第50話

 汗が首筋に張り付いていた。







 真夏を存分に発揮した“畑雲の月”が終わり、もう秋の入り口、“薪山の月”だと言うのに、今日は随分と蒸し暑い。


 ガルバンの庭園の任務の時は、陽射しの月だったか。何にせよあの時にこんなに蒸し暑い日じゃなくて良かった、蒸し焼きになった所に銃弾を浴びせられるなんて考えたくも無い。


 逆に考えて見れば、向こうも暑いのだから多少は利点になるのだろうか。


 いや、此方も疲弊していては何も変わらない。数で負けている上に敵も味方も疲れきっていては結局は同じ事だ。


 そんな下らない事を考えながら、炎天下の下を歩く。


 この猛暑の中、部屋からわざわざ出て外を歩いているのには理由があった。




 今朝の事だ。




 朝、俺は外の猛暑に気付くや否や、所用でも無い限り今日は一日外に出ない事を心に決めた。


 こんな時ばかりは、この待遇もそう悪くない物に思える。何せ、部屋に居るだけで食事も来る上に部屋から出る必要も無いのだから。


 屠殺場勤務の頃、真夏にも関わらず汗水垂らして勤務していた事を考えれば、今ばかりは厚待遇と言える。


 不躾な顔をした団員に言い付けて案内させた製氷機から、トレイで運んだ氷の塊を部屋のテーブルに据えた。それなりとも気休めとも言える、控え目な冷気が肌を撫でる。


 冷えたビールか、せめてジェラートでもあればな。


 部屋で執念染みた決意の末に日課の自己鍛練をやり抜き、汗を拭いて水差しから蒸留水を補う様に飲む。


 そして、相変わらず疲れた顔の団員が持ってきた味気無い食事を取り、疲れからか椅子に腰掛けたまま幾らか微睡んできた頃。


 不意に、軋む様な音が聞こえた。


 だが椅子から振り返るまでもなく、方角から窓が風で揺れているだけだと合点が行く。見るまでもなく、軋む音は扉からではない。


 どのみち、この部屋の扉には在室だろうと不在だろうと基本的に鍵が掛かっている。俺が鍵を開けなければ、返事も無いままいきなり部屋に踏み込まれる様な事もない。


 穏やかな微睡みの中、そんな事を考えていると、またもや音が鳴る。


 随分と今日は風が強いな。そんな事を考えた後に、少しの間の後に眉を寄せる。


 窓の音が軋む音からノックの音に変わっている事と、音が自然の音では無い事に気付いたのは同時だった。


 振り返った窓に映っている黒い物が、カラスだと気付くまで些かの時間を要した。そのカラスが、嘴で窓をノックしていると言う事も。


 幾らカラスの知能が高く、道具さえ使えると言っても、わざわざ人の窓をノックする事なんてあるか?


 飼ってる訳でも無いのにこんなに人懐っこいカラスなんて居る訳無いんだが……………


 カラスを飼ってる?


 「グリム?」


 間抜けな声でそう呟くと、カラスが首を捻った。良く見ればカラスにしては随分と大きい。


 畜生、一目瞭然じゃねぇか。


 「ダレモイナイ?」


 グリムのそんな声に一応辺りを見回すも、誰かが紛れ込める程広い部屋でも無い。


 「あぁ」


 そう返すと、グリムが嘴でまたもやガラスを小突く。上階の窓をノックされるなんて経験、普通の奴はまず無いだろうな。職業柄、此方が窓をノックする事は有り得なくは無いが。


 「アーケーテー」


 「分かった分かった、今開ける」


 些か固い窓を、引き上げる形で開けると開いた窓からグリムが顔を突っ込む様な形で入ってくる。


 それなりの窓の筈だが、それでも少し窮屈そうに窓枠を潜り抜けるグリム。当然ながら、シマワタリガラスより一回り以上大きいんだよな、こいつ。


 「アツイシ、ツカレタ。ミズアル?」


 「もう少し遠慮を学んだらな」


 「エーーー」


 相変わらず子供と話している様な錯覚を覚えるが、目の前に居るのは飼い主無しでも喋るカラス、それも希少種のヨミガラスという事を忘れてはならない。自分は今、世の科学者共が押し寄せる様な、相当奇妙な体験をしているのだから。


 「それで?散歩の休憩って訳でも無いだろ」


 「キューケイハスルケド、タシカニキューケイダケジャナイヨ」


 そんなグリムの言葉を聞きながら上蓋を外した水差しを目の前に置いてやると、直ぐ様嘴を突っ込んで飲み始めた。


 この暑さの中を飛んできたやつを冷遇する程、俺も冷血漢ではない。冷血漢なのは、必要な時だけだ。


 水差しから顔を上げたグリムが多少嘴を鳴らした後、此方に顔を向ける。


 本題か。


 「それで?」


 「ゴシュジンガ、『“トウ”ニコイ』ダッテサ」


 意味を理解するまで、少し呆気に取られてしまった。塔に来い?あのゼレーニナがか?


