第1話 予兆

「……きて、起きて、リュウ」


 体が揺すられているのを感じ重い瞼を開け、太陽の眩しさに眉間にシワが寄る。

 リュウ、と呼ばれた少年は眠い目を擦りながら体を起こし、起こしてくれた声の主にお礼を言う。


「起こしてくれてありがとう、ユキ」

「ん、それが私の仕事」


 礼を言うと、ユキという少女はぶっきらぼうに答える。

 

「それで、今日はどこで仕事なんだ?」

「旧関西地区」

「げぇ、人が多いところじゃないか」

「でも仕事」

「わかってる、それじゃあ行こう」

「ん」


 返事の瞬間、もうそこにはリュウの隣に立っていた少女の姿はなく、それと引き換えにリュウの服装が変わっていた。

 藍の外套と腰には一本の日本刀を差した姿は齢15歳には不釣り合いな姿である。

 しかし、リュウは少し申し訳なさそうに自分の愛刀に向かって語りかける。


「ユキ、まだ着替えてないんだけど……」

『行こうって言った』

「言ったけど、俺にも色々準備があるもんで……」

『むぅ……』


 不服そうに変身を解除し、少女の姿に戻る。


 ユキは呪式妖刀じゅしきようとうと呼ばれる呪いを含んだ近接兵器、つまり彼女は人間ではなく、刀に籠められた“呪い”なのである。

 そして、現在の人類を影で支えている最後の希望だ。


 〘祝福のXデイ〙から10年経った今でも“祝福”は続いている。

 しかし、数年前、突如として現れた〘穢者ケガレモノ〙と呼ばれる人間達により祝福の被害者はぐっと減少した。

 リュウもその一人だ。


「ユキ、良いよ」

「ん」


 準備が整ったリュウが声をかけるともう一度リュウを藍の外套が包む。

 まるで大正ロマンと呼ばれるような和洋折衷の服装となったリュウは宿舎の外に停めてあったバイクに乗り込み、旧関西地区へと向かった。


 旧関西地区と呼ばれている区域はXデイでも被害のあった場所であり、旧関東地区の次に死者が出たそうだ、大阪府の中心部は今でも封鎖されており、今でも10年前の祝福を受け、神の傀儡となった〘骸〙が徘徊しているそうだ。

 今日はその周辺のパトロールである。


 封鎖用の隔離壁のそばにバイクを止め、徒歩で歩き始める。

 昨今、祝福のスパンが縮んで来ているらしく、集中力を切らさないように歩く。


 それは、数十分歩いた頃のことだ。


「ん?」


 石ころが足に当たり、コロコロと転がる。

 それを目で追い、顔を少し上げると、そこには異様な光景が広がっていた。


「壁が…!!」


 一部の隔離壁が砕け、中から大量の骸が溢れてきていた。


「呪式展開!!ここで止める!!」


 迷いなく飛び出したリュウの全身を赤黒いモヤが包み、速度が上がる。

 一閃。

 光速の斬撃は数十体の骸を一斬りで屠る。

 骸は一体一体の戦闘力は高くはないが怖いところは物量だ。

 今目の前にいるだけでも数百体、一人では捌いても先にこちらの体力が切れて終わりだ。

 あと二人は味方が欲しい。

 通信機を取り出し増援を要請する。


「こちらリュウ、増援をお願いします!旧関西地区Cブロック隔離壁前です!!」


 通信を終え、再度群れに目を向けたとき、リュウは絶望した。

 そして、増援を呼んで良かった、と安堵した。


 群れの中心に神の遣い、四羽根の天使を発見したのである。


 なんで、なんで天使なんかが、居るんだよ。


 天使といえば毎回大事件が起きるときの前兆的存在だ、ここでなんとかしなければ、なんとかしなければ。


『リュウ?』


 頭の中にユキの声が響く。

 しかし、リュウには届かなかった。

 通信機に手をかけ震えた声で通信を入れる。


「て、天使を1体確認、お、応戦します」

『ダメ、下がって、逃げてリュウ、ユキ達じゃ敵わない』

「う、う、うあああぁあぁああ!!!!!!!!!」


 敵わないと思いながらも、リュウは駆け出していた。

 愛刀ユキの声も聞こえないような状態で骸を蹴散らしながら天使への道を切り開く。

 近づけば近づくほど敵わないことが肌でわかる、ビリビリと鳥肌が止まらない。


 しかしなぜだろう、天使から殺気を感じない、必死なリュウと対象的に天使は整然としていた。


 んだ、この…!!


 その態度に苛立ちを覚えたその時、天使がリュウを見た。


 頭に言葉が入り込んでくる。


『……る…………くす……』


 入って……来るな……!!


 骸への攻撃を止めないように入ってくる言葉に対抗する。


『……しゅ……くする……』


 天使へと歩を進めながら、頭の中が言葉で一杯になるのを感じる。

 

『……しゅく……する……』


 嫌だ、嫌だ、嫌だ、理解したくない、聞きたくない。


 心中の願い虚しく、段々と言葉全容が顕になりはじめる。


『……しゅくふく…る……』


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


 プツンッ。


 糸を切られたマリオネットのように、武器を振るっていた腕がだらりと落ちる。

 膝に力が入らない、天使はもう目の前だというのに、あとは刀を突き立てるだけだというのに。

 そして、完全に空虚となった頭に言葉が響いた。


『祝福する』


 は、は、は。

 はははははははははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!


 笑いが止まらない、なぜだろう、わからない、幸せだ!!

 なぜこのような幸せを避けていたんだろう!!

 もうこんなものはいらない!!

 この幸せさえあれば!!


 リュウは先程まで振るっていた愛刀を投げ捨てる。


『……ウ…ュ………リ………』


 ……何か聞こえるな!!邪魔だ!!幸せの邪魔をするモノは許さない!!


 リュウ、いや、リュウ“だったモノ”は気づいていなかった。

 自分の頭が吹き飛び声も出せていない状態であることも、自分がもう立派な骸であることを。


 あぁ!!この幸せを!!祝福を!!みんなに分けてあげよう!!

 幸い、ここの道には詳しい!!天使様をみんなのところへ!!


「くだらない」


 は?


 突然後ろから聞こえてきた声に身体を向けようとするとズルッと体がズレる感覚とともに思考が途切れた。

 思考が途切れる数瞬前、リュウの骸が見たものは、天使が粉々になる瞬間だった。



 また、間に合わなかったのか。

 背丈の低い少年は、その場に膝をつきリュウだった骸の死骸の前でうなだれる。

 静寂が、ヒーローが遅れ過ぎたことを伝えていた。

 かつて、呪いに救われた幼子は静かに涙を流すのであった。



 戦闘記録

 20XX年5月8日11:36:45

 増援の要請を受け、現場に急行、到着後天使へと猛進している一人の二級隊員を確認、しかし、天使を目前に祝福を受け、骸化した模様。

 現場に投棄されていた呪式妖刀、雪風を回収。

 破壊された隔離壁の修復は要請済み、また強化も推奨。

 昨今、祝福の間隔が縮まっている、穢者一同、近々起こる可能性の高い、大祝福に備えよ。


 記録者 シラヌイ        

                 以上。

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