第24話

 「不満かね?」







 そんなクロヴィスの声に、窓の外から視線を外しグラスを片手に振り返った。


 「何がだ?」


 同じくグラスを持ったままのクロヴィスが、肩を竦める。会議室で酒を飲むのは妙な気分だった。


 「此方としても、大歓声で迎えたかったのだが……済まないなデイヴィッド。言っておくが、皮肉じゃないぞ」


 そんな言葉に、グラスを揺らして“気にするな”と返す。


 あの作戦を終えて廃鉱山に戻ってから、半日以上が経過していた。作戦結果を幹部達に報告し、その足で自室のベッドに倒れ込んだ辺りまでは覚えている。


 それからベッドで身体を起こし、ベッドの上で微睡んでいる所にノックの音が聞こえ、扉の鍵を開けるとそこにクロヴィスが居た。


 言われるがまま会議室に行ってみれば、封の切れていないウィスキーのボトルと幾つかのグラスがあり、クロヴィスが機嫌良さそうに俺の目の前で封を切った、という訳だ。


 「しかしお前は想像以上に凄い男だな、デイヴィッド。一人で大修道院に入り込み、上級尉官の顔をひっぱたいて帰ってきたのに、傷一つ無いとは」


 そう言いながらも、クロヴィスがウィスキーを再び溢れそうな程グラスに注いでいる。酒好きなのだろう、気持ちは分からんでも無いが。


 「こんな酒は久しぶりだ、こんな仕事も」


 そんな言葉しか出なかった。喜ぶべきなのだろうが、ウィスキーを流し込んでも尚、全くと言って良い程気分は高揚しなかった。ただただ、今回の作戦の内容について終わり無く考えて込んでいる。


 目標は達成したが、それだけで成功と言って良いのか。勝利と言っていいのか。不必要に殺した相手は居なかったか。常に大義は胸にあったのか。俺は、この作戦を悔いてはいないか。


 帝国軍の隠密部隊にいる時も、作戦終了後は似た様な事で随分と悩まされた。一線を引く奴、全く気にしない奴、自責の念に耐えられない奴、様々な奴を見てきた。


 頭を掻いた。辛うじて答えに近いものが見えた事はあったが、答えが出た事は一度も無い。この悩みはいつも、最後には結局、余り深く考えない事にして解決させている。


 考えない様にする時はウィスキーを頼ろう。そう思い、一気にグラスを干した。


 「マクシムの持っていた鍵と秘密はどうなった?」


 そんな質問にクロヴィスが意外そうにグラスを持った手を止め、首を捻った。そんな事を聞かれるとは思っても居なかったのだろう。


 「我々が丁重に管理している。鍵も、その秘密も。だが実際には殆ど鍵を使う事は無いだろうな。あの手帳でほぼ事足りる、腐敗した権力はそのまま我々の手に移った訳だ。これで我が団の勢力は拡大し、流通ルートも復活、及び拡大する」


 「流通ルート?」


 赤い顔のクロヴィスの言葉に、グラス片手に眉を潜める。


 「何だ、知らないのか?」


 先程より更にクロヴィスが意外そうな顔をする。グラスの中身を幾らか喉に流し込んで、再び口を開いた。


 「我々の資金源さ、ブラックマーケットの事だ。アキムやヴィタリー辺りから聞いてないか?我が団が製造した武器や装備を、密売でレガリスのブラックマーケットに流しているんだよ」


 「……帝国軍と民衆の紛争で、暴徒が良いライフルや良い剣を持っていたのはそれが理由か」


 帝国軍は実質、黒羽の団以外にも民衆の大規模な暴動を鎮圧する役目も度々担ってはいたが…………元を辿れば、間接的に結局黒羽の団と戦っていた事になる訳か。


 想像以上に黒羽の団は深くレガリスに関わっていたらしい、全く。


 「じゃあこれからは、部屋に純金の像でも置くのか?」


 そんな言葉に上機嫌そうにクロヴィスが笑う。


 「残念ながら、ウィスパーを再び積極的な作戦に投入するのが精々だ」


 またもや知らない言葉が出てきた、初年の学生にでもなった気分だ。


 どうやらクロヴィスも俺の苦い顔から察したらしく、酒の入った顔が露骨な驚きに染まった。


 「おい嘘だろ、ウィスパーも知らないのか?帝国軍に散々影響を与えた高機動航空機だぞ!!最前線に居た元帝国軍が知らないなんて流石に有り得ないだろうに!!」


 そんな事を言われても知らない物は仕方がない。此方が降参の意を込めて肩をすくめると、信じられないと言わんばかりにクロヴィスが、グラスを持っていない方の手で顔を押さえる。


 「デイヴィッド、お前は浄化戦争の英雄だろう?黒羽の団の事も知っているんだろう?その英雄がウィスパーすら知らないのか?レイヴンがそれに乗って、様々な活躍をしてきただろう!!」


 「確かに浄化戦争でも黒羽の団が活躍したのは知っているし、レイヴンが活躍したのも知っている、だがウィスパーとやらは初耳だし何の事かさっぱり分からんぞ」


 グラスに再びウィスキーを注ぎ、ぼんやりと酒の入った頭を巡らせた。全く聞いた事が無い、確かに浄化戦争ではレイヴン相手に戦った事もあったが奴等は何処からともなく現れるばかりで、航空機に乗っているレイヴンなんてのは殆ど見た事も無かった。


 大体、高機動航空機なんてものは、戦争中だって殆ど、


 殆ど?


