第121話

 ある技術者の日誌から抜粋。


 1838年

 落雪の月、2日。





 今月含めて後2ヶ月もすればもう年末だというのに、上層部が突飛な事を言い出したせいで最近は働き詰めの日々が続いている。


 レガリス各所の崩落地区と黒羽の団本拠地ことカラマック島を行き来する、団の生命線の一つとも言える輸送飛行船。


 その内の一機を、任務用に急遽換装しろという“有り難い”御命令が来たせいだ。


 ウィスパーの整備について、口出しされるのはまだ分かる。任務稼働機体をもっと増やせと言うのなら、まだ働く気持ちも分かるさ。


 だが、輸送飛行船から貨物エリアや各種クレーンを取り外してまで格納庫やウィンチ、飛行甲板に換装しろとはどういう事だ?


 言いたい事は分かるさ。


「そんなのウィスパーを離着陸させる為に決まってるだろうが、クソの袋詰めが」と言いたいんだろ?


 だが問題はそうまでして甲板を追加した所で、付け焼き刃みたいな甲板にはウィスパーを1機着陸させるのが精々だ。


 飛行母艦みたいに元から飛行甲板が備わってて、それを拡張するってんならまだ分かる。


 だが、元から飛行甲板すら無い輸送飛行船の殆どを換装し、無理やり縫い合わせた飛行母艦モドキみたいにしろってのは幾ら何でも、2つ返事とは行かない。


 只でさえ俺達は、空中係留機構とやらをウィスパーに搭載してバランスを調整するので忙しいと言うのに、何でよりにもよって貴重な輸送飛行船の一機をそんな変な構成に組み換えなきゃならないんだ?


 たった一機のウィスパーを飛行船に離着陸させて、それで何になる?


 ただウィスパーを飛ばすだけなら、飛行船なんぞに搭載せずともカラマック島から飛ばせば良い。


 幾らウィスパーが駆動機関が停止した瞬間空に堕ちる、一般的な飛行船や航空機より危険な乗り物だとしても、幾ら何でも片道旅行でサヨウナラ、とはそうそうならない筈だ。


 まぁ俺だってバカじゃない。ウィスパーだけじゃ燃料が足りないか、何処かの空域で待機する必要でもあるんだろう。


 だが飛行船に搭載して、機を見計らって飛行船からウィスパーを飛び立たせたとして、それでどうなる?


 せめて二機か三機あるならまだしも、たった一機がわざわざ目標の襲撃に出向くとは思えない。


 だからといって、たった一機のウィスパーを偵察に使うぐらいなら、わざわざ飛行船を無理やり換装させてまで搭載していく理由が分からない。


 素直にいつもの小型航空機でも使えば良い話だ。そりゃあ速度こそ劣るが、ウィスパーより遥かに安心出来る乗り物だろうし操縦だってウィスパーほど難しくは無い。


 しかし、面倒な事に今回の件は上層部から厳命されている。


 流石の自分も「ママにでもやってもらえ」と唾を吐き捨てる訳にも行かない。まぁ、気に入らない命令でもそうそうそんな事は言わないが。


 一機だけで襲撃するのではないか、なんて噂も少し立ったが、まず有り得ないと断言しても良いだろう。


 ウィスパーに乗れるのは前部と後部で二人が精々だ。


 たった二人で機動性抜群のウィスパーに乗ってまで、敵地の襲撃に向かって、それでどうする?操縦士ともう一人で何が出来る?


 言うまでもなく、レイヴンはとんでもない戦士だ。それは自分だって分かってる。


 レイヴン一人で帝国軍の間抜けどもを、何人も片付けるだろうし、帝国軍からしたらレイヴンが一人居るだけでもかなりの脅威だろう。


 だが限度と言うものはある。幾らレイヴンが凄いと言っても、ウィスパーで敵地にレイヴンを一人放り込んだら枯れ木も残らぬ程に殲滅して帰ってきた、とは行かない筈だ。


 彼等は優秀な戦士かつ工作員なのであって、焼き払う爆弾では無いのだから。


 何やら、貴族の飛行船を狙うのではないか、なんて話も出ているが仮に狙うのなら絶対に今回の件は関係ないだろう。


 ウィスパーで、レイヴンと操縦士を飛行船に送り込んだ所で、相当任務が上手く行ったとしてもレイヴンが小さな何かを盗み出すのが精々だ。


 経験上、その手の任務には確実にウィスパーが三機、飛行船が援護するとしても二機は必要だ。要人を襲撃するなら、最低でもレイヴンが二人は居ないと話にならないと言って良い。しかも相当上手く行った場合、の話である。


 こう言っては何だが、流石に一機ではどれだけ上手く行っても大層な事は出来ないだろう。





 そのレイヴンが、余程の化け物でも無い限り。

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