第100話

「あの少年の名前は、分からず終いでした」




 人気の無い広場。


 クルーガーの顔から大粒の涙が滴り落ちては、音も無く地面に吸い込まれていく。


「あの少年は、私の様な天才気取りの凡才より、よっぽど才能と未来に溢れた天才でした」


 言葉に詰まりながらも、懺悔の様に言葉を繋げていくクルーガー。


 その表情は、今まで見た事も無い程に“後悔”に染まっている。


「充分な教育すら受けず、年若い少年でしかなかった彼が、あれだけの才覚を発揮していたのです」


 …………クルーガーの話を聞いているだけでもその少年がどれだけの才覚、伸び代を備えていたかは疑い様が無い。


 彼の言う通り、幾ら著名な技術者であろうと到底敵わない様な頭脳を持っていた事は間違いないだろう。


 そして、きっと彼はそれだけの才覚を持ちながら、誰一人として理解される事も評価される事もなく、路地裏で殴り殺されたのだ。


「こんな時代の差別などで否定されなければ……それこそ、輝かしい未来を担う程の才能だった筈です。きっと正しく評価されたなら、レガリスの歴史すら変えられたかも知れません」


 嗚咽を堪える様にしながら、色んな事に想いを馳せていくクルーガー。


 今、このレガリスにおいてラグラス人として生まれた時点で正式に評価を受ける事は、かなり難しいと言って良いだろう。


 奴隷として売買されている者も数えきれず、それでなくとも低賃金の労働者である事が殆どだ。


 東方国ペラセロトツカや北方国リドゴニアなら、国内のラグラス人種の割合が多い事からも正当な評価を貰える所もまだ多い、とかつては聞いていたが………


 それでも、現にペラセロトツカは再びラグラス人が虐げられる風潮、及び人権を軽視する風潮が浸透している。


 理由は、言うまでもない。


 浄化戦争において帝国軍含め、この俺が人権の為に立ち上がった人々や軍、義勇軍を叩き潰して抹殺し、踏みにじったからだ。


 一度、反旗を翻した経歴も含め現在のペラセロトツカは浄化戦争以前よりも、ラグラス人種に対する一方的な奴隷契約、人権無視が深刻化しているらしい。


「あんな、あんな扱いで潰えて良い様な才覚では決してありませんでした。あんな…………」


 ハンカチーフを差し出すと、一言謝ってからクルーガーがそのハンカチーフで頬に溢れる涙を拭う。


「レガリスの現政権が変わらない限り、きっとこれからもあの様な、取り返しの付かない様な悲劇は続く筈です」


 クルーガーの言う通り、バラクシア全土で今も定められている奴隷法はきっとこれからも続いていくだろう。


 バラクシア都市連邦の中でも、奴隷法に反対している国は確かにある。


 だが、都市連邦の中央国たるレガリスが奴隷法を禁止、撤廃しない限りバラクシア全土から奴隷、及び人権問題がまず消えないと言って良い。


 レガリス以外、ペラセロトツカやリドゴニアだけでなく、南方国のニーデクラや西方国のキロレンまでもが一丸となって反対でもしない限り、まず議論にも上がらないのは明白だ。


