性別とか関係ないし! 3


「大変、だったね」


 ソファに人影がふたつ。

 まるでホストみたいなコスプレ衣装の佐藤と、彼女の膝に頭を乗せる小柄な女性――本間百合。


 話を聞き終えた佐藤は耳元で囁くようにして言った。その短い言葉が、百合の感情を震わせる。


「……そう、なんですよ」


 優しい声が、全身に染み渡る。


「……がんばったんですよぉ!」


 押し殺していた言葉が溢れ出る。


「誰にも言えなくてっ、負けたくなくてっ、一人でずっと、ずっと……っ! うわぁあああ!」

「よしよし。偉いね。強いね。大変、だったね」


 ホストのような衣装で、しかし聖母のように百合を癒す佐藤。百合は、これまで溜め込んだ感情を一気に放出するかのように叫ぶ。


「打ちのめしたい!」

「そうだね。ブチ転がしたいね」

「ありとあらゆる絶望を与えたい!」

「うんうん分かるよ。ムキムキマッチョで穴さえあれば構わない鬼畜の巣に放り込んで感度3000倍まで開発したあと一般社会に戻してあえて幸せな生活を提供することで普通の生活じゃ満足できない体になったことを痛感させてから紛争地域に派遣したいよね。秩序が存在しない集団の玩具として感情を失うまで遊ばれた後で奇跡的に救われて長い時間をかけてようやく感情を取り戻したところで裏切られて絶望して紐無しバンジーみたいな人生を歩んでほしいよね」

「生温いですよそんなの!」

「よしよし限界だね。殺意が強過ぎるね」


 部屋の隅でガタガタ震える鈴木。

 しかし佐藤は、百合から放出された禍々しい憎悪を真正面から受け止める。


「でもね百合ちゃん。人を呪わば穴二つだよ」

「うるさい! 凌辱されたら穴三つですよ!」

「おエロいこと。もうちょっと感情抑えようね」

「無理ですよ~!」


 佐藤のコスプレ衣装を様々な液体で汚す百合。

 しかし佐藤は、笑顔を崩さない。


「百合ちゃん、転職活動してるんだよね」

「……そうです」

「とっても正しいよ。でも、このままだと次も同じことになっちゃうかも」

「……なんでですか?」


 あのね、と囁いて。


「百合ちゃん。今の職場で、相手のこと、一度でも好きって言った?」

「言うわけないじゃないですか」

「どうして? その人は、最初に会った時から悪い人だったの?」

「……そうですよ。当たり前じゃないですか」


 最初から嫌な感じがしていた。

 相手を馬鹿にするような悪意が滲み出ていた。


「じゃあ、その人にとっても、百合ちゃんは最初からいじめたくなるような子だったのかな」

「……それは」


 分からない。

 分かるわけがない。


「百合ちゃんは、人に好かれたい?」

「……それは、まあ。可能なら」

「なら、こっちから好きって言わなきゃだよ」

「……っ」


 とても胸に刺さる言葉だった。

 思い返せば、自分の人生で、誰かに好きだと伝えたことがあっただろうか。


 もちろん態度で示すことはあった。

 尊敬できるような人には相応の態度を見せた。


 しかし、言葉にしたことは、あっただろうか。

 

「次の場所では、積極的に好き好きしよう」

「……でも、男なんて」

「関係ないよ、性別なんて」


 佐藤は、上を向いた。

 その目に映るのは過去。仲間と一緒にオルラビシステムを開発した日々のこと。


「一生懸命頑張ってるときは、性別なんて関係ない」

「……佐藤、さん」


 出会ったばかり。今初めて話す二人。しかし、何かが通じ合う。初めて読んだ小説の登場人物に感情移入するみたいに、これまで必死に生きた人生経験が、見えないところで重なり合う。


