堕天の教会

星山藍華

+第一の祈り

 その教会は随分昔に廃屋となっている。今じゃ誰も近寄れない、あそこは悪魔の巣窟だ、そう依頼主は私に言った。

 しかし私の眼に飛び込んだ景色は、美しいマリーゴールドが咲き誇り、まるで、来る人を拒まず笑っているように見えた。


 私は五年前に失踪した娘・アマンダを探し続け、金銭も底を付き、もう意識は朦朧としていた。

 私が覚えている景色は、スラム街の路地だった。何故だ。目を覚ませばそこは樹海だった。

 もう頭を使うことをやめた。体はボロボロでもう動けないはずなのに、目の前の門の奥、鮮やかなマリーゴールドの花壇が石畳の横を飾り、どうぞお入りください、とでも言わんばかりの建前を見せていた。その石畳の終着点であるドアの前で、人らしき輪郭が見える。娘が立っているような気がした。


「――」

 微かに声が聞こえた。それは五年前と変わらない娘の声にそっくりだった。

「アマンダ……アマンダなのかい?! 今そっちに行くからな!」

 執着心だけが私の体を動かす。五年越しに我が娘に触れられる。この手で娘を抱ける。不意に石畳の段差で足が引っかかり、盛大に転んだ。それでも輪郭が見えていた場所まで地面を這う。

 しかしドアの前に着いた時には、あの輪郭はなかった。

「アマンダ……ああ、アマンダ……」

 その場でゆっくり地面に突っ伏し、子供のように泣きじゃくる。

「んあ……大きい人間がはしたナく泣いて、どうシタんだよ……くぁあ……」

 猫の耳を生やした少年が、私に大きな欠伸をしながら見下すかのようにじっと見ている。

「なーナー。起きナイのかー?」

 その小さな指で私の脇を突く。

「なーナー」

「アマ、ン、ダ……」

「アマンダ? ああ、あの子なら教会の中にイるぞー」

 鉛よりも重く感じる体をゆっくり起こして、少年に食って掛かるように問い詰める。

「アマンダ、は、無事、なのか? いる、のか?!」

 私は思わず大声をあげてしまい、頭にある耳を押さえて縮こまった。

「あーもーウルサいなー……案内するからさっさ立てよ」

 目の前の大きな扉を、少年は体で押し開ける。その先に飛び込んだ橙色と黄色のステンドグラスが光を通し、屋内は石畳横の美しいマリーゴールドのように色付いていた。

「ほら、そこ」

 指先の向こうに座っている後ろ姿の少女。それは妻の背中にそっくりだった。間違いない、少女はアマンダだ。

 私は恐る恐る近づき、少女に声を掛ける。

「アマンダ」

「パパ……パパなのね!?」

「ああ、アマンダ……アマンダなんだな」

「パパ、会いたかったよ」

 ようやく娘を抱くことができた。私は嬉しさのあまり、アマンダを強く抱きしめる。

「パパ、苦し……」

「あらあら、娘さんが痛がってますよ」

「ああ、ごめんよ、アマンダ。――あなたは」

 祭壇の左通路、美声は教会内を響かせ、ステンドグラスの神々しい光が更に増した。その美声の正体は、まだ若いシスターが微笑ましく私達を見ていた。

「私は、アトリア・エイブラハム・ミルザームと申します」

「ミルザームさん、アマンダはあなたが保護してくれたんですか?」

「いえ、あの子が保護してくれました」

 長椅子の通路側に座って退屈そうな顔をしながら足をプラプラさせている。

「ンだよーそんなにジロジロ見んナよ。暇だったんダよ、墓守なんテ暇ー」

「クリム。またお仕置きを受けたいのですか?」

 先程の美声とは違う、母の怒りの声のようだった。

「アトリーさん、クリム君をしからないであげて。クリム君もおしごと、がんばってるの、わたし知ってるの」

「ふふ、じゃあアマンダちゃんの言うとおり、今日は怒りません」

「うん! ありがとう、アトリーさん」

「……それヨりアトリー、お腹スイたー」

 クリムはアトリアの横を颯爽と走り抜けていった。アトリアは呆れ顔で走り去る背中を見送った。

「全く、あの子ったら……。貴方も今日はここで安らいで下さい。その体では、帰ることもできませんよ?」

「あはは……では、お言葉に甘えます」

「部屋は余っていますので、今ご案内しますね。こちらへ」

 軽く一礼をして後ろに返り、私達を何処かへ導く。


 離れの一軒家。そこは普段の生活をするための場所に過ぎない、が、そこはとても居心地は良い。先の荘厳で神聖な場所とは違い、人間としての休息所には相応しい場所に整理整頓されている。