「誰にも理解されず、正当に評価されないまま、きっと今までも数えきれない程に彼の様な輝かしい未来や才能が踏みにじられ、消えていったでしょう」


 拭ったばかりのクルーガーの目元から、再び涙が溢れ出す。


 それでも、何とか言葉に詰まらない様にしながらクルーガーが続ける。


「私の様な凡才よりも、彼の様な天才こそ差別されずに生き延び、教育を受け、成長するべきだったのです」


 自分がどれだけ考えても思い付かなかった、発明の最後のピースを組み込んでくれた名も知らぬ少年。


 それが全く評価されずに路地裏で殴り殺され、手元には少年が完成させた成果。


「もう、輝かしい才能が評価されずに消えていくのを見るのは、耐えられません」


 クルーガーが、どれだけの想いで開発者の名誉を辞退したかは計り知れない。


 それこそクルーガーの発明家としての、“矜持”があったのだろう。


 そして、その矜持があったからこそ。


「……だから、最初はゼレーニナの名前で兵器を発表しようと……」


「はい、私の発明では無くとも、あれだけの画期的なアイディアや発明が、書き損じの始末書の様に破り捨てられる事に私は耐えられませんでした」


 最初は懐疑的な部分もあったが、クルーガーの過去の話を聞いている内に色んな所に合点が行き始める。


 クルーガーは、ゼレーニナが当たり前の様に自分のアイディアを捨てる事に耐えられなかったのだ。


 幾ら当のゼレーニナが何一つ気にしないとしても、過去の少年の件、そして才能が評価されず消えていく事がクルーガーには耐えられなかった。


 ゼレーニナが何の気なしに捨てたそのアイディアをクルーガーが改良し、実用化したとしても今度はゼレーニナが譲らない。


 “それは最早私の発明ではない”と。“私の発明でないものに私の名前を使う事は許さない”と。


 そして、皮肉にもクルーガーは人格者だった。無理矢理にゼレーニナの名前を使う事だけは、どうしても出来なかった。


 レガリスで少年の手柄を奪って天才を演じる様な真似を許せず黒羽の団に来たクルーガーは、結果として皮肉にもゼレーニナの発明を自分の名前で出す事となったのだ。


「幹部達も、特別揉める事もなく納得していました。ミス・ゼレーニナが納得しているのなら、特に名前は問題ではないと」


 ゼレーニナに聞いた話と、目の前で懺悔の様に語り続けるクルーガーの話が繋がっていく。


 どれだけの想いでクルーガーが、装備を自分の名前で発表していたか。本当に躊躇なくアイディアを捨てるゼレーニナに対し、どんな想いで自分の名前を使っていたか。


「…………だから、ウィスパーは……」


 クルーガーが、痛々しい笑みを見せる。


 とても、とても辛い笑顔だ。


「……はい。幹部達から直々に通達がありました。“お前の方が人当たりが良く信頼されているから、あからさまに露見するまではお前の名前で広めておけ”と」


 鼻を鳴らす。


 実際クルーガーとゼレーニナの実力を知らさずに二人を並べて、どちらの装備を使いたいかと聞かれたらまず殆どの者がクルーガーを選ぶだろう。


 こればかりは、申し訳ないが幹部達が正しいと思う。実際同じ状況でどう判断するかは別にするとしても、理屈は合っている。


「真の“天才”と呼ばれる人々は、果樹園を持っています。幾らでも“果実”が実る果樹園を」


 涙の跡が残った顔のまま、何処か皮肉気な笑みを浮かべながらクルーガーが続けていく。


「故に、果実を必死にかき集めたりはしません。分かりますか?ミスターブロウズ」


 クルーガーの自虐的とも言える笑みに、辛い物を感じながら目線で先を促す。


「かき集めたりせずとも、他にも“果実”が幾らでも実っているのですから、それをもぎ取れば良い。真の“天才”は取り分け大きい果実でも無い限り、幾らでも果実を捨てる事が出来るんです」


