文化祭(3)

 文化祭三日目、午後三時過ぎた頃のことだった。

 梨緒子と類は、文化祭本部へとそろって呼び出された。


 前日までのやりとりを思い返すと、その理由は容易に想像がつく。

 断ればいい――簡単な話である。

 しかし、このベストカップルコンテストというイベントが、この高校の生徒たちにとってどれだけ重要視されているのか、梨緒子は良く知っている。

 選ばれることがどんなにすごいことなのか、そしてどんなに期待されているか、それを知っているからこそ首を縦にも横にも振ることができない。


 二人は心配する美月を一人残し、文化祭本部の設置されている新校舎の二階の会議室へやってきた。

 この階にはその他に生徒会室、視聴覚室、放送室などの設備が連なっている。

 文化祭のメイン会場としての使用はされていないものの、その中枢としての役割を果たし、裏方の生徒が行き交う雑然とした雰囲気が漂っている。



 やはり、梨緒子の恐れていたことが、現実となってその身に降りかかってきた。

 文化祭の実行委員を務める下級生の男子に、梨緒子はもう一度聞き返した。


「いまなんて……?」


「だから、ベストカップルコンテストで一位になったから、キャンプファイヤーのやぐらへの点火役をお願いしたいと――」


「一応確認のために聞くけど、ベストカップルって……誰と誰?」


「お二人に決まってるじゃないですか」


 実行委員の少年は、類と梨緒子に淡々と告げた。

 文化祭本部である会議室には、現在三人だけだった。他の実行委員はそれぞれの持ち場で忙しく動き回っていることだろう。

 窓から見えるグラウンドでは、後夜祭の準備が進められている。


「私たち、もう別れてるの」


「は? …………冗談ですよね?」


 後夜祭はあと二時間もすれば始まる。いま呼び出されたのは進行の打ち合わせをするためだったのだ。登場するタイミングや立ち位置、質問内容など、まさに分刻みでリハーサルも兼ねた打ち合わせをするつもりだったらしい。

 唖然とする実行委員の少年に、類は同情の眼差しを向けた。


「だったら良かったんだけどな。二位のカップルにさ、声かけてみたらどうよ?」


 少年は渋った。


「んー、でも票差が桁違いなんですよね。困ったな……あー、でもお祭りなんで、イベント中だけ、付き合ってるフリしててもらえませんか。別に、点火して、そのあと手を繋いで写真撮るくらいですし」


