性別とか関係ないし! 終


「呼び出された理由、分かる?」

「……残業時間が、伸びた件でしょうか」


 社内に数多ある会議室のひとつ。

 数々のハラスメント行為を繰り返していた課長は、普段あまり顔を出さない部長に呼び出されていた。


 ――組織的な問題があった。

 課長――原が所属する組織は、彼以上の権力を持つ存在の目に届かないようになっていた。いや、そうなるように原が社内政治を繰り返した。


 原は信頼されていた。多くの実績があった。

 課長に就任してからも、きちんとアウトプットを出していた。課の残業時間も少なく離職率も低かった。


 だから部長は、彼からの定期的な報告を信頼して、しっかり管理できていると判断していた。


「先月、新人が辞めたらしいじゃん」

「……ああ、ええ。我が強く、他者との衝突も多い。何かと問題のある社員でした。私も仲裁に入るなど努力したのですが……力及ばず、忸怩たる思いです」


 よくもまあ、舌が回るものだ。

 全てを知っている部長は内心そう思った。


 ――退職代行サービス。

 課の離職率が低いのは、これまで社員の退職を受け入れなかったことが理由だった。


 原は本間百合の退職願を突っぱねた。

 結果、百合は退職のプロを派遣した。


 相手は社外の人間。法律関係にも強く、原の政治力を持ってしても退職を阻止することができなかった。


 それだけだと、原は思っている。

 新人が一人辞めただけであると、原は思っている。


「信じたくなかった」


 部長は残念そうに言う。


「長い付き合いだ。本当に信頼していた」


 原は鳥肌が立つのを感じていた。

 全身が痛いくらいに警鐘を鳴らしている。


「降格処分になったよ。俺がね」


 原は押し黙る。

 処分の理由は分かる。しかし頭が理解を拒む。


 おかしい。ありえない。

 こんなことは絶対にありえない。


「ちょうど課長の枠がひとつ空くからさ」

「……それは、その」


 部長は、獰猛な肉食獣のように原を睨む。


「おまえ、島の名前いくつ言える?」

「……島、ですか」

「そう、島だよ。実は俺、いくつかの島に工場持ってんだよ。まあ工場ってほど立派じゃねぇけどさ」

「あのっ、部長っ、チャンスをください!」


 原は真っ青になって提案する。


「大丈夫、寂しくねぇから。おまえの大事な部下も、ちゃんと一緒に送ってやるから安心しろ。おまえを可愛がってくれる兄ちゃんも沢山いるから」

「必ず連れ戻します!」

「できんのかよ」

「必ず! 全て、揉み消してみせます!」


 原は必死に命乞いをする。

 部長は憐れむような目で、それを聞いていた。



 ***



「これチェック終わり。よくできてるよ」


 佐藤さんと出会ってから一月。

 現在の私は、彼女に紹介されたゲーム会社で働いている。


「質問よろしいですか」

「うん、いいよ」

「現在テスト中の新ステージですが――」


 中学、高校時代の部活を思い出させる職場だった。

 平均年齢は三十歳前後。私を含めて十二人の社員が、朝から夜まで働いている。


「最後にひとつ。ゲームバランスについて提案があるのですが、本日の十五時から一時間頂けますか?」

「いいよ。時間あけとくね」

「はい。では後ほど」


 振り向いてから、あくびをかみころす。

 最近、とても寝不足だ。仕事の量も質も前の職場とは比にならない。当然、残業時間が増えた。さらに言えば給料も減った。数字だけ見たら最悪だ。


 ……ええっと、残りのテスト項目を終わらせた後で例の資料をまとめて、それから仕様変更が……ああもう! 仕様変更多過ぎ!