 幾らでも思い付くからこそ、一つ一つに固執しない。そして、固執しない事こそ真の“天才”の資格だと言っているのだ。


 しかし、クルーガーには。


「しかし私にはそれが出来ない。少年の事もあり、日の目を見る事なく、評価されずに消えていく事が何より耐えられない。だから……」


「……果実を、拾い上げてかき集めるしかない。でなければ飢えてしまう」


 俺の言葉に、再び痛々しい笑顔でクルーガーが「その通り」と笑う。


 これは呪いだ、と静かに思った。


 真の天才は果樹園を持っているからこそ、自分から躊躇なく果実を捨てる事が出来る。


 逆に言えば、果実を躊躇なく捨てられる事こそ天才の資格でもある。


 しかし、クルーガーには少年の件が今も深く刺さっている。“実っている果実、果実が実る筈だった若葉”を捨てられない。


 加えて、果樹園から果実を盗むには余りにもクルーガーは人格者過ぎた。だからこそ、持ち主の名前で果実を発表するべきだと進言する。


 だが“天才”はそんな果実は好きにしろ、私には必要無いと切り捨ててしまう。


 それが天才たる所以でもあり、クルーガーとの圧倒的な差でもあった。何より、自分がその果実を拾わなければ本当にその果実は消えてしまうのが、分かっていた。


 人格者であり呪いが刺さったままのクルーガーは、結果として、呪いを更に深く焼き付ける様に“人の発明を自分の名前で発表する”しか無かったのだ。


 クルーガーに過去の件が無ければ。クルーガーがその事を割り切れていれば。


 ゼレーニナが自分の名前で躊躇なく発表していれば。ゼレーニナが言われるままに改良して装備を発明していれば。


 そして、クルーガーが人格者でさえ無ければ。


 どれか一つでも違っていればこの“呪い”は成り立たなかっただろう。


 結果としてヘンリック・クルーガーは、ニーナ・ゼレーニナの発明を自身の名前で発表し、団内に広め、“天才”として黒羽の団に重宝された訳か。


 勿論技術者としての才能もあったからには、自身が発明した物も数多くあるだろうが………それでも、クルーガーはきっと“自身の才覚などゼレーニナの様な天才には遠く及ばない”と心から思っている。


 その全てが複雑に絡み合い、縺れた結果、現在の様な事態になったという事か。


 余りにも、因果な話だ。


「…………私を、告発しますか?」


 全てを諦めた様な微笑みと共に、クルーガーがそんな言葉を漏らす。


 その眼は穏やかで、全てを受け入れた罪人の様だった。


 きっと、俺が今からお前の首を切り落とすと言っても、大して抵抗せずに受け入れるだろう。


 そんな笑顔だ。


 クルーガーの落ち着いた眼を少し見つめ返すも、俺は何も言わなかった。


 ただ、静かに首を振った。






「浄化戦争においてペラセロトツカに陰りが見え始めた頃、この団にミス・ゼレーニナがやってきました」


 技術開発班への帰り道、クルーガーの眼が遠い日を懐かしむ様な色を見せる。


「彼女はこの団に来て、数日も経たない内に技術開発班に乗り込んできては“全く新しい航空機を作れる”と言い切りました」


 脳内で組み立てるまでもなく、容易に想像出来た。あいつなら、現職の技術者達の元にも無遠慮に踏み込んで行って「私の航空機なら帝国軍を圧倒出来る」と言い切るだろう。


 どれだけの技術者、それこそクルーガーを前にしても。


「他の団員に追い払われようとしていた彼女の話を、人を押し退けて予定をキャンセルしてまで、最初に話を聞いたのが私です」


 成る程。よりにもよって、最初にゼレーニナの才覚、あの並外れた才能に気付いたのは皮肉にもクルーガーだった訳だ。


 ゼレーニナに、誰を重ねていたかは言うまでも無い。


「あの頃のミス・ゼレーニナは今より更に小さく、正しく子供でしたが…………子供がどれだけの事を出来るか知っている私は、直ぐ様話を聞きました」


 清掃員の少年に、自身の才能を遥かに凌駕された経験があるクルーガーとしてはそれこそ見逃せない話だったのだろう。


「図面から設計、調整、手に余る力仕事や調達以外は殆ど彼女が一人でやりました。今と殆ど変わらない調子で私の部下に指示を出す姿は、まるで熟練の技術者の様でした」


 クルーガーの声色に、敬意にも似た物が微かに混じる。


 それは技術者としてか。ヘンリック・クルーガーとしてか。


 はたまた、かつて“天才”を自負していた者としてか。


「後にウィスパーと名付ける事になったあの航空機を、彼女は実質一人で造ったんです」


 皮肉気ではあるものの、それでもクルーガーが口角を上げる。


「それも、レガリスの技術者が誰も発表していない新方式の、画期的な方式の駆動機関まで発明して」


 徐々に夕暮れを匂わせる様になってきた空を見上げ、かつての記憶に想いを馳せる。


 ウィスパー、帝国軍でハチドリと呼ばれ恐れられていたあの航空機。


 ペラセロトツカが一時とは言え、レガリス及び帝国軍を対等以上に押し返した原因にもなった、画期的かつ驚異的な航空機。


 あのままウィスパーが現れず、ペラセロトツカが降伏していれば“あんな事”には………


 眼を閉じる。


 やめろ、今は関係無い。


 “それ”を思い出すのは、やめろ。


「彼女の功績を、私は直ぐ様上層部、及び幹部に届け出ました」


 俺の行動に対して疑問を抱かなかったのか、想いを馳せた故の行動と思ったのか、クルーガーがそのまま続ける。


「彼女はウィスパー開発者という功績により、黒羽の団の数割に匹敵する程の莫大な資産と権力が手に入った途端、何年も前から計画していたかの様に塔を設計し、試算を終えた途端に建造、そして住み着きました」