 しかし、実際は『そのくらい』ではすまない。

 インタビュー形式の自己紹介もして、仲良しの秘訣や馴れ初めのエピソードなど、いろいろと質問されるのである。

 野外で、大音量のマイクで、大勢の生徒を前にして。

 秀平が後夜祭に興味がなくても、図書館にいれば確実に聞こえてしまう。

 梨緒子は青ざめた。そうなってしまったら、いくらなんでも修復不可能であろう。

 弁解して決して許されるような行動ではない。


「そんな……ねえ、ルイくんからも言って?」


 しかし。

 その口から出たのは、思いも寄らない肯定の返事だった。


「いいよ、お祭りイベントだろ? やるよ」


「え、嘘、本気で言ってるの?」


 梨緒子は聞き返さずにはいられなかった。

 類は立ったまま腕組みをしながら、意味ありげな笑顔を見せている。


「だって、実行委員困らせたら、可哀想だしな?」


「さすが類先輩! 話が分かるなー。これきっかけに、より戻したらいいんじゃないですか?」


「まーな、ハハハ」


 梨緒子はもはや訳が分からなくなり、ひたすら動揺していた。

 どうなるのだろう。

 どうなってしまうのだろう。


 秀平はいったい、どうするのだろう――。


 実行委員の少年はそそくさと進行表の紙を取り出し、類と梨緒子に差し出した。

 どんどん話が進んでいく。このままでは完全にまずい――それは分かっているのだが、どうしたらいいのかその打開策が思い浮かばない。

 手渡された進行表にざっと目を通しながら、類は梨緒子に言った。


「どうせあいつ、図書館にこもってるんだろ?」


「そうだけど……でも絶対聞こえちゃう」


「聞こえたっていいじゃん。自業自得だろ」


「そんな……そんなのイヤ」


 分かっている。

 類はすべてを理解した上で、あえて言っているのだというのは、梨緒子にだって分かっている。

 けれども。


「これ以上、秀平くんを怒らせるのはイヤ。たとえこのまま自然消滅になっても、それでも怒らせるのだけは絶対にイヤ!」


 梨緒子はきっぱりと言い切った。


 ――たとえこのまま自然消滅になっても。


「そんな顔すんなよ、まったく」


 類は観念したように片手を挙げ、困惑して立ちすくむ実行委員に提案した。


「あのさ、投票結果とか関係なくして、本物と交代してもいい?」


「本物……ですか?」


「どうせだったら、本物のカップルが出るほうがいいだろ」


「え? まあ、そりゃそうですけどね」


 類は実行委員の同意を得ると、今度は梨緒子のほうへ向き直った。

 艶のある茶色い瞳が、ゆっくりと瞬く。


「さあ、呼びに行って来いよ、リオ」


 元彼の言葉が、梨緒子の胸の真ん中を突き抜ける。

 梨緒子は力なく首を横に振った。


「できない、そんなの」


「説明なんかしなくてもいいから、とにかく行って、あいつをここまで連れて来い」


 そんなこと、どうやって――。

 途惑う梨緒子の背中を、類は無理矢理出口のドアに向かって押した。

 そして、背中越しにひと言。


「駄目だったら、そのときは俺が助けてやる」




 梨緒子は困り果てながらも、図書館へ向かうしかなかった。

 その足取りは、怒鳴られ泣きながら帰宅した日よりも重く感じられる。

 ケンカしたままの彼に、いったい何と声をかけたらいいのだろう。

 自分のことを無視し続け、メールをくれるわけでもなければ家に迎えに来るわけでもない。学校でも極力避けられているというのに、何を言えばいいのだろう。

 時間が経ち過ぎて、どういうふうに言葉を交わせばいいのか分からなくなっていた。


 ひょっとしたら、ずっと片想いのままだったのかもしれない――そんな錯覚で自分を慰める。

 楽しい思い出はすべて自分の妄想の産物だったのだ。

 きっと彼はいつもの場所にいるだろう。でもそれは、片想いをしていて陰からそっと見ていた姿。そうに違いない。


 間近で彼の横顔なんか見たこともない。

 彼に名前を呼ばれたこともない。

 彼に抱き締められたこともない。

 彼と一緒に天の川を見ていたことも、その星空の下でキスされたことも――ない。


 ――どうして、こんなことになっちゃったんだろう。


 梨緒子は虚しさと寂しさで涙が出そうだった。

 しかし、それをぐっと堪え、ゆっくりと一歩一歩近づいていく。

 やがて。

 いつも以上に人気のない図書館に、梨緒子は足を踏み入れた。

 足音を忍ばせて、書架の合間を進んでいく。

 心臓が引き絞られるような痛みで、どんどん呼吸が苦しくなっていく。

 いつもの彼の指定席にゆっくりと近づき、やがて二つ手前の書架から、梨緒子はわずかに顔を覗かせた。


 梨緒子は驚きのあまり思わず目を瞠った。

 そこには確かに彼がいた。いつもの席に座っていた。


 しかし。

 秀平は勉強などしていなかった。問題集やノートを一応机の上に出してはいるが、閉じた状態で積み上げてある。

 そして、携帯電話を手にして、何度も画面を開いては閉じ、開いては閉じ、無表情のまま淡々と、それだけを繰り返している。



 そのときである。

 図書館の静寂を破るようにして、校内放送がスピーカーから流れてきた。

 梨緒子は飛び上がるようにして驚き、思わず息を飲んだ。

 よく知っている男子生徒の声が、図書館中に響き渡る。


【なーがーせー、いつまで待たせるんだ? 穴蔵にこもってないで、さっさと出て来いよー】


【もう類先輩、呼出するときのマニュアルに従ってくださいって】


 イベントが行われている賑やかな場所では聞き取りにくい音量だが、閑散とした図書館では、はっきりと内容が聞き取れる。

 梨緒子は書架に身をひそめ、先ほどまで一緒にいたはずの類の声を、スピーカー越しに聞いていた。


【マニュアルってこれか? えー、3年A組永瀬秀平くん永瀬秀平くん、三十秒以内に文化祭本部まで来てください。さもなくばお前の一番大事にしているモノ、食べちゃうゾー…………ハイ終わり。こんなモン?】




【何なんですか、三十秒以内って……ヤダ、永瀬先輩かわいそうー】


【えー、永瀬先輩の大事なモノって何なんですか? 教えてください!】


【私も聞きたい! 教えて、類先輩!】


 放送部員の女子数人が、類の周りを取り囲んでいるような声が聞こえてくる。

 一番マイクの側にいるらしい類の声だけが、やけに明瞭だ。


【なに、みんな永瀬のこと好きなの? でも、あいつは彼女を泣かせるワルーい男なんだよ?】


【か、彼女? 永瀬先輩って彼女いるんですかーっ!?】


【あ、ゴメン、まだスイッチ入ったままだった】


【えっ、うそ――類先輩! 早く、早くオフにして!】


【まあまあ。おい永瀬ー、このままだとずっと……たぶん後悔することになるんじゃねーの?】


 そこでようやく放送が途切れた。すでに放送室はパニック状態だ。

 そして梨緒子はもちろんのこと、書架の向こうにいる秀平もおそらく混乱しているに違いない。


 ――ルイくんってば絶対、ワザとだ。ホントにもう……。


 『駄目だったら、俺が助けてやる』という類の言葉の意味が、梨緒子にはようやく分かったのだった。

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