最強の王編
第40話 記憶
/黎
…………。
「おいで。いいのよ? 遠慮しなくても」
わたしの言葉に、妹はほんのしばらくの間だけ悩んでいたようだったけど、やがて意を決したように飛び込んできた。
長くて淡い金の髪が、ふわりと軽く舞う。
妹のものでありながら、つい自慢に思ってしまう髪。
「きもちいい……!」
わたしの腕の中で、本当に心地よさそうに、ユラはじゃれついてくる。
まだ小さくて、つい最近わたしの妹になった子。
この子のことを、わたしはとても気に入っていた。
多分、お兄様にだって負けないくらいに。
すでにわたしには、二人妹がいる。
けれどその二人はわたしにとっては敬愛すべき相手であって、この新しい妹とは違う感情を持たせてくれる。
一応姉として振舞ってはいるが、本当ならば頭を下げるべき方なのだ。
ともあれそんな二人の妹とは違って、この子はわたしにとって、とても新鮮だった。
「……どう? だいぶ慣れた?」
「……うんっ」
わたしの問いに、ユラは嬉しそうに答える。
「とってもすごいね。私、こんな生活したことないから……。まるで夢みたい!」
心から本心だと分かる言葉。
わたしまで嬉しくなる。
「でも、ユラ?」
「なあに?」
まだまだあどけない様子で、ユラは目をぱちくりとさせた。
「わたしやお兄様だけじゃなくて、あの二人とも仲良くなって欲しいわ」
「あ……うん。でも、その……」
途端に歯切れが悪くなる。
分かりやすい反応だ。
「苦手なの?」
「う、うん……ううん。そんなこと、無いと思う、けど……」
困ったように、ユラは言葉を濁した。
まあ、分からないでもない。
「レネスティアとは、よく遊んでいるでしょう?」
「うん……。いっぱいかまってくれて、うれしいんだけど……」
わたしは微笑をこぼす。
わたしのもう一人の妹は、とてもマイペースだ。
とても純粋で、積極的すぎるくらいに行動的で、相手をする者は誰であろうと始終押されっぱなしになる。
もちろん、わたしだって例外ではないけど。
そしてそれはお兄様も同様で、あの子にはいつも手を焼いていた。
見た目はユラよりも少し大きいくらいで、まだまだ幼いというのに常に優雅で妖しい淑やかさを持っているが、実は一番の御転婆だ。
ユラもあの子に気に入られたようで、最近ではよく遊んでいるが、いつも引っ張りまわされてへとへとになっているユラの姿が、また微笑ましくもあった。
「じゃあエクセリアは?」
「えっと……」
エクセリア――レネスティアの、双子の姉。
容姿はとても似ているが、性格はまるで違う。
「まだ、そんなに話したことがないのね?」
「……うん」
素直にユラは頷いた。
まあこれも無理はない。
あまり口を開かないあの子は、あまり表情も見せなくて、ユラにしてみれば自分が好かれていないと勘違いしているのかもしれない。
確かに少々とっつきにくい子だけれど、わたしの見るところでは、レネスティアよりも優しいはずだ。
「大丈夫よ。あの子もあなたのことを好いているわ……。だって、お兄様がつれてきた子ですもの。みんな、家族が増えて喜んでいるのだから、ね?」
「うん……! 私、レネスティアとももっといっぱい遊ぶし、エクセリアともいっぱいお話してみるね!」
根が明るいせいもあって、ユラはすぐに元気な顔になってそう宣言する。
「そうね。いい子ね……」
わたしはユラを抱きしめる。
幸せがまた一つ、増えた気がしていた……。
…………。
◇
「――お目覚めですか?」
誰かの声がした。
目をあければ、良く知った青年の顔がある。
「ええ……エルオード」
わたしは起き上がろうとしたが、うまくいかなかった。
「…………駄目ね。動かないわ」
「仕方ないでしょう。あれだけの深手を負われては」
彼の言う通りだ。
あれだけの傷をもらえば、ただではすまない。
例えその傷が、すでに無くなっていようとも。
「とりあえず、傷の回復の方を優先させましたからね。立てるほどの生気は残っていないでしょう」
「……そのようね」
痛みも、もう無い。
けれどこの脱力感は、この身体が限界に近いことを訴えている。
「飢餓で動けないなんてね……。無様だわ」
自分自身のことであるのに、わたしは本気でそう思った。
本当に……無様な姿。
「ならばすぐにも補給をして下さい。夜のうちに二人ばかり、手に入れておきましたので。――彼らが来ないうちに」
「……ふふ」
最後の一言は彼の気遣いだろうけど、皮肉にも聞こえて。
わたしは自嘲の笑みを浮かべてしまう。
彼ら……か。
桐生くんはきっと……わたしのことを怒るだろう。
ユラへの挑発のためだったとはいえ、彼のことを殺そうとしたのだ。
じゃあ……もしかしたらもう、わたしのもとになんか、来ないのではないだろうか。
彼が、ユラの方を選んだのならば……。
「ジュリィ?」
「いえ……」
振り払うように、かぶりを振る。
「何でもないわ。ありがとう」
/真斗
目が覚めると、気分は最悪だった。
身体はだるいし頭は痛いし、どーにもしんどくて敵わない。
二日酔いの状態で、全力疾走でマラソンでもしたらこんな状態だろうか。
とにかく気分悪い……。
「おええ……」
「何がおええだ」
不意に耳に届いたのは、まるで冷水のような、冷たい一言だった。
そんな声に、俺はもぞもぞと反応する。
「むー……?」
「とっとと起きろ。起きれないなら、水でもかけてやろうか?」
非情な言葉に、俺は条件反射でむ~と抗議の声を上げる。
そんな様子に、相手は呆れたようだった。
「……実に情けない姿だな。まあ、たまにはそんなお前を見ておくのもいいけれど」
また、冷たい言葉。
っくそ……。
いったいどこのどいつだ……?