 クルーガーの話を聞きながらも、ゼレーニナが住んでいた塔に想いを馳せる。


 あの“魔女の塔”は段々とあの様な形になったのではなく、最初から完成形としてあの形を設計し、建造して住み着いたという事か?


 元々分かってはいたが、やはりとんでもない話だ。


「…………“天才”、か」


 ふと溢れたそんな言葉に、隣を歩いているクルーガーが笑う。


「彼女は、本当の天才なのでしょう。あの少年と同じく、私の様な凡才では足元にも及ばない様な“天才”なのです」


 そう言えば、クルーガーはレガリスの研究所から呪いの様な因果を背負ってこの団に来たが……ゼレーニナは何故この団に来たんだ?


 話を聞く限りでは家族も居ない様だし、クルーガーの様に研究所に居たとも思えない。


 それに加えて、歳も相当若い。


 人種、経歴含めて様々な境遇の連中が集まる“黒羽の団”だが、それにしてもゼレーニナの存在は異質だ。


 クルーガーは、ゼレーニナが来たのは“ペラセロトツカに陰りが見え始めた頃”と言っていた。


 となれば、恐らくはペラセロトツカが本格的に劣勢に傾き始めた頃……1832年辺りだろう。


 6年前だとすると……当たり前だが、ゼレーニナは今より更に6年若い事になる。


 そんな歳からこの黒羽の団に加わる理由とは何だ?しかも家族も居らず、来て真っ先にやった事は技術開発班で“新型航空機の開発”だ。


 流石に今回の件程では無いが、謎には変わり無い。


「なぁ」


「はい?」


 不意に投げた言葉に、隣を歩いていたクルーガーが平和そうな顔で振り向く。


「これはどうでも良い事なんだが、ゼレーニナがどうしてこのカラマック島……黒羽の団に来たかは知っているか?」


 俺の言葉にクルーガーが少しばかり記憶を辿る様な表情を見せるが、結局は首を振った。


「いえ、生憎と私は彼女の経歴や素性については殆ど聞いていませんね。彼女は……知っての通り、社交的とは言い難いですから」


 お世辞にも社交的と言い難いのは、認めざるを得なかった。


 こうして関わりのある俺だって、グリムを助けたからこそ関わりがある様な物だ。それに、そもそも最初はグリムを助けた上でも随分な扱いだったのだから。


 しかし、団に来た当初から関わりのあるクルーガーでも、流石にゼレーニナの出自は知らないか。


「ですが、出自を聞くのはお勧め出来ません。少なくとも、今後も今の関係を続けたいのであれば」


 急にクルーガーから投げられたそんな言葉に、怪訝な眼になったのが自分でも分かった。


 確かに、本人に聞くのは良い手では無いだろう。


 関係が致命的なまでに壊れて、今後の開発依頼が滞る様な事があっても困る。


 だがよりにもよって、クルーガーがそこまで言い切るとは意外だった。


 そんな俺の様子を察した様に、クルーガーが続ける。


「私も断言出来る訳では無いんですが以前彼女が団に来たばかりの時、出自を訊ねた作業員が居たんです。それに対してミス・ゼレーニナはその、答えなかったんですが…………」


 間が、あった。


 クルーガーが改めて息を吸う。


「何だ?」


 歩きながらも辺りを見回した後、クルーガーが俺を心配する様な表情で小さく呟く。






「…………レイヴンですら呪い殺しそうな、恐ろしい眼で相手を睨み付けていました。まず、彼女の過去には触れない方が良いでしょうね」

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