「じゃん!」

「わっ、急にどうしましたか?」


 佐藤が見せたのはスマホ画面。


「……ゲーム?」

「うん。これ前の仕事辞めた直後の現実逃避先だった神ゲーなんだけどね?」

「ちょっと待ってください前振りが重いです」

「待たない! これ作った会社、実はスタートアップで新人を募集しているのだよ」


 へー、と興味を示す百合。


「売り込もう!」

「……でも、通用するかな」


 スタートアップ。

 百合のイメージは情熱と実力を持った集団。


「自己PR用のアプリ作ろう!」

「……でも、作る時間ないですよ」


 それは彼女が抱える最大の悩み。

 転職活動をするにも金が要る。今の生活を維持するだけでも金が要る。だから次が決まるまで、今の場所から逃れられない。新しいこと始める時間の余裕なんか、どこにもない。


「アルバイトしよう!」

「……アルバイト、ですか」


 百合は目線を下に向けた。

 その選択は、プライドが許さない。


「……なんか、惨めじゃないですか」

「どうして?」

「だって私、さっさと転職決めてクソみたいな職場を捨ててやるって……大学も卒業してるんですよ?」

「いいじゃんそんなの!」


 佐藤はきっぱりと言った。


「でもっ……逃げじゃないですか?」


 百合は食い下がる。

 佐藤はゆっくりと首を横に振る。


「逃げてもいいんだよ。だって、このまま苦しいが続いたら、歩けなくなっちゃう。でも今ならまだ間に合う。今だから、まだ間に合うんだよ」

「……でも」


 負けるもんか。それが彼女を今日まで支えた感情。擦り切れた心にひとつだけ残っているもの。だから譲れない。簡単には、気持ちを変えられない。


「争いは同じレベルの者同士でしか起こらない」


 アニメで聞いた言葉なんだけどね。

 佐藤は前置きをして、


「立ち止まって邪魔をするような人に構うなんてアホらしいよ。道を変えよう。ちょっと後戻りするかもしれないけど、大丈夫。前を向いていれば、今よりもっと先に行ける。私がそうだったから」

「……今より、先に」


 百合は顔を上げる。

 佐藤は優しい表情で見つめ返す。


「百合ちゃんなら、できるよ」

「……佐藤、さん」


 百合の瞳に光が灯る。

 佐藤は、満足そうな様子で言う。


「よっしゃ! アプリつくりゅ、作るよ!」

「……もう、そこ噛まないでくださいよ」


 ふふ、と初めて笑みを浮かべる百合。

 それを見た佐藤は、子供みたいに目を輝かせる。


「泥と林檎、どっちか経験ある?」

「泥なら、趣味で何度か……」

「じゃあそれ! アイデアは何かあるかな?」

「ええっと、没になった企画で、いくつか」

「じゃあそれ! やるぞ~!」

「……お、おー!」


 二人はアプリを作り始めた。

 その様子を鈴木は陰から見守っていた。


 ……また、はぐらかされそうだな。


 お客さんのプライベートにガッツリ介入する。

 それは会社としてありえない対応だ。それで相手が今より悪い状況になった場合、どう責任を取るのだろうか。


 ――鈴木を苦しめていた問いのひとつ。


 世界を変えたい。

 鈴木は佐藤にそう言った。


 技術者の心に寄り添いたい。

 鈴木が最も大事にしていること。


 しかし、常識が邪魔をする。

 理想を実現するには多くの壁がある。


 きっとこれは、ひとつの正解なのだろう。

 目を細めてキーボードをカタカタ叩く本間百合と、隣であれこれ指導する佐藤愛。二人の様子を見て、鈴木は思う。


 ……本当に、すごい人だ。

 昔からずっと、君は変わらないね。


「あの、今日は本当にありがとうございました」

「ううん、アプリ完成しなくてごめんね」

「いえそんな……あとは、頑張ります!」

「うん。私ここに居るから、いつでも受講してね」

「はい!」


 ところで、と百合は前置きをする。


「ジャケット、脱いでもらってもいいですか?」

「いいよー? どしてー?」


 普通にジャケットを脱いだ佐藤。

 目が合う。百合はクスっと肩を揺らして言う。


「やっぱり、解釈違いです」


 立ち上がる。

 振り返らず、前を向いて歩き始める。


 途中、鈴木が呼び止めた。

 一応、この塾は慈善事業ではない。だからビジネストークをする。アンケートの依頼や受講の勧め。男が苦手だと言った百合は、しかし素直に話を聞いた。

 

 性別なんて関係ない。

 一生懸命頑張ってるとき、人は前だけを見ている。



 ――私は、これから遠回りをする。



 まずは仕事を辞めて、アルバイトを始めて、アプリを完成させて、再就職。いや、いきなり面接を受けてもいいかも。どうしようかな~?


 とにかく、やることがいっぱいある。

 あのクソ課長に勝つとか負けるとか、もういい。


 というか、あの職場もう私が居なきゃ回らないでしょ。そうだよそうに違いない。さんざん仕事を押し付けやがって、ざまあみろ。


 あー、それが見れないのはちょっとだけ残念かな。

 でも、もう考えないことに決めた。だって、あんな連中に頭を使う時間がもったいない。やるべきことが決まったのだから。


 私は、今よりもっと、前に進むんだから! 



 ***



 本間百合が帰った後のこと。

 鈴木は、やり切った表情の佐藤に問いかける。


「佐藤さん、さっきの……私がそうだったからって、前の職場の話?」

「えっと……あー、あれね」


 佐藤は自分の発言を思い出して、


「プログラミングって頻繁にハマるんだよね」

「……ハマる?」

「進まなくなるってこと」

「……ああ、なるほど」


 嫌な予感がした。

 佐藤はハキハキとした口調で続ける。


「もうダメだって思った時は、速攻で切り替えて別の方法試すと案外上手くいくんだよね」

「……つまり?」

「プログラム塾だからね! 心構えも教えないと!」


 鈴木は思う。


「……まさかとは思うけど、今日みたいな対応、初めてじゃなかったりする?」

「あんなの日常茶飯事だよ~」


 心の底から思う。


「自慢するとね! 私がコスプレ始めてから一人も入院してないんだよ! 聖女様とお呼びなさい!」

「……そっか」


 聞かなければ良かった。

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