 内心で不満を叫びながら、席に戻ろうとする。


「佐藤さん、あとで時間貰えるかな?」

「うん、了解。チャットする」


 佐藤さん。

 その名前を聞いて、足を止めた。


 もちろん別人である。

 日本で最も多い苗字、耳にするのは珍しくない。


 ただ、ふと思い出した。

 ――次の場所では、積極的に好き好きしよう


 振り返る。

 ほとんど反射的に、声を出す。


「あのっ、渡辺さん!」

「ん? まだ何かあった?」

「いえその……」


 ……いやいや無理無理。言えるわけないじゃん。

 仕事中に? 突然? 好きとか? 無理無理ゼッタイ無理。


「……その、ですね」


 しかし、ふと考えてしまう。

 先程の自分の態度は、どう思われたのだろう。


 まるで機械みたいに事務的な言葉。

 確かに忙しくて、雑談をする余裕なんかない。


 それでも――


「確認、ありがとうございました」

「あはは、なにそれ。べつにいいのに」

「いえ、こういうのは、しっかり伝えるべきかなと」

「そっか。本間さんこそありがとね。優秀な人に入ってもらえて嬉しいよ」

「恐縮です」


 顔が熱い。

 ムズムズする。


「私も、その……」


 それでも、どうにか伝える。


「仕事が早いのは、とても……好ましく思います。今後ともよろしくお願いします」

「……あはは、急にどうしたの。ツンデレ?」

「わ、笑わないでください!」


 ツンデレ! と周囲も煽る。

 私は全方位に「うるさい!」と子供みたいに言い返して、


「お手洗い行きます!」


 本当に、おかしい。

 みんな成人しているはずなのに……なんなんだこれ。


 こんなの知らなかった。

 仕事って、こんなに楽しかったんだ。


 ――着信、非通知。

 一応、本当にお手洗いへ向かった。そこで鏡を見て表情を落ち着かせていたら震えたスマホ。私は少し悩んでから応答する。


 非通知なので、こちらからは声を出さない。

 少し待つと、男性の声が聞こえた。


「あの、こちら本間さんのお電話でしょうか?」

「はい、本間です」


 知り合い? 誰だろう。


「お久し振りです。わたくし、原と申します。率直にその、大変申し訳ありませんでした」


 原……? えっ、クソ課長!?

 うわうわうわ、気持ち悪い。全然口調違う。


「目が覚めました。どうか、直接会って謝罪させて頂きたい」


 うわうわうわ、オレオレ詐欺の方がまだ信用できるよ。なにこれ怖い。


「いや普通に無理ですけど――あっ」

「……っ」


 やっば、思わず素で返事しちゃった。

 電話の向こうでキレてるだろうなこれ。


「……」


 息を吐く音。


「そうですよね。わたくしの所業を考えれば、当然の返事です。しかし、神に誓って、生まれ変わります。だからどうか、どうか謝罪の機会をください」


 涙声のクソ課長。

 いやあんた神様とか信じてないでしょ。


「本間百合さん。本当に、ほんっとうに、申し訳なかった。わたくしが、悪かった」


 正直、ここまで必死に謝罪されれば、まあ話くらいは聞こうかなという気分になる。


 当時の……ほんの一月ほど前の私は、あらゆる絶望を与えたいと思っていた。その感情は、多忙だけど充実した日々を送る間に――どうやら、全く変わっていなかったらしい。


「電話切っていいですか?」

「待ってくれ!」


 あえて、直球。

 予想が正しければ、このクズは同情を誘うために自分が受ける処分について話す。


 それが聞きたい。

 このクズがどうなるのか知りたい。


 ――人を呪わば穴二つだよ。


 佐藤さん、ごめんなさい。

 私、今だけ悪人になります。


「家族が、いるんだ」


 はあ、と気のない返事をする。


「君が戻らなければ離れ離れになってしまう」

「出向ってことですか? どこに?」

「……どこかの、島だ」


 咄嗟に唇を噛んだ。

 ギリギリだった。

 あとコンマ一秒でも遅れたら吹き出していた。


 だって、笑うでしょ。

 島流しって、そんなことある?