 あの、客を前にして堂々と無視したり自分だけサイフォンからコーヒーを淹れたりする、あのゼレーニナが?


 「あー、お前のご主人の、ゼレーニナが、俺を塔に呼んでる、って事か?」


 「ソウダヨ?」


 何故わざわざそんな事を、と言わんばかりにグリムが首を傾げる。思ったより愛嬌のある仕草だった。


 あの偏屈がわざわざ呼びつけるなんて、気持ちの良い用事とは到底思えない。今更茶会のお誘いでもあるまい。


 またも水差しから水を飲んでいるグリムを見透かし、窓の外を見ると益々日照りの強まった炎天下が眼に映る。


 この炎天下の下、技術開発班にまで赴いて、塔まで来いと言うのは些か、いや大分酷じゃ無いだろうか。


 第一、開いた窓からは既に蒸し暑い熱気が此方に流れ込んできている。


 「この炎天下に塔まで呼び出しか。相変わらず、接客上手だな」


 「ソト、スゴイアツイカラ、キヲツケテネ。ボクナラ、デタクナイナァ」


 此方の気分など知った事では無いと言わんばかりに、グリムが水差しの傍で休んでいる。


 少しして微かな冷気に気付いたらしく、少し羽ばたいたかと思うと、部屋に置いてある氷の傍へと舞い降りた。


 「生憎、俺もお断りだな。“気が向いたら寄ってやる”とご主人に伝えてやれ」


 「コナイノ?」


 意外そうにグリムが言う。逆にこの状況で2つ返事で飛び出していく奴こそ、自室に呼んじゃいけないと思うのだが。


 「行かないな。こんな炎天下にわざわざ塔まで出向いたりしたら、辿り着く前にスクランブルエッグになっちまう」


 「ゴシュジンハ、『キタホウガイイ』ッテイッテタケド」


 「此方こそ『来た方が良い』と言ってやるよ。カラスに伝言させず、そういうのは自分で来るもんだ」


 少し伸びをする。わざわざあいつの無愛想な顔を見に、炎天下を歩いて炙られる事もあるまい。


 「エート、ナンダッケ」


 そんな俺に困るでもなく、グリムが何か呟いている。


 わざわざそんな事を呟く辺り、本当に子供相手にしか思えない。何かにつけて喋りたがる所なんて、正にそうだ。


 「アー、アー、モウチョット、モウチョット」


 思い出そうとしているらしく、何やら唸っているグリムに、今度は此方が首を捻る。


 何だ?


 「まだ何かあるのか?」


 「オモイダシタ!」


 俺がそう問い掛けた途端、明るい声色でグリムが叫び、蟠りが溶けた様に安堵の混じった長い息を吐いた。


 「デイヴィッドガ、『コナイ』ッテイイダシタラ、『コウイッテヤレ』ッテイワレテタンダ!」


 今度は此方が長い息を吐いた。グリムの物とは違って安堵ではなく、落胆に近い物があったが。


 「お前より先に言わせてもらうが、どんな脅迫や物言いをされようが動くつもりは無い。必要分の資金はもう振り込んでる、契約違反や反故も無い。あのサイフォンを俺にくれるってんなら、後日取りに行ってやらないでもないけどな」


 取り敢えずそう言い切って、尚更椅子に体重を掛ける俺を興味深そうに見つめた後、一息おいてからグリムが嘴を開いた。


 「『ヒダリテノコトヲオシエテヤル』ッテサ」








 こうして、わざわざこんな炎天下の中をスクランブルエッグに憧れる卵よろしく、首筋に汗を滲ませながら塔を目指して歩いている訳だ。


 技術班に辿り着いてからも、相変わらず塔は何マイルも先に思えた。


 何度見ても奇妙な塔だ、機械と機構を捻り合わせて塔を成している様なこの塔は、ある意味、家主の性格を表していると思えなくも無かった。


 私は奇妙で最新の技術を使い、とても高い所に居る。近付くな。


 そんなメッセージ性を感じなくも無い。皮肉にも、今回の俺は呼び出された立場だが。


 こんな炎天下の中でも、袖捲りをして物資を運んでいる技術班の連中には感服するしか無かった。機材だか物資だかを台車で運び、息を荒げながらも何とか台車と共に、日陰に入らんと奮闘している。


