第14話

 道案内は滞りなく進んだ。





 汗と焦燥を顔に滲ませた、体格の良いラグラス人に先導させるのは、想像以上に効果的だったらしい。


 途中、こちらを睨み付けながら二人に事情を聞こうとした者もいたが、先導しているラグラス人が手で「後にしてくれ」と言わんばかりに制した。


 この二人が居なかったら、またもや面倒に巻き込まれていたかも知れない。最初に痛い目を見せたのはどうやら得策だったらしい。


 実際、痛い目と言っても二人はどこを怪我した訳でも無い。どこも骨折していないし、どこも出血していない。


 せいぜい、目新しい怪我と言えば一人の脇腹と手首に腫れた痣が出来ているかも知れない、といった程度だ。


 向こうからすれば不運だろうが、こちらの知った事ではない。


 「ここだ、ここにトミー・ウォリナーがいる」


 建物内のドアの目の前で、ラグラス人の一人がそんな声を上げた。豪勢な装飾が施された両開きの大きなドアだ。確かに一般兵ではこの様な部屋には住めないだろう。


 「お前らはここで待ってろ。逃げても良いが、また捕まえるぞ」


 苦い顔をするラグラス人を尻目に、豪勢なドアを数回ノックする。


 「どうぞ」


 奥から男性の声が聞こえてきた。聞いた限りでは、声は余り若くない。


 静かにドアを開くと、広い部屋の中央で中年男性が一人、気品のある机で大きな帳簿に万年筆を走らせていた。


 キセリア人だ。中年男性相応の小太りな体型に、頭頂部まで禿げ上がった頭、丸顔に僅かばかり弛んだ頬。少なくとも、俺達みたいなタイプとはまるで違う。剣とペンを争わせるなら、真っ先にペンを取る類いなのは間違いない。


 広々とした部屋の中央に歩み寄ると、そんなキセリア人男性がゆっくりと顔を上げた。鼻梁を挟み込むタイプの高級らしき眼鏡、俗に言う鼻眼鏡をかけている。


 温和な中年、といった印象を受けるウォリナーの顔が不思議そうな表情に染まった。


 「……新入りの方ですかな?」


 印象通りの声でウォリナーが尋ねてくる。


 「あぁ、会うのは初めてだ。個人資金とやらを受け取りに来たんだが」


 此方がそう答えると呆れた様な、疲れた様な、そんな溜め息をウォリナーが小さく吐いた。


 「個人資金とは何の事ですかな。予め言っておきますが私は資金分配に経理、資金調達を担当しているのであって、決して銀行でも金庫でもありませんよ」


 急に呆れ返った様な声で、ウォリナーが次々に言葉を紡ぎだした。顔を帳簿に戻し、明らかに此方に対して反感を露にしている。


 「やれ資材費を増額しろだの、駆動機関用に大型タンク一杯のディロジウムを幾つも調達しろだの、挙げ句の果てには部品製造機器と精密加工機械を一新するから、丸々機械を組み上げるだけの資材を寄越せだの、こう言っては何ですが私はもううんざりなんですよ」


 矢継ぎ早に、溜まっていた物を吐き出す様に言葉が飛び出してくる。話が全く見えない、何を言っているんだ?


 「……ゼレーニナに言っておいてください。『請求人を代えても書類を代えても金貨の名称を代えても、私は貴女には今まで通りの額しか渡しません』とね」


 静かな、だが厳しい声でそう言いながら、ウォリナーがインク吸い上げ式の万年筆を帳簿に走らせる。


 「貴方が彼女に何を言われたかは知りませんが“個人資金”という金は確かにあります。ですがそれは、ある極秘任務に付く人物にしか渡せません。全く、極秘なのにどこで嗅ぎ付けたんでしょうかね、あの科学者様は」