「だいぶ古い家ですので、足元には気をつけてくださいね」

 階段を登る前に忠告を受ける。丈夫そうな階段に見えるが、所々に材木の違う打ちっぱなしの部分がある。

 段を上がる度に軋む音を聞き、都度アマンダは私の手を強く握る。

「パパ、こわいよ」

「大丈夫だよ。ほら、パパの手をしっかり掴んで」

「うん」

 不思議だ。この空間は空気が澄んでいるように感じる。それだけじゃない。この敷地内に入ってから、意識は聡明に景色を捉えている。五感が全ての機能を取り戻したようだった。まるで、生き返ったようだった。

「この部屋を使ってください。鍵は付いていませんが、私もクリムも滅多に上がりませんので、自由に使って下さい」

 彼女は階段に近い方のドアを掌で示し、それ以上は何も言わず一礼して一階に戻った。

 二階は三つのドアが備わり、その内の一つは「restroom」と刻まれた金版をが付けられている。私はとにかく腰を落ち着かせたい

「ねえパパ! パパがいないあいだ、クリム君といっぱいあそんで、アトリーさんのおてつだいもしたの! わたしってエライ?」

 部屋に入ってすぐ、私は窓際の椅子に座ると、アマンダは私の膝の上で横座りし、私を見ながら嬉しそうに語る。

「そうか、アマンダは一人でお手伝いが出来るようになったんだね」

 優しく頭を撫でてやると、きゃっきゃっと天使の微笑みを見せた。

 ああ、生きていて良かった。もう一度アマンダを抱きしめる。希望は捨ててはいなかったものの、絶望が私の心を蝕んで、捜索を諦めかけていた。妻はアマンダの出産後に他界し、私一人で仕事と子育てを両立させていた。子育てはシッターにある程度は任せていたものの、たった一人の家族を見捨てずにはいられなかったのだ。金はそこそこあった。人脈もそこそこあった。だから会社に休職を申し出て、アマンダの捜索に打ち込むことが出来たのだ。

「パパ、くる、しい、よ……」

「ああ、ごめんよアマンダ。つい嬉しくて」

 涙で顔がぐしゃぐしゃになった。大人ながら情けない。

「あとね、パパ」

「ん、なんだい?」

「くしゃい」

 しかめっ面で鼻を押さえながら睨みつける。

「……風呂、入ろうか」

「うん! パパは私があらう!」

 アマンダは部屋を飛び出して一階へ降りていく。

「こらアマンダ、走るな!」

 アトリアは親子を部屋へ案内すると、早々に自室へ戻って何か調べ物を始めた。

「なーナーアトリー、お腹スイたってばー」

「待ちなさい、クリム。あのお父さん、あのままではアマンダちゃんと一緒にはいられない事、気付いているでしょう」

「そんナの言われなくても分かってル」

「今日はクリムの好きなホワイトシチューを作ってあげるから。もう少し我慢なさい」

 クリムは手を頭の後ろで組み、猫の耳をパタパタさせながら部屋を出る。

「あ、クリム。もし時間があるのなら、セージを取ってきて。あと、ウサギ。もう貯蔵庫にあんまりなかったはずだから」

「もー! しごと多イ!」

 クリムはいつもの籠と短剣を装備して教会の敷地外へ出掛けた。

「せめて、愛ある者たちの結びを、繋ぎ止めて――」

 本の内容の何かを見つけると、棚の所定位置に戻し、ダイニングへと向かった。

「セージがあれば、悪魔の欠片(悪いもの)を取り除ける、はず……」

 アマンダがバスルームへと私を誘う。しかし何故だろう、先程までの楽しみと、今、とても入りたくない気分が葛藤している。

「どうしたのパパ? どこか痛いの?」

「何でもないよ、さ、入ろうか」

「うん!」

 シャワーを適温まで出し続けている間、アマンダはそれを私にかけて悪戯をする。キャッキャッと楽しそうにしているが、私はそれを浴びる度にヒリヒリとした痛みが走る。

 私をシャワーの真下に立たせて全身を濡らそうとした。その時だった、酷い吐き気に見舞われた。アマンダに見せないように、排水口のところで異物を吐き出した。それは体内で生成できるものではなく、ドス黒い、この世の物とは思えない液体だった。

