一つのメルヘン
John B. Rabitan
中原中也の「芸術論」考
序
はじめに
私が中原中也と初めて出会ったのは、高校2年の時の「現代文」の教科書であった。その時は、『在りし日の歌』に収録されている「北の海」が載っていた。その詩の持つリズミカルな響き、軽やかでいて奥深そうな情景が、強い印象として残った。
大学に入ってから、「文学」の講義で中也の小林秀雄との、愛人をめぐる関係などを知り、彼がいよいよ身近に思えたものだった。一つの愛が破局を迎え、愛する人は親友のもとへと行ってしまう――しかもその時は、中也自身が引っ越しの手伝いまでしている。そういった「口惜しい男」である彼の心情など、詩そのものよりもそういった話に関心を持った私だった。
ただ、ここではそのような小林秀雄との三角関係や、愛人であった長谷川泰子との愛についてのことをメインとするつもりはない。それらはすでに語り尽くされているし、今さら私が何も語ることはない。
私が中原中也の詩について着眼したもう一つの点は、何となくキリスト教的だということだった。この短絡的な定義は必ずしも成り立たないのだが、ひとまずそう定義しておく。「聖書」の知識があって中也の詩を読めば、より理解は深まるのではないかと直勘(直感ではない)したのだ。
彼の経歴を見ても、キリスト教に入信していたという事実は見られない。だが、彼の故郷の山口の風土でもあるキリスト教・カトリックの影響は、彼に対しても少なからずあったようだ。
これまでも彼の詩の宗教性を論じてきた人はいるし、彼の詩観の根底に信仰があることはよく言われていることである。だが、どうもその大部分は、キリスト教的には門外漢的な論調なのだ。だから、もう一度彼の詩観の宗教性を論じてみたい。
一口に「宗教性」といっても、前述の通り彼の宗教性を単一的に「キリスト教的」と断定することはできない。
中也にとっての「神」とはいかなる存在であったのか、そしてそれが彼の詩観にどのようにかかわり合っているのか、興味ある問題である。そしてそれを解く鍵は詩そのものよりも、彼が著した数々の「芸術論」にありそうである。
中也は『山羊の歌』、『在りし日の歌』などの詩集を世に出したばかりでなく、「地上組織」や「試論」などの芸術論も数多く執筆している。
そこで、詩そのものよりもそれらの芸術論にスポットを当て、彼がどのように「神」を認識し、「神」と芸術のかかわりをどのように考えていたかなどについて考えてみたい。
この文章は論文ではなくエッセイである。だから、客観的に論じるつもりは毛頭ない。私ここで思い切り私の主観を中也の主観にぶつけ、そして中也の主観を浮き彫りにする。
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