 最早小言の域に達している、そんな声が止まったのを確認して、少し待ってから俺は口を開いた。


 「……あー、ミスター・ウォリナー、ちょっと良いか」


 「何です?資金なら出しませんよ」


 目は帳簿から離れる事は無く、声は相変わらず冷たい。


 「恐らく、その極秘任務に付く人物とやらに心当たりがあるんだが」


 「それは良かったですね、ゼレーニナも喜ぶでしょう」


 「………………“アキムから”と言えば分かるか?」


 その言葉を呟いた途端、弾かれた様な勢いでウォリナーが顔を上げた。そんな勢いに思わず、此方まで少し仰け反ってしまう。


 ウォリナーが鼻眼鏡を、指で押さえ直す。


 「……デイヴィッド・ブロウズ?」


 恐る恐る、といった様子でウォリナーが口を開いた。


 「まぁ、そんな所だ」


 取り敢えず、そんな答えを返した。





 そこからの話は随分と早かった。


 まず、俺を誰かの使いだと勘違いした事への深い謝罪、そして個人資金はちゃんと俺の要望にに応じて、引き出せる様になっているとの事。


 そして余り話題には登らなかったが話の節々から察するに、半分近くの者は知らないがどうやらとんでもない技術者がここにはいるらしい。かなりの天才なのは間違いないのだが、同時にかなりの変人でもあるとか何とか。


 どんな奴なのかを一応聞いてみたが「知らないなら知らないままが一番です」と流されてしまった。


 気になる点が無い訳じゃないが、何はともあれ任務に関係する事はこれで解決した。


 部屋を出て、ラグラス人二人を手振りで呼び引き続き、クルーガーとやらの方へ案内させる。


 歩いている途中、ふと思い立って目の前のラグラス人に声をかけた。


 「お前ら、ゼレーニナとか言う奴を知ってるか?」


 「ゼレーニナ?」


 「そう、ゼレーニナだ」


 「いや、知らないな」


 俺に植え付けられた焦燥を抜きにしても、どうやら知らないのは表情からしても事実らしい。


 「そのゼレーニナとやらがどうかしたのか?悪いが、そいつの場所は俺達には……」


 「気にしなくていい、クルーガーの方に案内しろ」


 ヘンリック・クルーガーとやらは割りと色んな場所に出歩いているらしく、当初居ると思われていた自室から食堂へと向かわされ、居住施設、研究班、技術開発班とクルーガーの足取りを辿り、最終的には何と訓練施設で対面する形になった。


 「ヘンリックさん、ちょっと」


 ラグラス人の一人がそう言ってクルーガーを呼び寄せる。


 こいつもウォリナーと同じくキセリア人だ。


 ブロンドの髪を綺麗に整えており、髭も殆ど見えない。威圧的な雰囲気は微塵もなく、穏和な雰囲気と共に、高価そうなテーラードジャケットを自然に着こなしている。腰から伸びる鎖を見る限り、懐中時計も持っているのだろう。


 クルーガーと話していた訓練生らしき男に断りを入れてから此方に向き直り、歩み寄ってくる。話していた男もにこやかに別れを告げた後、訓練施設の方に戻っていった。


 ラグラス人2人がやっと気が休まる様な様子でクルーガーの方へ向かい、何やらラグラス人と幾らか話し合うとクルーガーが首を伸ばし、真っ直ぐに見つめながら此方に歩み寄ってくる。


 「はい、私がヘンリック・クルーガーですが」


 声は随分と落ち着いていた。あのラグラス人から、俺がどれだけ“粗暴か”を聞かされていてもいいものだが。


 手振りと言葉で「もう十分だ」と追い払うと、痛め付けて案内させていたラグラス人が初めて、渋々と言った様子を出しながら、名残惜しそうに少し離れた場所に立った。


 少し、念入りに睨み付けると、お互いを促す様にして漸く二人とも離れていく。俺に睨み付けられてでも、クルーガーと離れる事を惜しんでいる様子だった。


 クルーガーが、初対面にも関わらず柔和な笑みを向けてくる。俺の評判を聞いてないのか?少なくとも、耳に入ってないとはとても思えないが。


 少しの間の後、クルーガーが不思議そうな顔をする。


 「初対面の様ですが、何かありましたかな?」


 「“アキムから”と言えば分かるか?」


 先手を打った。


 「おお、貴方がミスター・ブロウズですか。挨拶が遅れまして申し訳ありません」


 クルーガーが直ぐ様、納得した様に微笑む。


 「いやいい、此方も来たばかりでな。ろくに挨拶も出来てないんだ」


 何というか、団の中ではやたらと冷遇されていたものだから、調子が狂ってしまう。いや、何もクルーガーが特別な事をしている訳では無いのだが。


 道を尋ねただけで、斧を振るう羽目になった身としては、何とも平和なやり取りだ。


 「その、そちらから装備品を受け取る様に言われたんだが」


 「おおそうでした、工房に来てください。直ぐにレイヴン装備を一式、貴方に御用意しましょう」


 また、技術開発班の辺りまで戻る訳か。今日は一日中、この拠点の島を歩いている様な気がする。実際にはまだまだ見ていない部分はまだまだあるのだろう、今から向かう技術開発班にしても、回れていない部分が大半だ。


