第14話 呪い
◇
事務所より少し足を伸ばした先にある公園。
遊具は無く、あくまで憩いの場所を目的として作られたであろう場所だ。
ちょっと変わったデザインをしていて、俺のお気に入りだったりする。
「さみー……」
ぶるっと身体を震わせて、俺は公園のベンチに座り込む。
そしてぼんやりと見上げる、空。
少し白い雲が見えているが、ほぼ晴れていて、星がちらほらと見えた。
やはり、住んでいた地元に比べると星の数が少なく感じる。
一等星はわけなく見られるのだが、あとは微妙だ。
「――オリオン座見っけ」
分かり易い星座をまず見つけると、今度は冬の第三角形を探す。
見つけて満足すると、俺は見上げるのをやめた。俺が知っている冬の星空は、まあこの程度だ。
それにしてもけっこう寒い。
ここまで歩いてくるだけで、ほんとど酔いが醒めてしまったくらいだ。
ここでしばらくぼーっとしているつもりだったが、ここは散歩に切り替えた方がいいかもしれない。
あんまり動くと酔いが回るが、それでも寒いよりはマシだ。
それに俺、そこまで飲んでいるわけでもないしな。
決めて、立ち上がろうとしたところで。
「…………?」
ガサリ、と背後で音がしたかと思うと――何かが俺の背中に、体重をかけてくる。
「どわあ……!?」
思わず振り返って、俺としたことがつい悲鳴なんぞを上げてしまった。
長い髪をした人間の後姿が、ベンチの背のすぐ向こうにあったのだ。
多分、女。
幽霊とまでは思わなかったが、それに近い程度では驚いてしまっただろう。
ていうかこいつ、何だ……!?
暗くてよく分からない俺が目を細めると、その人影は少しだけ顔を振り向かせて横顔を見せる。
知っている、顔。
って、こいつ……?
「……こんばんは」
「――お前、由羅か!?」
何やってるんだこんな所で……?
というか何つう脈略の無い現れ方だ。
「こんばんは、じゃねえ。いきなり出てきてびっくりするじゃねえか!」
悲鳴を上げてしまったことが恥ずかしくなって、俺は怒ったように声を大きくする。
が、由羅の反応はいまいちだ。
…………?
何だ……?
何かこいつ、様子が――
ハッと、俺は息を呑んだ。
頬に残る筋を見て。
こいつ、泣いていた……?
「やっぱりね、夜になって痛くなってきて……。私、我慢したんだけど我慢できなくて……」
「お前、その手」
俺は由羅の左手に目を奪われる。
くっきりと浮き出た刻印に、真っ赤に染まった左の手。
そしてそこから流れ出している鮮血……。
「何だよこれは!?」
俺は思わず由羅の手を取って、怒鳴る。
「呪い……だと思う、たぶん……」
弱々しい声。今も痛いのか、それに耐えるように表情が歪んでいる。
「お前、いつもこんなになるのか……!?」
「わからない……。これを刻まれたのは、昨日だから……。でもやられてすぐは、こんな感じだったの。でもすぐに夜が明けて……痛くなくなって。けど夜になったら、また……」
――これは、酷い。
俺が思っていた以上の、呪い。
恐らく生半可な痛さではないぞこりゃあ……。
「私、私ね。もう我慢できなくて、どうしようもなくて……。気づいたらあなたのこと、捜していてたの……」
「いい。黙ってろ」
俺は由羅の手を握り締めると、刻印のある場所を思い切り押さえつける。
せめて、出血だけでも抑えないと。
「……何とかしてやりたいけど、俺は咒法に関しては下手くそで大したことはできないんだ。刻印咒は契約さえなれば誰でもできるけど、生憎俺が扱えるのは一つだけだしな」
その一つというのが、この刻印。
まったく皮肉な話だ。
せめてここに、この刻印を教えてくれた奴がいてくれれば何とかなったかもしれないが、あいつは日本を出て久しいはずだ。多分、この国にはいない。
「……仕方無い」
こいつは仮にも人間じゃない。
本当かどうかは知らないが、少なくともこれだけ出血していてまだ余裕があるのなら、確かにそうかもしれない。
そんな奴をあまり人目にはつかせたくはなかったが、今は四の五の言っている場合ではないだろう。
「所長のとこに連れてく。あの人なら何とかしてくれるかもしれない」
