おにぎりを温めるなら5分待つ方がよい理由

尾崎ゆうじ

本文

 金曜日の夕方、すでに美沙子先輩と一緒に、近所のコンビニへ立ち寄ったら、案の定、先輩が店員さんに絡みはじめた。


「ねえねえ、君、ちゃんと『年確』しなくていいのぉ?」


「えっと、ねんかく、ですか……?」


 青い縦じまのユニフォームを着た店員さんが首を傾げた。若い男性の店員さんで、おそらく私たちよりも年下だろう。高校生かな?


 背が高く、黒髪の短髪でさわやか系。普段はまじめな顔で仕事をしているのに、困ったとき、はにかむような可愛らしい顔を見せる。先輩はそれがお気に召したようだった。


 ちなみに『年確』は、『年齢確認』の略。お客さんがお酒やたばこを購入する際に、未成年かどうかを尋ねるやつ。


「いいから、気にしないで」


 私は店員さん──名札を見ると『望月くん』──に同情しつつ、その缶ビールのバーコードスキャンを促した。彼は「はいっ」と返事をし、作業を再開した。


「えー、なんでそういうこと言うのよう」


 先輩は絡み足りないのか、不満げに頬を膨らましたが、他のお客さんたちが来店したため、おとなしくなった。そのまま放置していたら「逆に、あたしって何歳に見える?」なんてをおっぱじめそうだったので、助かった。


 絶対うざいやつですから、やめましょうね、それ。


 望月くんはてきぱきと会計を終わらせ「ありがとうございました」と、私たち2人を送り出した。


 気のせいか、そのとき発した彼の声は、どこか事務的にも感じられた。もしかしたら『面倒な客だったな』と思われたのかもしれない。

 だとしたら心外だ。この人とは同類視されたくないなぁ。


 見通しの悪い駐車場で、先輩が車にぶつかりそうになっているのを助けつつ、ため息を漏らした。


 その後は私のアパートで、先輩と映画のDVDを観ながら一夜を明かした。先輩は酔っていびきをかきながら、早めに寝落ちした。


 私はそれを横目に、『この人はモテないだろうなぁ』なんて失礼な評価をくだしつつ、あの店員さん──望月くんのことを考えていた。


 それから、毎週金曜日をコンビニに行く日と決め、夕飯のおにぎりを買うついでに、彼にちょっとだけ声をかけるようになった。行く時はもちろん1人。いまいち判断が難しいけれど、美沙子先輩に比べたら、好印象を与えていると思う。 

 



 その日、サークルの活動が金曜日にあった。ゆるめの映研サークルで、大学の小講義室にて映画をみんなで観るだけ。それでも備え付けのスクリーンを使うので、軽いルームシアターのようになる。


「これから飲みに行かない?」


 すでにほろ酔いの美沙子先輩から誘われたけど(校内だろうと映画鑑賞の時はビール必須らしい)、今日は適当な理由をつけて断った。


「えー? あたし最近気になるひとできたから、相談したかったのにー」


「すみません、また今度で」


 私はいかにも用事があるように、そそくさと大学をあとにした。


 そしていつものコンビニに立ち寄った。望月くんがいると思って。


 しかし彼の姿はなかった。今日代わりにいたのは、妙に髪が長くて、態度もダルめの男性店員だった。失礼ながら「お前じゃないんだよなー」と思い、舌打ちしてしまった。


 その次の週も、望月くんはいなかった。


 どうしたんだろう……?


 コンビニのバイトは続きにくいって言うし、もしかして、やめちゃったのかな……?


 私は寂しさが込み上げた。



 

 その翌週の金曜日。


「あ、いた!」


 意図せず大きな声が出てしまい、コンビニ店内にいた立ち読み男性客の視線が、こちらに向いた。うわぁ、痛いぞ自分。


 私は顔が熱くなってくるのを自覚しつつ、カウンターの向こうに立っていた望月くんに、小さく手を振った。


 慣れ慣れしいだろうかと不安になったけれど、すでに大声を出してしまっている以上、そうするしかなかった。望月くんは、はにかむように笑ってお辞儀した。


 少しほっとした。変な顔をされたらどうしようかと思った。


「ここのところいなかったからさ、やめちゃったかと思って、心配したんだよ」


 私がおにぎりをカウンターに置くと、望月くんが対応してくれたので、話しかけた。いや、本当のことを言うと、望月くんの手が空くのを見計らっていた。立ち読み客の他にお客さんがいなくなり、ちょうどいいタイミングだった。


「いえ、中間のテスト期間だったので休ませてもらったんです」


 彼が応える。


「へえ、そうだったんだ。ほんとに真面目だね。あ、おにぎり温めて」


「はい」


 私は代金分の小銭が財布に入っているかを確かめつつ、ちらりとその顔を見た。わずかに目が合った──が、彼はすぐに顔をそらし、流れるような動作でおにぎりを電子レンジに入れて操作した。その温めている間に、小さなビニール袋を素早く用意する。


