か前まで、ハローワークに行って探していて仕事がなかなか見つからなかったのですが、2、3日前に駅前の店員の仕事と言ってもアルバイトですけど、見つかり、やってるようですよ。」岡本は言った。「でも彼は、あなたと、大違いで、感じの悪い人ですね。」東郷が言うと、「そうですね、彼は、がさつな性格で、前の会社でも、同僚とよくもめていて、浮いてましたね。ああいう性格ですから、気にしないでください。」「対照的に本当にあなたは、人間ができてるというか、いい人だなあ。」岡本は、照れながら東郷のカラになったコップにビールを注いだ。「東郷さん、電話お貸ししますので、今回のこと、警察に通報したほうがいいのでは、ないでしょうか?」岡本は、携帯電話を、東郷の前に差し出した。すると、東郷は、申し訳なさそうに言った。「実は今回の事件犯人は、”身内”なんですよ。うちの運転手と、女性秘書なのです。あまり、世間に大ごとになるような事は避けたいのですよ。まあ、身元はわかってるので、警察は通さず、こちらで、やろうと思う。まあ、最終的に警察に頼むことになると思うがね。心配してくれて、ありがとう。」「あっ、そうですか?身内での?わかりました。それで、明日は、どうなされますか?」岡本が心配そうに聞いた。東郷は、左の頬を撫でながら言った。「明日朝、会社の者に迎えに来させるので、ここの住所教えてもらえますか?」岡本は、レポート用紙に、住所を書いて渡した。翌朝、もうすでに、岡本は、起きていて、朝食の支度をしていた。「おはようございます!」と、東郷が、まだ眠そうな目をこすりながら、起きてきた。「昨日はよく眠れましたか?」「いや~、正直身内にこのようなことされて、くやしくて、中々、寝付けなかっけど、それでも、何とかよく眠れたようです。」「何もないですが、朝ごはん食べて行ってください。」「これは、これは、かたじけない。」岡本は、米を炊いて、目玉焼き、のり、おしんこ、そして、ワカメ入りの味噌汁を、そつなく作り、茶わんにご飯を盛って東郷に勧めた。東郷は、その盛られたご飯を、頬張りながら、言った。「岡本さん、悪いと思って聞かなかったが、今までどうゆう仕事をされていたのですか?」岡本は、おしんこをついばみながら言った。「家電とか、電子部品を製造、加工していました。」「うちもおなじようなことしてるよ。」と、東郷が、言った。「あーそうですか。同じような会社に3社面接に行きました。一応、書類選考で通るのですが、面接でダメです。やはり、40という年齢ですかね?まあ、みつかるまで、となりの熊垣君みたいに、コンビニのバイトでも、しようかと、考えてます。」すると、東郷は、持っていた箸を、置いて、言った。「一宿一飯のお礼ではないが、もに岡本さんが、よければ、うちに来ないですか?」岡本も、食べかけていたご飯茶碗と、箸を置いて言った。「ほ、本当ですか??東郷さんの会社東京の何と言う会社ですか?」「多分、ご存知かと、思うが、”ハナソニック”という会社です。」「え~~!?大企業じゃないですか?東郷さんが、社長?恐れ入りました。知っての通り、僕はもう40歳です。普通なら、人員整理される年代です。経験はもちろんありますが、こんな私でいいんでしょうか?」すると、東郷は、岡本の両手をにぎりながら言った。「しかも、係長とか、役職をつけてあなたを迎えたい。この恩義は、一生忘れませんよ。うちでよければ、是非きてください。会社は支社が、いろんな場所にあるから、自宅の目黒にもあるし、そして自宅から通ってもいいし、それがいやなら、寮もあるから、そこから通えばいいですよ。」岡本は、泣いて喜んだ。「ありがとうございます。宜しくお願い致します。!!」次の日の朝長野新聞の朝刊にこうゆう記事が載っていた。(昨日の夕方17時30分ごろ、居眠り運転をしたトラックと、原付バイクが正面衝突する事故があった。トラックの運転手は、軽傷で済んだが、バイクを運転していた男性は即死。トラック運転手は、業務上過失致死傷で即日逮捕された。尚、死亡した男性の名は、近くに住むアルバイト店員熊垣四郎 39歳。)


           (完)

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