第14話 マツダ

 Dコーヒーでテイクアウトしたベーグルとコーヒーで俺たちが昼食を摂っていると、サイドガラスを叩かれた。三澄が自慢げな顔をして立っていた。

 俺が少し窓を開けると、興奮したような声で、三澄が話し出した。

「これから勇樹さんと、指輪を見に行くんです。副社長、本当にお世話になりました。あ、マツダもありがとね」

 俺と本田への態度の違いに苦笑しつつ、会釈して去っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、素直に良かった、と思った。

 三澄はちゃんと、専務の息子(ただしくは元専務の息子だが)に出会えたのだ。

 もちろん本田の葬式ではなく。三澄が彼に頼み込んで、未来の夫を紹介してもらったのだ。

 いま乗っている車は、新しい二台目のベンツだ。事故に遭った一台目はちゃんと保険が下りた。

 本田と犬猿の仲だった元専務は、あの事故が起きてすぐに、専務の職を解かれた。表向きの理由は、彼にインサイダー取引の疑惑が掛かっていたから、ということだが。実際は違う。

 対向車線から突進してきた赤い国産車は盗難車で、持ち主は元専務の愛人の関係者だったのだ。その事実を調べ上げた本田は、元専務に退職を勧めたのだ。素直に辞めてくれれば事故のことは不問に付すと約束して。

 だから今、憂うことはあまりないんだ。俺も本田も生きていて元気だ。ただ、気がかりが一つある。この世界に、もう一人俺がいるはずなんだけど、どこかでバッタリ会ったらおかしなことにならないか? どちらかが、いや両方消滅したりして? それとも共存できるんだろうか。

 タイムパラドックスのことを考えると、悶々としてくる。でも明確な答えなんて出やしないんだ。

 俺は一週間前に車の運転免許を取ったばかりだ。本当は無理だろうと諦めていたんだけどな。俺は身分証明書の類を持っていなかった。パスポートも保険証をもともとなかったし、マイナンバーカードも、2022年から持って来られなかった(未来で発行したものは過去に持って行けない決まりがあったため)から、高校のときの学生証と、ビデオのレンタルカードを持参して、区役所で住民票をとったのだ。

 とりあえずまともな身分証明書が持てて一安心している。三澄も然り。いや、彼女なら俺よりも器用に、したたかに今を生きていくだろう。

 ベーグルを食べ終えてコーヒーをゆっくり飲んで味わっていると、本田がジッと俺を見てくる。

「なに?」

「いや、お前ってもしかしたら、本当に未来から来たのかもって思ってさ」

「だから本当だってば」

 俺は可笑しくなって笑った。今まさにそのことを考えていたから。

「――じゃあいつか元の時代に戻るのか」

「さあ、俺も分からない」

 この時代に跳んだとき、タイムマシンを確かに見たはずなんだ。俺はそれに乗ってここに来たんだから。なのに記憶が曖昧で、思い出すのが難しくなってきている。大きさも形状も。

 ちらりと本田の顔を見る。ちょっと不安そうに眉を寄せている。ほんと、可愛い表情ができるようになったな、この人。

「もし迎えのタイムマシンが来たとしても、俺は帰らないから。安心してよ」

 あの依頼者の母親がちゃんと助かったのか知りようがないし、俺ともう一人の俺が対面する可能性がゼロではないし、あの日俺が未来を変えたことで不幸になっている人がいるかもしれない。

 それでも俺は後悔していない。

 俺はまだ不安そうな顔をしている恋人に微笑みながら、自分のコーヒーを彼に飲ませてやった。

 そうだ、俺の中では決まっている。

 本田のベンツで、こうやって二人並んでチープだけど美味しいランチを毎日食べる。

 こういうのが良い。俺の幸せなんだ。了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

正解はベンツで昼食を 叶こうえ @koue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