 心の中で応援しておいた。残念ながら、声に出すには余りにも蒸し暑い。


 手を止め、汗を拭っている技術班の整備員らしき一人が不意に俺に眼を向けた。


 何でこんな所に?そんな顔をした後に後ろを振り返り、ゼレーニナの奇妙な塔を見上げてから、俺の方に向き直った。


 何だその顔は。


 革靴を煮込んだシチューでも見掛けた様な顔をしている、また随分な対応もあったものだ。


 まぁ、日頃からあの塔とあの塔の主を知っている連中なら、確かに塔に向かう奴にそんな顔をするのも納得が行く話ではあるが。


 解決したというよりは、見なかった事にしたような顔で肩や首を伸ばした後、また機材相手に奮闘し始めた技術班の連中を尻目に、またもや炎天下の中を歩き出す。


 お互い、踏ん張り所だな。


 塔の目の前に辿り着いた頃には、無視出来ない程の汗が顎や鼻から滴りそうになっていた。


 秋口とは言え、流石に暑すぎるだろう。せめて一雨降ってくれると有り難いのだが。風も来るだろうし、何より塔に行かない口実になる。


 いや、レインコートを着てでも来いと言いかねないな、あいつなら。


 両開きの扉を潜り、駆動機関と配管を織り込んだ様な塔の中に入っていく。この際、日陰なら何でも良かった。


 工作機械に囲まれた中、再び汗を拭う。ハンカチを持ってきたのは正解だったな。


 木陰や屋根の下から出てこないヤギの気持ちが今なら良く分かる、どれだけの猛暑にも文句一つ言わない姿勢は見習うべきかも知れない。最も、聞こえないだけで散々言われてるのだろうが。


 磨耗した痕がそこかしこにある大型昇降機に乗り込み、稼働レバーを引く。


 炎天下の中、直射日光に晒されていた金属レバーを握り、掌をバーベキューにされた奴の話をふと思い出した。何の意味も無かったが。


 轟音と共に俺を載せたディロジウム式昇降機が昇って行く。


 一つ決意した。用事が済んだとしても、日が沈んで涼しくなってからこの塔から帰るとしよう。スクランブルエッグを免れた直後に、目玉焼きにされる事も無いだろう。


 しかし日陰に入るだけでも随分と違うものだ。塔の中に入ってからは、汗が少しずつ引いていくのが分かった。


 ふと、左手に眼を留める。


 暑さに気を取られて忘れかけていたが、そもそも今回ゼレーニナに呼び出された理由は、この痣だ。


 痣について知っている事は、最早そこまで驚く事でも無い。黒羽の団の連中なら、俺がナッキービル地区の庭園でどんなおぞましい魔術を使ったかを一人残らず知っている。多少は齟齬もあるだろうが。


 しかしあの黒魔術を恐れはしても、理解しようとする者は殆ど居なかった。


 皆、俺の機嫌を損ねれば耳をカラスに食い千切られるとでも思っているのだろう、疫病でも見る様な眼を向けてくる奴等ばかりだった。


 その上、只でさえ俺はこの団に歓迎されていない。唾と泥をかけられかねない程に。


 そこに黒魔術の評判まで付いた事により、最早俺がいつまで生きられるか賭けが始まりそうな程に俺は恐れられ、忌み嫌われている。


 だが、団の中には俺を理解してくれる者も居た。


 俺が生き延びる為にやむを得ず黒魔術を使った事。俺は気に入らない奴に片っ端から黒魔術でカラスを差し向ける様な男ではない事。


 ヘンリック・クルーガーは分かってくれた。加えて言うなら、技術開発班の連中も。


 思い返してみればあの事件の後、クルーガーが当たり前の様に茶会に誘ってくれた事にどれだけ救われた事か。


 技術班の連中に言いつけておいたのか、それともクルーガーが説明したのか整備員達が俺に厳しい眼を向けて来なかったおかげで、久し振りに心休まる時間を過ごす事が出来た。


 その後の操縦訓練は余り思い出したくないのが本音だが。


 しかしニーナ・ゼレーニナはクルーガーとは全く違う。


 茶会に誘う様なタイプでも無いし、今更俺とレガリスや黒羽の団について漫談しようって訳でも無いだろう。


 左手の事を知っている理由についても前述の理由で説明がつく。


 その上、奴は御世辞にも社交的とは言えないが、代わりにヨミガラスのグリムを使って団内の情報を集めさせている。そのおかげで、奴はこの塔に居るまま、この島や団の情報については事欠かないという訳だ。