…………。
――あ。
「――あれからどうなった!?」
俺は思わず飛び起きて、悶絶した。
そんな姿を見てか、近くで茜のやつの溜息が聞こえてくる。
「急に動くからだ。多少は戻っただろうが、あれだけ生気を吸われたんだからな」
「あん……? 吸われたって……」
何のことだと首を捻った瞬間、脳裏に蘇ったのはあの光景だった。
「もしかして、それってあれか……?」
あの時のことを思い出す。
突然、最遠寺のやつに――その、ああされて、その後から急に身体の調子がおかしくなったのだ。
つまりあの時に………。
「ふん。すぐに払いのけていれば良かったんだ。それをあんなにも……」
なぜだか不機嫌な声になって、茜はそっぽを向く。
「ったくあいつ、むちゃくちゃしてくれたよな……。で、茜。結局あの後どうなったんだ?」
改めて、俺は聞き直した。
最遠寺と由羅。
あいつら二人が血塗れになって、お互いにぶっ倒れてたところまでは、覚えている。
その後に、確か誰かが現れて……。
「黎ならば、上田が事務所に引き取っていった」
「……やっぱり上田さんか」
どういう理由かは知らないが、あの時最遠寺を庇い、由羅に短剣をぶっ刺したのは、確かに上田さんだった。
「じゃああいつは……?」
俺が聞いたのは由羅のこと。
「さあ知らない」
素っ気無く、茜は言う。
「お前も見ていただろう? どこかの誰かに連れていかれた」
どこかの誰かって……。
そんな答えに、つい不満が顔に出てしまう。
それを見て、茜はふんと鼻をならした。
「追いかけてでも欲しかったのか? そういうことは自分でするんだったな」
「…………」
確かに……茜の言う通りか。
自分にできなかったことを誰かに望むなんて、虫が良すぎるだろう。
「……すまない。お前、俺をここまで運んでくれたんだろ? それだけで充分だよ」
「一生感謝しろ」
「努力してみるさ」
偉そうな茜の発言にも、俺は素直に頷いておく。
「それで、これからどうする気だ?」
どうする、か……。
「最遠寺のやつ、事務所にいるんだろ? 由羅のやつが行方不明なら、まずは最遠寺のとこに行って、あいつを抑えておいた方がいい」
そんな俺の発言に、茜はじっと視線を送ってくる。
「な、なんだよ?」
「お前、まだあの異端に構う気なのか?」
構うって。
俺は溜息をついて、逆に聞いた。
「お前はどう思った? 昨日のあいつ――あいつら見て」
「そんなことを聞いてどうする?」
「いいから言えって」
純粋に、茜の印象に興味があった。
あいつらのことを、どう思ったのか……。
「個人的な感想を言わせてもらえば、黎は私怨で動いているな」
まずそのことを、茜は指摘した。
「同感だな」
俺は頷く。
それは、由羅とのやりとりを見ていれば分かることだ。
あいつに対する最遠寺の、異常な感情については。
何せあの時、俺まで最遠寺に剣を向けられるわ、生気は吸われるわ……とにかく目的のためにはお構い無しという感じだった。
「よくはわからないが、たぶんお前は黎に利用されていたんだろう」
ぽつりと、茜が言う。
「違うな。利用したかったんだろ」
俺は訂正した。
「けど利用しそこなった……たぶんな」
あいつは俺が由羅のやつにやられた状況を利用して、自分の味方にするつもりだったんだろう。
だけど俺は、由羅を庇った……。
もしかするとあの時俺に剣を向けたのは、半ば本気だったのかもしれない。
「そのあたりについては、私も黎に聞く必要がある」
「素直に答えてくれればいいけどな」
あまり期待できそうもないけどな。
「で、由羅のことは?」
続けて聞いてみる。
「さあ。私はまだ、あの異端のことをよく知らない。戦ったことしかないからな。ただ……」
そこでいったん区切り、少し考えてから茜は俺を見て言った。
「あの様子では、お前のことを気にかけているのは間違いないようだ。黎の邪魔がなければ、お前の言葉を聞いていたかもしれない」
「俺も、あいつなら大丈夫だって思うんだけどなあ……」
「無理だろう」
あっさりと俺の希望を、茜は一蹴してくれる。
「なんでだよ」
「昨夜のことを見ていれば明白だ。あれはやはり異端――しかもまともな力の持ち主じゃない。もしその力が暴走すれば、被害は決して小さくはないだろう」
「んなことはわかってるよ。けどそれはあいつ次第で――」
「あいつ次第? それは違う。黎次第、だ」
茜が何を言わんとしているのか。
何となく、納得する。
「つまり由羅がどう思おうと、最遠寺が仕掛ければ結局結果は一緒……ってか?」
「違うのか?」
そう反問されると、否定できなかった。
由羅に無抵抗でいろとは言えないし、本人もそのつもりはないだろう。
「……じゃあ、最遠寺のやつを説得したら、丸く収まると思うか?」
「無理かもしれないと言っていたのは、真斗だろう」
確かに昨夜はそういう理由で、まず茜の元に行ったのだ。
「それに……私はまだ、お前に説得された覚えはないぞ」
……う。
じろりと睨んで釘をさされ、俺は困ったように頭をかいた。
最遠寺を何とかする前に、こいつをしっかり説得しておかないと、この先うまくいくはずもない、か……。
「ともあれ、最遠寺に会っとこう。このまま消えられても困るしな」
そういやあいつもかなり由羅にやられていたはずだけど、大丈夫だったんだろうか。
「そうだな」
俺の提案に、茜も小さく頷いてくれた。
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