たいせつなのは。(BL)
「僕の大好きなものほど手のひらからすり抜けていくんだよ」
泣きながら目の前の男はそう言った。彼が目の前の机をドスンと叩くと机の上に置かれたものが少しだけ宙に浮きあがる。
「他のお客さんに迷惑になるから」
周りの戸惑いの視線が痛くて目の前の人間をとにかくなだめるが、自分の言葉はどうやら火に油のようで。
「それでも!」
ガタリと椅子を鳴らして男は立ち上がる。
「俺は永遠にうなぎを食べることが出来ないんだ!」
「完売してるだけだっつってんだろ!」
目の前の”馬鹿”の言葉をかき消さんばかりに俺は叫んだ。
「っていうかうなぎの掴みづらさとかけてんのかそれ」
「だってそうだろう、昨日も一昨日もなかったし…」
「無視すんな!…そもそも閉店ぎりぎりに来るのが間違ってんだろ」
とりあえず圧倒させて座らせる。そうこの馬鹿はたかがうなぎを食べられないだけでこんな人生に絶望する主人公みたいなことを言っているのだ。
「しょうがないだろ!仕事があるんだから」
「お前が毎日同じようなミスさえしなきゃ定時に帰れてんだよ」
泣き出しそうな顔と声を一蹴して俺はため息をつく。うなぎを所望する男は俺の同期で、今現在同じ仕事を任されている仲だ。まぁまぁポンコツだが人柄が異常なほどによいのでなんだかんだ上手くやっていけてるらしい。まぁその分しわ寄せは俺に来るのだが…。
「それは…ごめん」
「まぁいいよそれは、他の丼もの美味しいし」
素直に謝る同期に怒鳴ってしまったのを少しだけ申し訳なかったと感じた。しかしこの状況の原因は100%こいつのせいなのでほんの少し。そもそもここのうなぎを食べようと言ってきたのはこいつだった。いつも迷惑をかけてしまっているからと俺を誘ってきたのが五日前のこと。しかし閉店間際だったこともありうなぎは完売となっていたのだ。そこから毎日俺らはこの店に通い続けている。本当はお昼時に来られればいいのだが、会社から少し遠いここはお昼に来るには少し無理があった。
「すまねぇな兄ちゃんら」
カウンターから顔を出したのはここの店長。毎日閉店間際に来てはうるさい俺たちはどう考えても迷惑だろうに彼は快くいつも受け入れてくれる。しかもうなぎがないことに関しても謝ってくれるのだ。頭が上がらない優しさの持ち主である。
「いえこちらこそすみません毎回…」
「いやいやいいんだよ、そんなにうちのうなぎ丼食べてほしいって言ってもらえるのも嬉しいからね」
「てんちょぉ…俺、明日こそはうなぎがなくなる前に来ます!」
「おう!頑張ってくれよ!」
「明日もこれやるのか…」
何度目かの再放送を見届けて俺は半分食べ終えた天丼に再び手をつける。衣がさっくりしていて中のエビはぷりぷり。これこそ美味しい天ぷらってもんだ。しかもたれもご飯も美味しい。某独白グルメ漫画のような語彙力がない俺にはもったいないくらい。
「そんなにここのうなぎ食べてみたいのか?」
同じく天丼を食べ進める同期に聞いてみる。すると意外な言葉が返ってきた。
「いや、食べたことはあるよ」
「…は?」
食べたことあるだと?
「食べたことあるならいいじゃねぇか!」
思わず立ち上がって再び叫ぶ。もう周りの視線は気にならなかった。
先ほどまで叫び散らしていた同期がまぁまぁと俺を宥める。
「俺はお前とあのうなぎを食べたいんだよ」
「あ?」
思ったよりドス黒い声が出てしまった。しかしそれに臆することなく同期は続ける
。
「あのうなぎ初めて食べたときにさ、すっごい美味しくってさ。これは誰かと一緒に食べて幸せを分かち合いたいって思ったんだ。そしてその時浮かんだのがお前の顔だった」
一種の告白のような理由に思わず声を失う。
「青春だねぇ」
そしてカウンターで一部始終を見ていた店長はそう言ったのだった。
(暗転)
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