 自分は奇妙な塔に籠ったまま、カラスを使って話を盗み聞きなんて、本人が気に入ってるか否かを置いておいたとしても、正しく魔女としか言い様が無い。


 しかし、それでも不可解な点があった。


 黒魔術について向こうが知っているのは良い。黒魔術を知りたいと言うのならそれもまだ分かる。現に、クルーガーは何故か眼を輝かせて俺に黒魔術の事を聞いてきたからな。


 ゼレーニナからの伝言を持ってきたグリムは「オシエテヤル」と言った。


 黒魔術について聞くのではなく、黒魔術について俺に「教えてやる」と言ったのだ。


 至極当然ながら、俺よりこの黒魔術について知識が無いと教える、等とは言えない筈だ。


 すっかり汗の引いた頭を掻いた。


 この痣や黒魔術は何か科学で説明出来る事なのか?それとも、前例があるのか?俺みたいにカラスを使役して兵士を翻弄した様な記録が、過去にもあったのか?


 痣について何一つ手掛かりが無い現状では、一つでも情報が欲しいのは確かだが………


 不意に昇降機が大きく揺れる。


 思慮に耽っていたが、気が付けばゼレーニナの居住区とも言える上階に到着していた。


 まぁ、聞いてみれば解決するだろう。


 いつものシャッター開閉ボタンを押そうと触れた辺りで、少し違和感を感じた。


 辺りを見回し、自分の首筋をなぞる。


 涼しい。勿論寒いと言える程では無いが、こんなにも適温な事あるか?


 ボタンを押し、上がったシャッターを潜る。間違いない、明らかに日陰云々では説明が付かない程に空気が涼しい。製氷機から氷を持ってきたにしろ、塔の上階を凍り漬けにした訳でもあるまい。


 まさか製氷機でも開け放してあるのか?


 そんな事を考えながら妙に快適な居住区に入り、ドアを潜る。


 「ゼレーニナ、居たら返事しろ。呼ばれたから来たぞ」


 一応呼び掛けておく。こうでもしないと、声が聞こえてもあいつは本当に返事をしないからな。


 そしてゼレーニナが居るであろう部屋のドアを開け、その場の光景に暫し呆気に取られた。


 安楽椅子に腰掛け、傍のテーブルにコーヒーカップとソーサーを備えたまま、装飾された革表紙の本を読んでいるゼレーニナという光景だ。


 だが、俺の眼は安楽椅子にもコーヒーカップにも、ゼレーニナにも向けられていなかった。


 俺の眼は、その近くにあった奇妙な機械に向けられていた。


 金属の配管が機械を中心に円を積み上げて太い塔を成す様に巻かれ、太い塔の中にはその配管が繋がったタービン式ディロジウム原動機、そして何やら複雑そうな機械が配管の塔に守られる様に入っている。