 仕事熱心だ。


 それからも望月くんと話を続けた。彼は現在高校3年生で、受験生らしい。


 しかし、今はもう5月だ。彼は勉強する時間が欲しいと思いつつも、まだバイトを辞められずにいるようだ


「どうして? 店長が辞めさせてくれないとか?」


 私は尋ねた。


「まあ、理由はいろいろあるんですけど……」


 その返答はどこか歯切れが悪かった。


「いろいろ?」


 もう少し詳しく聞きたかったが、それは叶わなかった。先ほどまで立ち読みしていた男性客が、いつの間にか後ろに控えていたのだ。


 私はコンビニから退散し、アパートへ帰った。


 その小さな部屋でインスタントの味噌汁をすすり、おにぎりを食べた。中の具である梅干しの酸っぱさが、舌先にしみた。


「いろいろ、ねえ……」


 普段ならスマホで動画を観たり、友達とラインしながら食べるのだけど、今日はそうせずに、望月くんのことを考えていた。先ほど話していた、バイトを辞められない理由についてだ。


「苦学生ってやつなのかな……?」


 もしかしたら彼の家庭は貧乏で、生活が苦しいのかもしれない。


 いや、そこまでとは言わないまでも、大学の入学費用が足りないから、自分で稼いで足しにしている、という可能性は充分にある。昨今は奨学金を返すのも大変だって聞くし……。


 それならば、あれだけ業務に対して真面目なのもうなずける。クビになるわけにはいかないだろうし、しっかり仕事ができれば、時給が上がることもあるだろう。


 なんかもう、それで確定な気がする。


「えらいよなぁ」


 私は勝手に決めつけて納得し、つぶやいた。


「……大違いだな、私とは」


 彼は高校3年生で、受験生。でもお金を稼がなきゃいけない理由があって、あんなにしっかり働いてる。なんなら他の店員より優秀なんじゃないだろうか。


 一方で私はというと、のんきな大学1年生。裕福というほどではないけれど、親が当たり前のように学費を払ってくれているし、生活費も振り込んでくれる。私がしていることと言えば、勉強と、お遊びのサークルと、小遣い稼ぎでやってる、教授の研究室の書類整理くらい。


 『当たり前のように』と言いつつ、当たり前ではない。仮に4年後、自分が社会に出たとして、両親と同じように働き、稼いだ何百万円というお金を子供に払えるだろうか。ましてこんな、のほほんと遊んで暮らしているような娘に。


 そんな折に、ちょうど母からラインが届いた。心配性の母は、わりと頻繁に連絡をよこしてくるのだ。


 世間話ついでに『バイトしよっかな』とメッセージを送ったら『バイトするために大学入ったんじゃないでしょ』と一蹴された。


「はあ……」


 デブるかな、なんて思いつつも、食べてすぐベッドに寝転んだ。自分が無価値な人間に感じられて、ため息が漏れた。


 以降も金曜日はコンビニに立ち寄ったものの、ちょうど他にお客さんがいて、望月くんと会話をする機会はさほどなかった。話ができたとしても、また自分の無価値感を味わう気がして、あまり突っ込んだ内容の会話はしなかった。


 まあ、そもそも『コンビニの店員と客』という立場なのだから、それが普通だけど。




 ところがその次の金曜日、事件が起きた。


 コンビニに寄ったら、カウンター越しに望月くんと誰かが、何やら仲良さげに話をしていた。私がその人物に気づいたのは店内に足を踏み入れてからのことだった。


 なんと美沙子先輩だった。


「あ、春美じゃん」


 先輩は私の姿を認めるなり、明るい調子で手を振ってきた。私は反射的に、


「お、お疲れ様です」


 と会釈をしたが、数秒の間、その場で固まっていた。


 なんで美沙子先輩がここに? 確かに今日はサークル無かったけど……。


 先輩は望月くんに手を振り、こちらへ歩いてくる。そして私の肩にポンと手を置き、意味深な微笑みだけを残し、外へ出てしまった。


「な……」


 何なのそれ、どういう意味なの?


 私は呆気に取られ、望月くんの顔も見ぬままに、ぐるりと遠回りをしておにぎり売り場まで歩いた。


 なんで先輩がこの店に。というか、いつの間に望月くんとフレンドリーになったの?  彼だって、私と話してる時よりも楽しそうだったんだけど。そういえば先輩、『最近気になるひとができた』とか喋ってたけど、それって……? もしかして2人って、もう……?