元々相談するつもりではいた。
けど本当はもっと婉曲的にするつもりだったのだ。
まさかいきなり本人を連れて行くことになるとは思わなかったが、のんびりしている暇などない。
「……所長って?」
「俺がバイトしてる事務所の所長だよ。俺と同じで咒法士の免許持ってる人だ。今のところ一番頼れそうな人物なんだから、間違っても揉め事は起こすなよ?」
こいつが異端種である以上、どうなるかは分からないが、あの人なら……信じていいはずだ。
「……うん」
苦痛のせいか、由羅はそれ以上は何も言わず。
ただ頷くだけだった。
◇
事務所へと戻った。
急いで戻りはしたが、あの公園からここまではそこそこ距離がある。
ここに来るまでの間にだいぶ出血したようだったが、由羅はまだ大丈夫のようだった。こいつは実はけっこう大した奴なのかもしれない。
とにかく俺は急いで戻ると、所長の姿を捜した。
いつの間にかお開きになったのか、誰の姿も無い。
「……ん?」
――と、声。
見れば所長が、休憩室に使っている隣の部屋から出てきたところだった。
「真斗か。どー……」
言いかけて、所長は言葉を飲み込む。
俺の後ろにいる由羅を見つけたせいだ。
「……ナンパしてきたのか?」
「誰がするか。――それよりあの二人は?」
「黎君たちか? 眠そうにしてたから、隣の部屋に寝かしてある。まあ同じ部屋だとまずいから、東堂は二階に行かせたが……」
二階というのは、所長が使っている自分の生活空間だ。
最後まで酔いつぶれずに起きてることや、そういった気遣いなど、やはりこの所長はこういう時には大人らしく、頼りになる。
「寝てるんならちょうどいい。所長、こいつを見て欲しい」
俺の言葉に、不審げに歩いてくる所長。俺は所長へと、繋いでいた由羅の手を見せた。
「――――。こいつは……」
一瞬にして、所長の顔が変わった。
「……また懐かしいものを……」
何か所長がつぶやいたようだったが、俺はろくに聞かず、機先を制するように用件を告げた。
「何とかして欲しい。事情は後で説明する」
「何とかって……なあ……」
困ったように、所長は頭を掻いた。
こんなことをいきなり頼まれて戸惑うのも当然だが、ここは何とかしてもらわないと。
「刻印咒か……しかもまともなやつじゃないな。こんなに禍々しいのは見たことがない」
「九曜家秘蔵のやつだよ。よそに伝わってるかどうかは知らねえけど」
門外不出とはいえ、どこで洩れるかなど分かったものじゃない。俺の時のように。
「まともな呪いじゃないな。よくもまあ、生きていられるもんだ、このお嬢さん」
「…………」
まじまじと、所長は由羅を見つめる。気まずそうに視線を逸らす、由羅。
「解咒、できないか?」
俺の質問に返ってきたのは、難しいな、の一言。
「一応解咒の法は習ってはいるが、刻印解咒は難しい。一番いいのは刻印そのものを剥ぎ取ることだが、この場合だと腕を切り落とすことになりかねん。それに……」
所長はそっと、由羅の左の袖を捲り上げた。
「これは……」
「ふうむ……思った通りだ。性質が悪い」
先ほどは暗くて分かり辛かったが、今ならはっきりと分かる。
今日の昼見た時に比べて、刻印が変化している。その幾何学的な模様が、腕に向かって伸びてきているのだ。
「放っておくと、全身に広がるな……きっと。すぐにってわけじゃないだろうが、少しずつ大きくなるのは間違い無い。こいつは……あれだな。自己増殖して、元の刻印から解咒するのを防ぐようになってやがる。おれには無理だな」
その一言に、俺も、由羅にも絶望の色が広がった。
「だが悪足掻きはしてみよう」
不意にそんなことを言った所長へと、え、と俺は見上げる。
「何とかなるの……?」
ようやく口を開いた由羅へと、にやりと所長は笑ってみせる。
「レディの頼みを断っては、おれの男が廃るからな。できるかぎりのことはやってみよう。真斗、お前も手伝え」
「――ああ。わかった」
頷く俺へと、よしじゃあ用意しろ、と所長は言った。
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