 唸りを上げて稼働しているその奇妙な機械に歩み寄り、ある事に気付いた。


 少し歩み寄り、少し身を引く。また少し歩み寄って、その奇妙な機械に手をかざした。


 間違いない。この機械から、冷気が出ている。


 「………なんだ、これ」


 俺の何とか絞り出した間抜けな声にゼレーニナが本から顔を上げないまま、「圧縮冷凍機です。自作ですが」と呟いた。


 手を翳したり振ったりして冷気を感じながら、ぼんやりとゼレーニナの方を向いて言葉を返す。

「圧縮………何?冷凍?」


 鼻を鳴らして、退屈そうにゼレーニナが革表紙の本から顔を上げる。


 「圧縮冷凍機です。圧縮機で冷媒を圧縮して高圧の液体にして、膨張弁と蒸発機で気化させて気化熱を起こしています」


 あぁそうか。魔女に会いに来たんだったな。相変わらず呪文は錆びてないと見える。


 「つまり?」


 「つまりとは?」


 これ以上何が知りたいんだ、と言わんばかりにゼレーニナが不機嫌そうな顔を向けてくる。


 「もう少し砕いて……いや、良い。お前は砕けないからな」


 ウィスパーの時には随分と酷い目にあった。また講義されるのは勘弁だ。


 「……まぁ理屈はこの際良い、これもお前が作ったのか?」


 「理屈こそが………………はい、私が作りました」


 今、相当言葉を飲み込んだな。向こうも向こうで俺の性格を覚えたらしい。


 「こんな物をよく運んでこれたな、車輪が付いてる訳でも無いだろうに」


 そんな俺の言葉に、本を閉じたゼレーニナが呆れたような顔で返す。


 「このまま動かせる訳無いでしょう。部品で持ってきてここで組み上げたんですよ」


 ………それもそうか。考えてみたら当然だ。いや待て。


 「この製氷機モドキもお前が発明したのか?」


 「製っ……………いえ、発明という程のものではありませんよ。あんまりにも暑いので久し振りに作っただけです。技術も機構も流用したものばかりですからね、何一つ新発明した様な物も機構もありません」


 製氷機の様なものかと思っていたが、違うらしい。


 しかし、要するにこいつは『こんな暑い日はうんざりだ、圧縮冷凍機を作って涼む事にしよう』と主婦がミトンでも作る様な感覚で、この製氷機モドキを組み立てて涼んでいたという事になる。


 何というか、正しく魔女というか、とんでもない女だ。


 少し顔を上げた。魔女と言えば。


 「忘れかけていたが、グリムから聞いたぞ。俺の左手の事を教えてやるって?」


 そんな俺の言葉に、ゼレーニナの呆れた顔が思い出した様な表情に変わる。


 「そう言えばそうでしたね、失念していました」


 人を伝言で呼び出しておいて、こんなに堂々と本人に失念していましたって言える辺り、何でこんな塔に籠っているかを如実に実感させる。


 「てっきり今日すぐに来るとは思っていませんでしたので」


 無愛想な顔でそんな事を呟きながら安楽椅子から立ち上がり、ドアの方に歩きだした。


 ゼレーニナの性格上、付いてこいと言う事だろうな。相変わらず、理屈以外の人付き合いは散々と見える。


 此方も返事無しでゼレーニナに付いていく。


 「お前、俺は伝言されても来ないと思ってたのか?」


 「この猛暑ですからね。外に出るなんてお断りです」


 「…………その“お断り”な猛暑の中を歩かせてまで、俺を呼びつけた訳か」


 「そちらが来れば解決ですので。断るなら明日も呼び出すだけです」


 「そりゃあどうも、涼ませてもらって光栄だよ」


 こんな5フィートと少しぐらいしか無い細身の少女に、6フィート以上ある俺が付いていくのは、考えてみると中々な光景だ。


 ふと、製氷機モドキを見やる。


 「あの製……圧縮なんとやらは、止めなくて良いのか?」


 振り返りもせず、銀髪を揺らしながら先を歩くゼレーニナが答える。


 「止めても暑くなるだけですよ。私としてはわざわざ暑くなるのは推奨出来ませんね」


 あのまま放置しておいて良いのか、というつもりで言ったのだが、まぁこいつがこう言うなら大丈夫なんだろう。


 他は散々だが、機械やディロジウムにおいてこいつの脳味噌は俺なんかより数倍、いや数十倍は頼りになる。


 「その痣、ラスティの動作確認をさせた時からありましたね」


 振り返らないまま、不意にそんな言葉を投げられて少し意表を突かれる。


 「あぁ」


 「黒魔術もその時から?」


 振り返りもせず、歩きながらコーヒーの味でも聞くかの様に聞いてくるゼレーニナに、内心舌を巻く。


 だが、同時に何故か確信めいたものも感じていた。


 やはり、今日はここに来て正解だったな。こいつの頭脳と意見には、性格と付き合いを差し引いたとしても有り余る程の価値がある。


 「その少し前にな。一人で試した所、上手く行った。カラスを呼び出す方の黒魔術は現場での即興だったが」


 「既に発現はしていた訳ですね」


 相変わらず後ろ姿のままのゼレーニナがドアを潜り、俺もそれに続く。


 ドアの先は初めて会ったあの書斎だった。日差しが入り込むバルコニーは、今日ばかりは閉めきられていたが。


 机の上には新聞や本が乱雑に積まれている、散らかり方から見るに相当何かを調べていた様だ。


 椅子を引き、ゼレーニナが自分だけ椅子に座った。勿論、此方もそれが分かっていたので勝手に椅子を引っ張ってきて向き合う様に座る。


 「さて」


 ゼレーニナが、机の上で指を組んだ。







 「夢の中で、巨大なカラスかフクロウに会った事は?」

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