 技術開発班には、決闘を申し込んでくる様な奴は居ないと良いんだが。そんな下らない事を考えている内に、予想以上に早く技術開発班の工房の一つに着いていた。


 クルーガー曰く、これ以外にも幾つも工房があるらしい。いやはや、帝国軍が苦労させられる訳だ。


 大掛かりな加工機械や旋盤、グラインダー等が並ぶ中、蝶番の着いた木箱からクルーガーが装備を取り出す。


 「一通り装備してみて下さい、細かい微調整は私が行いますから」


 「毎度、一人一人クルーガーが調整しているのか?大変だな」


 「いえいえ、普段は直々に私が調整したりと言う様な事はまずありません。それどころか、団に入ってすぐ、レイヴンの装備を調整する事もありません」


 「そんなものか、知ってるだろうが抵抗軍に入るのは初めてでな」


 「実感がまだ湧かないかも知れませんが、団に来て数日も経たない内にレイヴンの装備を受け取るなんて、本来は異例中の異例なんです。実感出来ずとも、そこは分かっていてください」


 革の防護服に剣、格納式のハチェット、ディロジウム銃砲、何やらグリップの様な物やディロジウム駆動機関を備えた小型の機械など、用途の分からない物まで次々に装備が現れる。


 何処から調べたのか、それとも見当は付けていたのか、防護服は実際に袖を通してみると大きなサイズの差は無く、袖や胴回りを絞ったりと、僅かな調整をするだけで済んだ。


 問題はガントレットだった。というより、ガントレットのグローブ部分だった。何やらグローブの内部、もっと言えば指を通す部分に細いワイヤーが仕込まれており、それを自分の手のサイズに合わせるのに防護服を調整する倍以上の時間が掛かった。


 剣一つとって見ても、帝国軍の使っていた武器とはまるで毛色が違っていた。刀身は肉厚で対人用のサーベルと言うよりは、山刀をそのまま引き延ばした様な印象を受ける。クルーガー曰く、斬撃と打撃力を両立するコンセプトで設計したとの事。


 何かの柄だけを取り外したグリップの様な代物は、簡単な操作で細く鋭い刀身が飛び出した。どうやらスティレットの様だ。伸縮式のスティレットなんて聞いた事が無いが、強度は全く問題ないらしい。まぁ、そうでも無ければ採用される訳が無いか。 


 そして、ガントレットがあれだけ手間暇かけて調整された訳が分かった。ガントレット自体に取り付ける、ディロジウム駆動の小型自動クロスボウの為だった。


 このとんでもない装置は、ガントレットのグローブ内部に仕込まれたワイヤー操作で発射するらしく、滞りなくスムーズに扱うには、グローブのワイヤーの微調整が必要不可欠との事。


 実質、これを使えば片手をかざして指や手で特定の動作をするだけで、クロスボウを発射する事が出来る。


 確かにこれを使えば奇襲にも隠密にも便利かも知れないが、こんな物をよくぞ作ったものだ。

最後に、とうとうレイヴンマスクを付ける。レンズから覗く視界は想像以上に広く、違和感も殆ど無い。


 なんでも、このレイヴンマスク自体も結構な強度があるらしいとの事。かつての騎士達が着込んだ兜には、敢えて顔に尖った様な曲線を付け、斬撃や刺突を反らす作りの物も数多くあったらしい。


 鳥類の様なこのマスクは、その効果も狙って作られているそうだ。だが元々の造り自体は防毒マスクをベースにしているらしい。勿論、防毒の効果もあるそうだ。適切なフィルター等を組み込めば、高い防毒効果も発揮出来るのだとか。


 革の防護服に袖を通し、小型クロスボウをガントレットに取り付け、レイヴンマスクのレンズ越しに目の前の視界を眺める。


 遂に、これで俺も悪名高き抵抗軍の工作員、レイヴンの仲間入りか。


 ふと、脳裏を今は亡き弟の事がよぎる。


 アルフレッド、見ていてくれ。お前が支えてくれた分も、俺は戦ってみせる。


 レイヴン装備一式を全て装備した俺を見て、クルーガーが満足そうに呟いた。





 「ここにレイヴンがまた一人、ですね」

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