「パパ大丈夫?!」

 シャワーの湯を口の中に含み、口内に残る物を全て吐き出した。

「……あ、ああ、大丈夫だよ。ちょっと……疲れたの、かも、しれないな……」

「むちゃしちゃダメ!! そうやってパパはいつも私にかくす! ダメ! もうつらいことなんてないんだから」

「え、それは、どういう――」

「そのままの意味だよ、パパ」

 アマンダはもう一度私をシャワーの真下に座らせ、目一杯シャンプーを出した。そして湯の当たらない少し後ろに場所をずらし、指を立てて勢いよく前後に動かす。

「いだっ!!」

「ガマンしてパパ、これはおくすりなの。これで洗わないと悪いものにつれて行かれちゃうの」

 ハーブ独特の香りが鼻を突き、泡の付いた部分は焼けるように私を痛めつける。

「アマンダ早く流してくれ! 死んでしまう!」

「もうながすからガマンして」

 もう一度シャワーを浴びせ、付いた泡を全て流す。不思議なことに、今にも殺されそうな痛みはすっと消え、心地の良い、安らぎが訪れた。

「このおくすりはね、悪いものをぜんぶあらってくれるすごいおくすりなんだよ。これでパパも、私といっしょ」

 私の理解が追いつかないせいか、目の前のアマンダは五年前の姿と変わらないせいか、別人のように感じてしまう。これが本当に自分の娘なのだろうか。不気味だった。この心のザワつきは今に始まった事ではない。


 バスルームから出ると、アマンダはすぐに着替えて、ここで待つように指示した。

「きがえ、持ってくるからまってて」

 さすがにボロ切れで腐った服をまた着るのは、アマンダも気が引けたのだろう。それでもバスタオルを腰に一枚巻いただけの格好は寒いから、早く戻ってきてほしいのだけれど……。

 まだ痛みは残っているものの、あの激痛に比べれば虫に刺された程度のものくらいに治まっていた。もう現実ではなく、夢を見ているようだ。

「みゃーオ」

「おや、どこから入ってきたんだい?」

 赤い首輪に小さい鈴を付けた黒猫が、じっと私を見つめている。何をするわけでもなく、ただ洗面台に腰を下ろした。しかしやはりどこか不気味だった。その目は赤く光っているのだ。

「パパ、お待たせ」

「ありがとう」

 着替えを受け取りさっさと着替える。真っ白のシャツとズボン。柔軟剤だろうか。心地のいい香りが私を包む。

「ふふ、パパも私もおそろい」

「そうだな。君も出……あれ、いない……」

「どうしたの?」

「何でもないよ。行こうか」

「うん」

 脱衣所を出ようと洗面台を見たが、黒猫の姿は既に無かった。


 ダイニングではアトリアが料理をしていた。クリムはそれの手伝いをしているように見えたが、何かをつまみ食いしようとしていた。

「あ! クリム君ずるい!」

「フギャッ!! 何ダお前カよ、いーダろべつにー」

「クリム。私の目を盗んで振る舞いに手を出そうとしていたのですか?」

「だっテアトリーの作るごはん、いつもおいしそうナにおいだかラさ……つイさ……」

「褒めても駄目です。待ちなさい」

「……はーイ」

 アマンダはアトリアの横に引っ付いて、調理風景を眺める。

「アマンダちゃん、そこにいると危ないから、シチュー入れるお皿と、スプーン出して」

「今日はシチューなの?! やったー! 私、アトリーさんの作るシチューが一番好き!」

「ふふ、ありがとう」

 アマンダは張り切ってお膳立てに精を出す。

「パパ、これ、つくえの真ん中において」

「はいはい」

 懐かしい香味の香りがダイニングを包む。

 その香りでふと思い出した。妻が最初に手料理を振る舞った時、彼女は自分自身の真実を明かした。


〈私は神を信じたことはありません。私は天使崇拝者です。最近では天使崇拝者(私たち)を弾圧する集団が活発になっていると噂になっています。それでも、私を妻として、貴方と一緒に歩むことを赦してくれますか?〉


 きっとあの時、世界中の誰もを敵だと認識していたのだろう。アマンダを妊っていた頃、妻は外に出ることを酷く嫌っていた。私と食事をする時も、殆ど外食を避け、手料理にこだわった。その料理の多くには、名も知らない香草が使われていた。


