根性論なんて、もう古い? 3
「すみません、
いくつかの質問を繰り返した後、鈴木は残念そうに言った。
「母親のため、より良い職に就きたい。立派だと思います。柳さんの話を聞いて、さぞ努力しているのだろうと思いました。しかし、蓋を開ければ一度もプログラムを実行したことが無い。がっかりです」
洙田は困惑した表情を浮かべる。
当然だ。それなりに信頼していた転職エージェントから紹介された先で、まさか拒絶されるとは夢にも思わない。
「はっきり言います。別の道を探した方がいい」
もちろん鈴木はヒトの心が分からない鬼ではない。
だからこそ、あえて洙田に"現実"を告げる。
「プログラマの地位はとても低い。ほとんどの仕事は、技術を持たない人が作った設計図を形にするものです。一般的に下流工程と呼ばれる仕事で、給料も低い。プログラマとして高い報酬を得るには、自ら最新の需要を調査して、学ぶ必要があります」
例えば、と言葉を切る。
「最近であれば、AI、RPAがキーワードですね」
洙田はAIという単語ならば知っている。しかし、RPAという単語を耳にするのは初めてだった。
鈴木は言葉が伝わっていないことを洙田の雰囲気から察しながらも、あえて説明せず話を続ける。
「独学は孤独と苦痛を伴うものです」
鈴木は一呼吸おいて、問いかける。
「洙田さん。残業、好きですか」
「……好きでは、ないですね」
「そうですよね」
次に鈴木は、隣に座っている佐藤に目を向けた。
「佐藤さん」
「はい」
急に話を振られてビックリする佐藤。
「先週の土日は何をしていましたか」
佐藤は少し考える。
鈴木が質問した意図は分かる。だから求められている解答も分かる。しかし、引っかかる部分がある。
「例の眼鏡いじってたよ」
数秒悩んで、佐藤は鈴木の求める返事をした。
「ボクが依頼した仕事だね。休日にまで触らなくていいのに」
「楽しくなっちゃったから仕方ない」
「そっか。あとで作業時間教えてね。ちゃんと残業代出すから」
「ただの趣味だからいいよ」
「良くない」
「今月の残業100超えちゃうぞ?」
「うん、ごめん。この話は後にしよう」
こほんと咳払い。
鈴木は洙田に視線を戻す。
「さて洙田さん。IT関係の給与が高い職に就きたいあなたは、先週の土日、何をしていましたか?」
洙田は俯く。
彼は、疲れて寝ていた。先週だけではない。いつもそうだ。土日に何か作業をすることなど滅多に無い。
佐藤と呼ばれた女性は笑顔だった。
嬉々として、土日にも仕事をしていた。それが趣味だと言い放った。
洙田は鈴木の意図を理解する。
理解したからこそ、口を閉じた。
「何か特別な理由があるんですか?」
鈴木は沈黙した洙田に問い掛ける。
「どうしてもプログラミングを学びたい理由があるならば、教えてください」
言われて考える。
思い浮かんだのは、母親の顔だった。
何気ない雑談で仕事の話を聞かれ、パソコンを使っていると答えた。そのとき、母がプログラミングってかっこいいよねと、そう言ったのだ。
言えるわけがない。三十歳にもなって、こんな動機、どうして口に出せるだろうか。
「分かりました。無理に教えて頂く必要はありません。しかし、あらためて言わせてください。洙田さん、うちは未経験NGです」
鈴木は姿勢を正して、洙田に告げる。
「別の道を探すことをオススメします。ただ、もしも譲れない理由があるならば、一度で良いからプログラムを実行して、もう一度ここに来てください」
――その言葉は、きっと正しい。
「当塾は、あなたを歓迎いたします」
教育ビジネスでは、全く見込みが無い相手にもサービスを提供する。それが利益を最大化する選択だからだ。しかし鈴木は、利益を一番には考えていない。
「……分かり、ました」
洙田は力無く返事をした。
「柳さんには、こちらから詳細を伝えておきます」
「……はい、お願いします」
――鈴木の判断は、きっと正しい。
ここで一時的に技術を教えたとして、十年後、二十年後はどうだろう。自ら学ぶことの出来ない者は、決してエンジニアとして長続きしない。彼が立ち止まる度に面倒を見るなど不可能だ。
人として正しい判断。
ビジネスとして最悪な判断。
鈴木は客観的に考える。
ここまで厳しい言い方をすれば、きっと洙田は別の道を探すだろう。それは正解だ。ただ職を得ることが目的ではない。洙田の目的は、母にハワイ旅行をプレゼントできる程度に給与がある職を得ることなのだ。
しかし、もしも奮起して、もう一度ここに来ることがあるとしたら、エンジニアとして成功する可能性がある。その時は、しっかりと責任を取る。
決めるのは鈴木ではない。
鈴木は、塾は、彼の母親ではない。
金魚のように口を開けて、親や学校から何か与えられるのを待つだけでは、何も変えられない。
選べ。
鈴木は内心で叫ぶ。
鈴木は柳の言葉に胸を打たれ、
きっと、ありふれた物語だ。
世界は優しくない。
自ら立ち上がることのできない者は何もできない。
故に強者は弱者を突き放す。
心を鬼にして、自分の力で立ち上がれと叫ぶ。
もしも弱者が立ち上がったならば、喜んで手を差し伸べる。どれほど非力だとしても、人が前に進む姿は何より尊いからだ。
打ちのめされた弱者が根性論で立ち上がる。
物語の世界では、本当にありふれた話であろう。
だから彼女は――佐藤愛は、叫んだ。
「ふるぅううううううい!!!」
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