赤い桜
武田コウ
第1話 赤い桜
私の目の前には一本の桜の木がある。漆黒の夜空を背景に、雄々しく伸びる巨大な幹。対照的に、ぞっとするような繊細さを持つ花びらが、ひらひらと宙を舞う。
そして、この桜を説明するためにはもう一つ大きな特徴を記述しなければなるまい。私を引き付けて止まないこの幻想的な桜は、赤い花を咲かせているのだ。
実をいうと、この桜は現実のものでは無い。赤い桜は、絵画の中に存在した。
出会いは運命的である。
寂れた小さな美術館。私は一介の女子高生らしく、芸術などには一切興味がなかった。気まぐれとしか言いようがない、春の陽気に浮かれて、ふらふらと美術館に入り込んだのだ。
何度も言うが、私は芸術に興味が無かった。たぶん、ピカソの絵と小学生の落書きの区別もつかないだろう。そんな私が美術館を楽しめる筈も無く、目に映る高尚で退屈な作品達にうんざりしてきた頃に、あの絵画に出会った。
漆黒の空を舞う赤い花びら。その強烈なインパクトが私の頭をガツンと殴った。
作者は無名の絵描き。数年前にこの絵を残して自殺したという。
正直、この絵の何が私を引き付けるのかはわからない。ただ、赤い桜は私の心を甘く、怪しくザワつかせるのだ。
気が付くと、私はこの絵を見るために毎日美術館に通っていた。幸いなことに、この寂れた美術館には殆ど利用者がいないのだ。おかげで私は誰にも邪魔される事無く、一日中桜を眺めていられた。
「・・・はあ」
甘い溜息をついて、うっとりと絵画に手を伸ばす。ああ、あの絵に触れたい。しかしそれは出来ない。美術品には触れられないように仕切りがされてある。
いや、本当に触れたいのは絵画じゃない。絵画の向こう側にある、赤い桜・・・
「桜の木の下には、死体が埋まってゐるのです」
背後から突然響いた声に、私は驚いて振り向く。
男が、立っていた。
奇妙な男だ。がりがりに痩せ細った体を真っ赤な和服に包み、病的に青白い顔の中で大きな目玉だけがランランと光を放っていた。
「桜の木の下には、死体が埋まってゐるのです」
男がもう一度、同じ言葉を発した。
暗転
気が付くと、私は漆黒の闇に佇んでいる。
寒い。先ほどまで感じていた春の陽気は微塵もない。光が、届かない。暗い。私は無意識のうちにしゃがみ込んでいた。
絶望。この闇は絶望だ。漆黒が私を侵食する。いやだ、怖い。助け・・・て・・・。
絶望に飲まれかけた私の前に、ぽっと赤色が舞い降りた。一つ二つ、ひらひらと次第に数を増していく赤。私は一つの赤色をそっと掌に載せる。
桜の花びらだ・・・
見上げると、雄大な桜の木が目の前にあった。非現実的な赤色の花を悠々と咲かせ、赤い桜は残酷な赤色で私を魅了する。
「桜の木の下には、死体が埋まってゐるのです」
聞き覚えのある言葉、私は振り向いた。当然のようにそこに立っていた男はニコリと笑い、続きを語り始めた。
「死体の血を吸い上げて、白い桜は赤色に染まったのでせう。私は、死に場所を桜の下に求めたのです。
だから
この木の下には私の死体が埋まってゐるのです」
暗転
「御嬢さん、もうそろそろ閉館ですよ」
警備員のおじさんに声を掛けられた。いつの間にか元の場所に戻っていた私は、もう一度、桜の絵を見つめた。
「おじさん、桜って血を吸ったら赤い花が咲くのかな?」
顔見知りの警備員に尋ねる。
「そんなバカな。じゃあオレンジジュースを桜の根にこぼしたら、オレンジ色の桜が咲くんですか?」
そう笑って警備員のおじさんは、私に帰るよう促した。
確かにその通り、馬鹿げている。でも・・・、きっと私は赤い桜の「死」の気配に魅了された。
だからきっと、
桜の木の下には、死体が埋まってゐるのです。
赤い桜 武田コウ @ruku13
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