〈これは悪魔除けの香草なのよ。この子に悪いものが憑かないようにね〉


 何度かそう忠告するように、香草の入った瓶を見せた。その蓋を取っては私に嗅がせた。鼻に突くような、少しきつい香りだが、私はそれがむしろ好きだった。

「パパ、どうしたの? つかれちゃったの?」

 アマンダが私を心配そうに見つめていた。

「そうかもな」

「さあ、席に着いてください。食事に致しましょう」

 四人が着席すると、アトリアは祈りを始めた。するとアマンダは黙って私の袖を二回引っ張り、同じポーズを取るように指示した。

「今宵も清らかなる御心を持って、今日に至る恩恵の感謝と平穏を願います。levis(レービス)」

「levis」

「levis」

 アマンダを真似て、私も祈りを捧げる。

「今日は腕を奮って、作りすぎてしまいました。たくさん食べて下さいね」

 こうして四人、または誰かと食事をすることが、こんなにも楽しく、私を満たしていく。

「パパ、なんで泣いてるの?」

 気付いたら私は涙を零していた。

「嬉しいんだよ、アマンダ」

 涙を拭う私を見るクリムは、呆れ顔になっていた。

「クリム、そんな顔しないであげなさい。この人はずっと家族と一緒にいられなかったのですから」

「そーダけど」

「今だけでも」

「……」


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、夜もかなり更けてきた頃。

「支度をしなければ」

 アトリアは二人が寝落ちた事を確認し、教会の正面の大扉にマリーゴールドを抽出した液体で円陣を記す。

「これが唯一の道標。私の使命」

 不意に左側から物音がした。それも少し激しい音だった。

「誰?!」

「おレだよ。へんなヤついたからしまツした」

 その手には爛れた皮膚が見えた。

「早く洗いなさい! それは放って置いたら治らないわ」

 アトリアはそれが何なのか分かっていた。しかしクリムは何故アトリアが焦っているのか不思議だった。

「わカったよー」

「ここも……あまり長くは居られないのですね」

 アトリアはそう呟くが、今は目の前のことに集中することにした。

「これで良し。あとは時を待つだけね」

 アトリアはダイニングに戻り、抽出作業を始めた。時間を忘れ、ただひたすらに液体を作り続ける。

 次第に夜は明けていく。時刻はまだ三時だが。黄金に輝く光が、誰かを探すように部屋中を照らした。

 先に起きたのはアマンダだった。

「もうあさ?」

 重たい目蓋を擦って視界のピントを合わせる。微かに温かい陽溜まりから、白いワンピースの可愛らしい女性が現れた。アマンダは何処か自分に似ている、そう思いながら女性を見つめる。女性は何も言わず、何も言えず、アマンダを見つめ涙を零した。