 グラスを置いて額を押さえる。数年前の事、加えて細かい事を思い出すとなると、何とも難しいものだ。


 確か、鳥の名前を付けた航空機があった筈だ。俺達の航空機を翻弄するかの如く、高い機動力で飛び回っていた小型航空機が。


 俺には経験は無いが、その小型航空機からレイヴンが此方の大型航空機に乗り込んできた、という話もあった筈だ。


 …………ハチドリ、そう、ハチドリだ。


 「もしかしてお前が言ってるのは“ハチドリ”の事か?」


 何とか捻り出した言葉に、クロヴィスが怪訝な顔をする。


 「ハチドリ?何を言ってるんだデイヴィッド、大丈夫か?」


 当たり前の反応だ。同じ様な状況で俺がクロヴィスの立場なら、同じ事を言っただろう。


 「ほら、確か、浄化戦争の時、レイヴン達が乗ってた小型の航空機だ。何枚かの薄い羽根を物凄い速さで動かして飛んでただろう、一人か二人乗りの、ほら」


 我ながら随分と曖昧な表現だが、実際それぐらいしかもう覚えていない。確かそんな物があったな、という程度の話だ。


 そんな自分の曖昧な答えにクロヴィスは怪訝な顔をしていたが、少しして理解したのか大笑いしながら口を開いた。


 「成る程な、帝国軍じゃ“ハチドリ”と呼ばれているのか、我等のウィスパーは」


 やはり、あの航空機で間違いないらしい。


 「むしろ“ウィスパー”なんて呼び方をされていた方が驚きだがな。“囁く”なんてもんじゃないだろう、あれは」


 そう返すと、愉快そうに笑いながらクロヴィスが再びウィスキーをグラスに注ぐ。


 「まぁ確かに、語源を知らなければあの機体を見て“囁く”なんて言葉は浮かばないよな」


 「逆にどういう理由であの機体から“囁く”なんて単語が出てきたのか是非とも知りたいね」


 グラスを干し、クロヴィスにつられて此方も微かに笑う。


 「まぁその辺りはそこらの奴にでも聞くと良い、私としてはあの由来は中々に気に入ってるからな」


 「開発者にでも直接聞いてみるさ、あれだけの航空機が独自開発となると、やはり開発したのはクルーガーか?」


 何の気なしにそう呟いたが、クロヴィスが笑い声だけで返す。


 数秒にも満たなかったが、妙な間があった。


 「一応当たりだが、クルーガーにはこの事は聞くなよ。余りクルーガーはその事を聞かれるのが好きじゃないんだ」


 少しして笑いながらクロヴィスが言う。おそらく、出来る限り不自然で無いつもりでクロヴィスは言ったのだろうが、どうにも疑問が残った。


 何にせよここで首を突っ込むのは余り得策ではない、そんな確信が浮かび上がっていく。


 「分かった、大人には誰しも聞かれたくない事ぐらいあるだろうしな」


 クロヴィスの不自然さに気付いていないフリをしながら、こちらも笑って言葉を返す。気付いていないフリを信じたのか、上手く誤魔化せたと思ったのか、安心したかの様にクロヴィスがまたもや笑った。


 しかしクルーガーにハチドリ、じゃなかった、ウィスパーの事が聞けないとなると、どうした物か。


 俺はもうこの団の一員なのだから、名前云々だけでなく、詳しくウィスパーの事も知っておくべきだろう。


 何せレイヴン達が浄化戦争で乗りこなしていた航空機だ、そのレイヴンの一人となった今、俺自身もちゃんと知っておかないと作戦にも影響が出るかもしれない。


 そして何より、今のクロヴィスの反応は確実に何かある。不都合な何かを抑え込んだ、何かが。


 言うまでもないが俺は本来、この団に歓迎されていない。数々の手を潰され手駒を失い、際まで追い詰められた抵抗軍が形振り構わぬ最後の手段として、仲間に引き入れたのがこの俺だ。


 本来なら、爪先から磨り潰してハトの餌にでもしてやりたい存在の俺に、黒羽の団が何もかもを託してくれると思う程、俺も楽観的では無い。


 極論、地図と似顔絵だけ渡して「こいつの首を塩漬けにして持ってこい」と駆り出されるのが、この団に置ける俺の役目だからだ。


 “お前らの秘密を白日の元に晒す”なんてつもりは毛頭無いが、此方としても隠し事だらけの飼い主に二つ返事で手綱を託す気は無い。


 生憎と此方も、大義の為に散るのでも無い限り、生き延びたいのだから。


 見えない罠に向かって走れと命じられたら、見えない罠を飛び越えて、そのまま首輪の鎖を外す算段程度はしておかなければ。


 やはり航空機の事は開発者か、科学者に聞くのが一番だろう。だがクルーガー以外にそんな事を聞ける科学者の知り合いなど、俺には居ない。


 質問した所で石で返事が来るが、もしくは斧を振るう羽目になるのがオチだ。


 …………………………いや。


 正直余り良い思い出は無いが、知り合いの科学者ならもう一人いたな。それに、無礼な質問をしても何一つ心が痛まない奴が。







 どうやら、また魔女の塔に行かなきゃならないらしい。


 そんな事を思って少しばかり溜め息を吐き、ウィスキーを再びグラスに注いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る