 美沙子先輩、モテない人だと思ってたのに……。


 私はのろのろとおにぎりを手に取り、レジへ持っていく。


「仲良く、なったんだね」


 対応してくれた望月くんにそう尋ねた。彼はおにぎりをスキャンする手を止め、いつもの困り顔を見せた。


「えっと……まあ、はい。ちょっといろいろ、相談に乗ってもらったりして」


「相談、へえ」


 ふぅん。そういう馴れ初めか。だったら私だって──と思ったけど、こちらは週に1度、金曜日だけ。そのほかの日に先輩が何度も来ていたら、敵わないか。いや、訪問頻度の問題じゃないかもしれないけどさ。


「……おにぎり、温めてね」


 私はヘコみつつ、提示された金額ぴったりの小銭をトレーの上に置いた。


 すると、望月くんがおにぎりを持ったまま尋ねた。


「あの……5分、かかってもいいですか?」


「は?」


 私は聞きまちがいかと思った。


「えっと、おにぎり温めるの、5分だけ待ってもらってもいいですか?」


 そのせいか、望月くんも慎重な感じで繰り返した。


「いや、そんなに時間かからないでしょ、それ」


 いつも買ってるおにぎりだ。10秒かそこらですぐに終わる。


「違うんです、今日は、その……」


 望月くんはきょろきょろと店内を見回した。私の他に、お客さんはいない。


「お客さんって、いつだったか、ここで事故があった時に仲介役してましたよね」


 いきなり話が飛んだ。おにぎりはどうした?


「まあ……あったね。そういうこと」


 たしか大学に入ったばかりの頃だ。ちょうどこのコンビニの駐車場で車両同士がぶつかる軽い事故があった。たまたま私はその場に居合わせており、運転手のおじさん同士がちょっと揉めそうだったので、すぐに警察を呼んだ。結果、彼らの話し合いが終わるまで、目撃者として立ち会う羽目になった。不運だったとしか言いようがない。


 じつは望月くんも、その現場を目撃していたらしい。店に忘れ物をして、それを取りに訪れた帰りのことだったそう。


「僕、あんまり関わりたくないんですよね、ああいうトラブルって。めんどくさいっていうか、時間取られちゃうし」


 彼は目を伏せ、恥ずかしそうに言う。


「別にいいんじゃない? 学校もバイトもあって、受験勉強もしなきゃいけないんだし……」


 いまの私も、時間を取られようとしてるけど。


「そうかもしれないですけど、すごいと思います。来年の僕が同じ状況に遭遇しても、たぶんそんな対応はできないので」


 私は首をひねった。


「そうかな。望月くんの方がすごいと思うけど」


「いや、そんな……」


 望月くんは首を横に振り、ふと外に目を向ける。


「とにかく、今日は待っててもらえませんか」


 そしてもう一度、改めて言った。するとその時、お客さんが3人ほど店に入ってきた。1人は、缶コーヒー1本を片手に、レジへ向かって来た。


「まあ、わかった。じゃあ外で待ってるよ」


 私がそう応えると、「はい!」と、とても良い返事がかえってきた。なんなの、本当に。


 望月くんの目的はわからぬまま、私は居場所を失い、外へ出た。


「待ってろって、お願いされたんでしょ?」


 するといきなり、声をかけられ驚いた。見ると、店の陰から美沙子先輩が顔をのぞかせ、にやにやと笑っていた。帰ってなかったのか、この人。


「な、なんで知ってるんですか?」


 そしてなんでまだ居るんですか。


 私は先輩へ詰め寄るように近づいた。


「だってあたしが焚きつけたんだもーん」


 彼女は体をくねらせ、からかうように告げた。


「どういうことですか?」


「あたしの彼氏が、ここの夜勤しててね」


「彼氏?」


 私は首をひねった。


 話によると、めでたいことに先輩は最近、恋人ができたらしい。それが例の気になっていた人だそう。で、なぜかその彼が、今からこの店のシフトに入るそうだ。


 ……やっぱり話が見えないんですけど。というか、気になってる人って望月くんじゃなかったの? 


「あ、来た来た!」


 美沙子先輩が言うと、その見晴らしの悪い駐車場に黒いセダンが停まった。


 降りてきたのは、なんとあの、長髪のダルい店員だった。えぇー、あれが先輩の『気になってたひと』だったんだ。


「遅刻するよ、早く早く!」


 彼は美沙子先輩に背中を押され、やはりダルそうに、しかし速足で店内に入っていく。


 すると先輩だけはドアの手前で立ち止まり、こちらを振り返った。


、望月くん、バイトやめられないんだって」


「え……?」


「だから、『じゃあ話してみたら』って、勧めたわけよ」


 私がその意味を理解する前に、先輩は「それじゃーねっ」と店内に入ってしまった。いたずらっぽい笑みを浮かべて。


 整理しよう。そう考えつつ、鼓動が徐々に早くなるのを感じた。


『気になるお客さん』って、誰のこと? それで『お客さんと店員じゃない時』って

、いつのこと?


 スマホを取り出してみると、時刻は18時になっていた。あれからちょうど5分経っている。胸が勝手にばくばくと脈打つ。


 顔を上げると、ガラスの自動ドアの向こうに、望月くんの姿が見えた。青と白のユニフォームではない。その手には、おにぎりが入っているであろう、ビニール袋。


 目が合った瞬間に、ドアが開いた。


 大人の余裕は──見せられそうにない。



(おしまい)

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おにぎりを温めるなら5分待つ方がよい理由 尾崎ゆうじ @sakurakanagu

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