「頼む。俺が悪かった。なんでもする。娘がもうすぐ中学生なんだ」

「そうですか。それは大変ですね」

「一千万でどうだ? 他にも例えば、本間の企画を通すことだって出来る。なんでもいい。望みを言ってみてくれ」

「望み、ですか」


 私は少し考えて、


「ビデオレターください」

「……は?」

「島での生活風景とか」

「待て、考え直せ。なんでもだ。お前の望みをなんでも叶える! 本当だ!」


 あまりにも必死な課長。

 なんだか可哀想に思えてしまう。


 だから私は、もう終わらせることにした。


「課長、聞いてください」

「なんだ? 何かあるのか?」


 すーっと息を吸う。

 スマホに口を近付けて、私は言う。



「ざまあみろ」



 直ぐに電話を切って、着信拒否。非通知も拒否。

 スマホを胸ポケットに入れて、ふと鏡に映る自分を見る。


「……めっちゃニヤニヤしてる」


 堪え切れず、笑う。大笑いする。

 もしも他に誰か入って来たら、どう説明しようか。


 知らない。どうでもいい。

 だって、こんなの、笑うしかない。


 愉快だ。本当に愉快だ。

 嬉しいのに、涙が止まらない。


「……やばい。化粧崩れる」


 つらかった。本当につらかった。先が見えなくて、転職が決まらなくて、誰も助けてくれなかった。


 だけど私は、笑えている。前に進めている。

 それが誇らしい。途方もなく、嬉しいのだ。



 ***



「お、ツンデレちゃん戻って……ごめん、泣くほど嫌だった?」

「え? ああ、これは違います」


 私は微妙な空気になった職場を見渡して、えっへんと胸を張る。


「ちょっと好感度上げすぎちゃったかなと思ったので、顔面偏差値下げてきました!」

「ははは、なんだそれ」

「皆さん笑い過ぎです。サボってたらまた残業ですよ! 仕事仕事!」


 学校の部活みたいな雰囲気。

 私は自席に戻って仕事を再開する。


「とても良い職場だね」

「……ええっと」


 隣の人に声をかけられた。

 ……このおじさん、誰だっけ。


「ああ、すまない、ついね。気にしないで」

「いえその……ああ、松崎さん」


 名札を見て、名前を見て思い出す。直接話したことは無いけれど、私の少し前に転職してきたエンジニアのことを聞いた覚えがある。


「確か、転職したばっかりなんですよね?」

「誰かから聞いたのかな?」

「渡辺さんが面接の時に話してました。最近強い人がいっぱい転職してるけど、何かあったのかなって」

「あはは、強い人か。なんだか恐縮だね」


 松崎さんは手を止めて、何か思い出すように顔を上げた。


「社長が変わってね。それまで一番頑張ってた人が解雇になった。それでカチンと来てね。今風に言うと、激おこぷんぷん丸だった」


 微妙に古い。しかし私は「なるほど~」と話を合わせた。茶化せる雰囲気の話ではない。


 松崎さんは寂しそうな顔をしたあと、急にハッとして、悪戯をする子供みたいな態度で言う。


「まあでも仕方ない部分もある。その解雇になった人、なんとコスプレして働いていたんだよ」

「コスプレですか」


 思わず笑う。

 仕事中にコスプレなんて――まあ、あまり珍しくないかもしれない。


「実は私も、コスプレが転職のきっかけでした」

「それは面白い偶然だ。詳しく聞けるかな?」

「そうですね。なんていうか、すっごく低クオリティなコスプレ衣装で、設定もガバガバ。全くキャラ愛が感じられない。なんだこいつって思いました。ほんと第一印象最悪だったんですけど――」


 私は、佐藤さんについて話をした。

 これがきっかけで、ときどき松崎さんと会話するようになった。


 松崎さんは、他の社員と比べて一回り高齢だ。その分ものすごい技術を持っているけれど、他の社員と話題が合わない。だから会話に混ざれず寂しそうにしていることが多かった。その姿が、なんだか過去の自分と重なって見えた。


 私は積極的に声をかけた。分からないことを質問したり、逆に私が若者文化――例えばSNSを教えたりした。


 新しい居場所。

 学校の部活みたいな職場。


 最初に作ったゲームが奇跡的にヒットして、二作目はもっと頑張ろうと盛り上がっている。そのゲームは現在の人数で作るには規模が大きくて、毎日のように残業。一部の人は会社に住んでゲームを作っている。


 正直つらい。いつも眠い。

 目の下が日に日に黒くなっていく。


 だけど、そんな日々が楽しくて仕方ない。

 本当に、とても、とても、楽しくて仕方がない。






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【書籍リンク】

小説

https://pashbooks.jp/series/oneope/oneope2/


コミカライズ

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