短編 ほのぼの爽やかまとめ
めがねのひと
黒い歴史と一人の少女。
本というものは不思議だ。掌に収まる大きさに壮大な世界が詰め込まれている。何かを手中に収めるのは難しいというのに、本はいとも簡単にひとつの世界をその体の中に収めているのだから本当に凄い。
「そう思わない?」
「何を言っているのだ?」
目の前に座っている同級生のハヤテくんにそう話しかけると一蹴されてしまった。彼は片腕に包帯を巻いていて真っ黒に潰したノートを持つなんとも不思議な格好をいつもしているから分かってくれると思ったのに…。
「そもそも俺の左腕の力を解放すれば世界征服など容易いのだからな」
「そうなの?」
「そうだ、それにこのノートはブラックノートと言って名前を書いた人間を消し去る能力を持っている」
そう嬉しそうに話すハヤテくん。彼は同じ歳のはずなのに随分と難しいお話をする。例えば、左腕を解放すると、えっと…邪眼?が発動して日本全土を覆い尽くすらしい。
「おい、ミホ…お前何を考えている?」
「え?」
「なんだかつまらなさそうな顔をしていたからな…まさかこのブラックノートを疑っているのか?」
「そんなことないよ!」
みんなは頭がおかしいとか、馬鹿だとか言うけれど。私はそんな風に思えなかった。だって。
彼は入学してから少し経った頃、今は暗黒の大魔王との戦闘の傷を癒すためにこの学校で正体を隠して生活していると教えてくれた。そんなに大変な時なのに、彼は図書委員の仕事には毎回欠かさず来てくれている。そんな優しい彼が、あんなに悪く言われるのはおかしい。
他の子は…そうやってハヤテくんの陰口を言う子は、何も手伝ってくれないくせに。
「ハヤテくんは優しいなって」
「は!?」
「だって、ブラックノートがあればどんな嫌な奴だって消しちゃえるのにハヤテくんはそういうことしないでしょ?」
「ま…まぁ…これを使ったら居場所がバレてしまうかもしれないからな!」
ハヤテくんの頬がみるみると赤くなっていく。
「ハヤテくんもしかして風邪?顔が真っ赤だよ?」
「こっ…これはあれだ…その…少しここが暑いだけだ!」
「そう?じゃあ窓開ける?」
「いや、いい。そうしたらお前が寒いだろ」
ほら、ハヤテくんは私の事だって気遣ってくれる。やっぱり彼以上に優しい人はいない。
「ねぇ、ハヤテくん」
「…なんだ?」
ハヤテくんはもしかしたら、本と同じなのかもしれない。いっぱいのことを知っていて、抱えていて。彼の中には私が知らない世界がいっぱいあるんだ。
だから。
「もし、世界征服をする時は私にも手伝わせてね」
「お…おう、俺の側近として一生付き添わせてやる!」
もっと沢山の世界を知りたい。だからこそもっとハヤテくんと一緒にいたい。私はそう思った。
ーーーーー
「山風先生、原稿はまだですか…?」
「もう少し待ってくれ!」
「もー今日が締切なんですよ?」
図書室で約束を交わした時からもう数十年の月日が経った。あれからハヤテくんは山風ハヤテとして漫画家になって、手に持っていたブラックノートを原稿に持ち替えて生活している。あの頃巻いていた包帯もとっくの昔に外した。邪眼は発動しなかった。
「とりあえずお昼だけ作っちゃいますね?」
「あーお願い!」
そして私は編集者になった。山風ハヤテを一番に支える立場…側近とはまた違うけれど。
「昔、一番の側近にしてやるって言ったのは誰でしたっけねー」
「それは思い出すなよ!」
冷蔵庫を開いて余り物を取り出す。ご飯は炊いてあるしチャーハンにでもしようかな。
そう考えながら昔のことを思い返す。あの時は分からなかったけど、ハヤテは所謂厨二病だったらしい。まぁそうだったとしても今更なんだって感じだけれど。厨二病だって今のハヤテを形成するひとつなのだから。
「そうだ、山風先生」
「なんだ?」
「世界征服…出来そうですか?」
野菜を切る手を止めて視線を上げると同じく手を止めて視線を上げているハヤテと目があった。
「もう少し…この漫画で絶対世界征服してやるよ!」
あの頃と同じ笑顔で彼はそう言う。
私が心を征服された時と同じ瞳で。
私は今でも信じている。強い力がなくったって、きっとハヤテならこの世界を征服出来るって。
「じゃあ、手始めにその原稿終わらせて下さいね」
「はは…りょーかい!」
(暗転)
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