八月の蝉怪人

ブンカブ

前編

 七日連続で人が終わったら、それは蝉怪人の仕業だと爺ちゃんが言っていた。


 そう言っていた爺ちゃんも終わってしまった。


 蝉怪人は夏の太陽がもっとも輝きを増す日から七日間だけ現れて人を終わらせていく。


 そして爺ちゃんが終わったのは七日目だった。


 皆は嘘だと笑ったが、僕は知っている。蝉怪人はいる。七年前のあの日、僕は確かに見たのだ。動かなくなった爺ちゃんの前に立つ黒い影を。


 爺ちゃんは嘘つきだった。しょっちゅうしょうもない嘘をついては周りの大人を困らせていた。でも僕はそんな爺ちゃんが大好きだった。


「陽太、いいか、蝉怪人には気をつけるんだ。不安だったり、孤独だったり、自分は誰にも理解されないと思い込んでいる人間の所へそいつはやってくる。そして、ひっそりと終わらせて去っていくんだ」


 爺ちゃんも孤独だったのだろうか。当時小学生だった僕にはよく理解できなかったが、爺ちゃんはいつでも笑顔を絶やさない人だった。そんな爺ちゃんが蝉怪人に終わらされてしまったのだ。


 爺ちゃんとの思い出は季節が移りゆくごとに薄らいでいき、僕は蝉怪人のことなどすっかり忘れてしまっていた。高校受験で意味のわからない数式や英単語を無理やり脳ミソに詰め込んだせいかもしれない。


 少し錆びた自転車で高校に通い、部活で汗を流す。あまりにも平凡な毎日を送る僕が、その悪魔の名を思い出したのはある事件がきっかけだった。


 その日は一際暑く、町中のスピーカーから熱中症予防のアナウンスが絶えず流れていた。そして僕は事務的で人を気遣うつもりなんて微塵も感じられないその声をぼんやりと聞きながら、カラカラに干上がった喉に甘じょっぱいスポーツドリンクを染み渡らせていた。


 そんな時、マネージャーの須藤先輩が悲鳴に近い大声を出しながら、顧問の教師のもとに駆けてきた。


「先生ッ! 村田くんがッ!!」


 彼女が見つけたのは校舎裏で意識を失っていた同じサッカー部の村田という生徒だった。彼は僕の同級生でもあったが、クラスが離れていることに加えて、一年生は数が多かったため、ほとんど話したことがなかった。


 先生や僕たちが駆けつけた時、村田は眠っているようにピクリとも動かず、地面に背をつけて横たわっていた。額には異常な量の汗をかいており、誰もが日射病であることを予想した。


 僕たちは村田を乗せた救急車と、それに同乗する先生の姿を遠目に見送った。


 村田が亡くなったことを聞いたのは、その翌日のことだった。



 *****



「ジーン、ジーン、ケケケケケ……蝉怪人がやってくる」


 それは、この町に伝わる古い歌だった。


「ジーン、ジーン、ケケケケケ、晩夏の前にやってくる」


 多分、この町で生まれ育った人なら誰もが聞いたことのある歌だと思う。僕も昔、爺ちゃんがよく口ずさんでいたのを覚えている。


「終わりの前にやってくる。あなたの終わりにやってくる」


 学校から死亡者が出たことでサッカー部はもちろん、他の部も練習どころではなくなっていた。顧問の先生も事情聴取を取られるということで、僕も昼前には校門を出て帰路に着くことになった。


「村田って、マジかよ……」

「なあっ、やべーよな」


 帰る方向が同じだった二人の同級生と一緒にコンビニでコーラを飲んでいると、不意に二人が顔をしかめながらそのようなことを言い出した。


「何のこと?」

「ああ、陽太は中学違うから知らないよな」

「あいつさ、中学の時、おっかねー先輩に目をつけられてさ」

「夏練の時に一人だけ水飲ましてもらえないでグラウンド走ってたんだよ。そん時も、熱中症で……」


 それを聞いた僕は唖然としてしまった。


「昔はもっと明るかったんだけど、それから暗くなっちゃって。妙にオドオドしてるし」

「あいつ、中学の時も警察が来たんだよな。それで今回の件だろ? 先生、やばいかもな……」


 サッカー部の顧問である西沼先生は体育大学出身のスポーツマンだ。サッカーだけでなくあらゆる球技に精通していて、性格も明朗快活なので生徒からの人気も高かった。


 その後、僕は晴渡った青空とは対照的にどんよりと沈み込んだ気分になりながら帰宅した。


 その翌日、西沼先生が亡くなった。



 *****



 僕が西沼先生の訃報を聞いたのは、部室に入った後のことだった。


 昨日、西沼先生は警察からの取り調べと遺族からの訴え、そして学校からの今後の処遇の話を受けていた。人一倍教師としての使命感に溢れた先生のことだから、さぞかし辛かっただろう。生徒を死なせてしまった責任感から自死を選んでしまったのかもしれない。実際、先生の遺体は鍵のかかった車の中で発見されたという。真夏だというのに暖房をかけ、脱水症状を起こし、亡くなった村田の苦しみを噛み締めるかのように息を引き取っていたのだと。


「なあ、蝉怪人の話、覚えてるか……?」


 練習することもできず、部室棟にたむろっていた多くの生徒たちが、誰かが言ったその一言にギョッと目を剥いた。


 蝉怪人。


 この場にいる誰もが一度は耳にしたことのある怪物の名前だった。


「七日連続で自殺があったら、本当は蝉怪人の仕業だって話」


 ほとんどの生徒はその話を真剣に聞いていなかった。


 もちろん、僕だって最初はそうだった。


 ところが、その直後に村田の姿が七年前に亡くなった爺ちゃんの姿と重なった。そして思い出した。そういえばあの日も暑かった。太陽の日差しが突き刺さるように降り注ぐあの日、爺ちゃんは蝉怪人に終わらせられたのだ。


 その日の夕方、インターネットの掲示板に蝉怪人の名前が挙がった。


 七年前の悪夢の再来だと。


 その翌日も不自然な自死は起こってしまう。


 三日目の自殺者は、僕の高校に教育実習生として来たことがある三森という女子大生だった。彼女は自宅の浴槽に浸かり、手首を切って亡くなっているところを家族に発見されていた。


 それは誰がどう見ても自害だった。


 しかし、もしも本当に蝉怪人の仕業だとしたら?


 蝉怪人に狙われる人には共通点がある。それは必ず、前の犠牲者の関係者だということだ。今回「終わらせられた」三森さんは、西沼先生の学生時代の恋人だったことがネットのニュースに載っていた。


 その後、続く熱帯夜とともに犠牲者も出続けた。


 四日目、五日目、六日目……亡くなった人たちは必ず前日に亡くなった人とつながりがあり、その全員が自害という形で命を終わらせていた。


 そして七日目、僕は鬱屈とした気分を晴らそうと思い、なんとなく町の中を自転車で走り回っており、気づいた時には高校の門の前までやってきていた。


 夏休み中であっても、普段ならば部活の練習に励む生徒たちの声が響き渡っている敷地内は、しかしその時はお化け屋敷かゴーストタウンのようにひっそりと静まりかえっていた。


「筒井くん……?」


 僕は不意に聞こえた女性の声にハッとして振り返った。


 日に焼けた茶色いおさげ髪の少女––––須藤先輩が目を丸くして僕を見ていた。


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