おちるおとがした。(GL)

「女の子が好きだからって誰でも好きになるわけじゃないんだよ!」


声を抑える素振りも見せずビールジョッキの底を叩きつけて、目の前の同僚は水滴を吸い込んだ木製のテーブルに項垂れた。何よりも店の備品を破壊していないか心配したが、どうやらジョッキ的には日常茶飯事なんだろう。中に残った黄金が揺れるだけで、びくともしていなかった。


「じゃあお前は女だったら誰でも好きになるのかよってんだよ!」

「そうだね」


ほんの数時間前、いともたやすく行われたセクハラ行為への抗議の声は、居酒屋の喧騒に紛れて煙草の煙とともに消える。クリーン企業への改革が叫ばれているが現実はこんなものだ。それに、彼女のような人間への理解も。


「そりゃあさ…子供の頃よりはまだ理解してもらえるようになったよ?」


耳まで赤くなった頭をだるそうに上げると、紅く蒸気した肌と怒りに震える瞳が姿を見せる。


「でも結局は男の良さが分かんないからだとか、女だったら誰でもいいとか言いやがって…そのままそっくりその言葉返してやるよ!男の良さが分かってねぇだけだ!おめぇだって女だったら誰でもえぇんかあぁぁ!?」

「気持ちは分かるけどちょっと声抑えよ?」


流石の声量に周囲で飲んでいた団体客の数人がこちらに視線を向けていることに気が付いて止めに入る。しかし酔いの回った彼女は留まることを忘れてしまったのか、ゴンっと額をテーブルに打ちつけてわんわんと泣き始めてしまった。もはや奇行ともとれる様子に私の背中に刺さっていた視線も散り始める。もしかして暴れさせる方が逆によかったのかもしれない。


「うぅ…」

「辛いね…」

「迷惑かけてないじゃん…なのになんで否定されなきゃいけないの」

「うん…」


彼女は私と違って、明るくて仕事も出来る同僚。それなのに、なんで女性が好きというだけでこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。考えてしまう。彼女が今まで受けてきた痛みを。そしてこれからも増える傷を。私には決して分からないのに。


「分かってないのに口を出さないで…」


無知は否定と同等。

喧騒の中に消える小さな暴論は彼女の心を支える唯一の抵抗手段なのかもしれない。


「お水もらうけどいる?」

「…いる」


下手にかける言葉も見つからなくて呼び鈴を鳴らす。店員さんが現れたらこの状況をなんと思うだろうか。否、忙しい店員さんの脳には何も残らないだろう。他者の悩む姿はそんなものだ。


ーじゃあなんで?


雨粒に打たれたようにふと疑問が浮かぶ。

ここまで彼女の悩む姿が私の胸を締め付けるのか。

仲がいい同僚だから?目の前で泣いているから?


「お待たせしました!」

「あー…えっとお水ふたつお願いします」

「かしこまりました!」


快活な店員さんの声に答えてもう一度彼女をみやる。普段なら会釈ぐらいはする彼女は動き出そうとする素振りはない。


「ほら、水頼んだから」

「うん」


私の声にようやく顔を上げる。その瞳は怒りじゃなくて憂いの色を見せていた。その瞳に私はー


「ありがと」


「お待たせしました!お水になります!」

「あ、ありがとうございます!」

すっかり元気になった同僚は笑顔で水を受け取ると私の前に差し出す。

「飲まないの?」

「あ…えっと…飲む!」


受け取った水を飲み下す。

叶わぬ恋に堕ちた音がした。



(暗転)

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