「あなた、だーれ?」

 アマンダの声に目が覚めた父は、アマンダの目の前に立つ女性を見て唖然とした。

「……メイラ……」

 その言葉に反応した女性は、両手を父に差し出した。その腕に引き込まれるように父は強く女性を抱きしめた。

「ああ、メイラ、メイラなんだな……」

「パパ、その人だれ?」

 下目蓋に溜まる涙を拭い、アマンダに語る。

「アマンダのママだよ。アマンダは分からないかもしれないけど、ママのお腹で育って来たんだよ」

「ママ?」

「そう、ママだよ」

 メイラも優しく頷いき、ゆっくり床に膝をついて両手を差し出す。

「ママ!」

 優しく包み込むメイラに言葉は要らなかった。

「ふふ、ママだー」

 頭をメイラの胸に潜り込ませ、幸せそうに微笑む。

 ふとメイラは立ち上がり、アマンダの手を引いて歩き出す。

「メイラ、どこへ行くんだい?」

 もう片方の手を差し出して、貴方も一緒に行こうと言わんばかりの合図を出した。

 移動した先、メイラは教会の祭壇前に立ち止まり、空の燭台を見つめた。

「蝋燭も灯もないんだ。アトリアさんなら持っているかもしれないから、取ってくるよ」

 父はアトリアとクリムの住む隣の建物へ移動する。しかし建物に続く扉の前に、洗面所で出会った黒猫がふて寝をしていた。

「君、どいてくれないか? アトリアさんを呼びたいんだ」

 それでも黒猫はそっぽを向いてその場を離れようとはしない。

「困ったな……」

 ふとドアが勝手に開いたと思ったが、向こう側からアトリアが現れた。

「あら、どうかなさいましたか?」

「丁度よかった。あなたを呼ぼうと思っていたところです」

「そうだったのですね。それで何か?」

「蝋燭と明かりが欲しいのですが、分けて頂けませんか?」

「分かりました。持って行きますので、教会の中でお待ちください」

 ドアの向こう側へ吸い込まれるように消えた。猫の姿もなかった。

 教会側に戻ると、一番前右側の長椅子に二人が座り、楽しそうに会話をしているのが見えた。アマンダの笑い声が、天使の囁きに聞こえる。

 メイラは父に気付き、優しく微笑んだ。

「今アトリアさんが蝋燭と明かりを持って来てくれるよ。もう少し待っていよう」

「パパ、私のとなりすわって」

 メイラの反対側の空席を二、三回軽く叩いて指示する。メイラも父も着席して、三人仲良く幸せのひと時を過ごす。

 別の足跡が聞こえる。その正体はアトリアだった。

「あら、アマンダちゃん良かったね。パパとママに挟んでもらって」

「えへへ」

「でもこれからは、ずっと一緒に暮らせるからね」

「本当に?!」

「ええ」

「アトリアさん、それはどういう……」

「そのままの意味ですよ」

 アトリアは黄色みがかった1本の蝋燭を燭台に立て、明かりを着けてメイラに持たせる。その後祭壇手前に立って、服の内側から変わった形の銀十字架を取り出し、そのまま胸の前で祈りを捧げる。

「これから儀式を執り行います」

 メイラは打ち合わせをしていたかのように、教会の絨毯が敷いてある道の前に立った。アマンダも父も、メイラの後をついて行く。

 アトリアの美しい歌声が響き始める。聴いたことがない歌詞に、賛美歌とも鎮魂歌とも言い難い旋律。それに乗ってゆっくりと道を歩み始める三人。ステンドグラスから差し込む光は太陽のものではないと、父は思った。

「パパ、ママ、きれいだね!」

「ああ……綺麗だ……」

 父はこの時、気付いてしまった。メイラはアマンダを出産後すぐに他界した。アマンダは五年前に行方不明になり、ここで出会えた時にはすでにこの世に存在していない。そして自分もまた、さ迷った果てに死んでいた。

 アトリアの歌声が終わりを迎える時、教会の扉は開かれた。その先に見えたのは、あの石畳の道ではなく、光の世界が広がっていた。その扉を越える前にメイラはアトリアの方へ振り返る。燭台を足元に置いて、普通の十字を切る方向とは逆に手を動かす。するとその小さな背中から、黄金の光に映える純白の翼が現れた。メイラは二人に手を差し出す。父はこれで本当に別れを告げる、そう思ってアトリアに一言、ありがとうと呟いた。差し出された手を取って、光の世界の中へ消えていった。

「うマくいったナ」

「……ええ、きっと三人幸せになれるわ」

 アトリアは燭台を祭壇に戻し、自室に戻る。

 

 自室の明かりは薄暗く、手元がようやく見える程度しかない。その中でアトリアは左腕の包帯を外す。そこに現れたのは、腐敗した皮膚。

「やはり、時間は無いのですね。天使様。ですが、あと少しだけ、時間を頂くことは出来ないのでしょうか……」

 右手で十字架を握りしめ、涙を零す。

「アトリー?」

 勝手に部屋へ入るクリム。塗り薬と包帯を持って来るよう指示していた。

「ありがとう、クリム。いつもごめんね。持って来てくれて」

「もうナレた」

 塗り薬を自分で患部に擦り込み、クリムに包帯を巻いてもらう。

「なあアトリー」

「なに?」

「もうこコはダメかモしれない。場所をうツサないか?」

「それは出来ないの。大切な人が眠っているから。その時が来たら、その時なのよ」

「…………わカッた。オレはアトリーにしたガう」

「あなたは自由なのに、どうして私と一緒に居ようとするの?」

「おんじん、ダから。……スき、ダから」

「ふふ、ありがとう」

 包帯を巻き終えると、アトリアは気が済むまでクリムの頭を撫でる。

「もうイい、もうイいってバ!!」

 最後にぽんぽんと掌を優しく置いて、外の様子を見てくる、と自室を出る。


 外は湿った空気が立ち込め、あまり良い心地とは言えなかった。アトリアは教会裏の墓地へ行き、ある人の墓の前に腰を下ろしてマリーゴールドを飾った。

「今日は遊びに来ていたアマンダちゃんと、そのご両親を見送ったわ。貴方と結ばれていたなら、あんな風に、幸せになれていたのかしら」

 悲しみに浸ることを邪魔する如く、墓地の奥から何かが通った音がした。それは明らかに小動物が立てた音ではなかった。

「誰!?」

 気配は一瞬にして消えた。アトリアはすぐに家屋へ戻り、黄色みがかった液体を空へ撒いた。それからアトリアは身の危険を察知し、一週間は無駄に外の様子を見に行こうとはしなかった。

 なんという事だ。この教会を生かしてはおけない。もう裁きは貴様のする所業ではない。レレーゼ教会。我が神を前にして冒涜的な姿へと変わり果ててしまった。ああ、我が神よ。どうかお赦し下さい。私の手で、教会を亡きものへと……


第二の祈りは、天使の下へと誘われる

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