第303話 言葉にしないと伝わらないこともあるんですよ
金曜日、ライトはヒルダとトールと共にエマを応接室で迎え入れた。
「ライト君、ヒルダ、トール君、こんにちは」
「こんにちは、エマさん。今日はどういった用事ですか?」
「ライト君とヒルダに1つずつ用事があったの」
「私にも用事があったの? ・・・あぁ、あるかもね」
てっきり、自分には特に用事がないと思っていたヒルダは、エマから用事があると聞いて心当たりを思い出したらしい。
「まさかヒルダに教わることになるとは思ってなかったけど、元気なトール君を見たらもうヒルダに訊くべきかと思って」
「・・・僕は席を外した方が良いかな?」
ヒルダへの用事というのが、夜の営みについてだと察したライトは席を外そうかと申し出た。
しかし、あろうことかエマは首を横に振った。
「ううん。ライト君もここにいて。ライト君にはお医者さん目線で妊娠期間の注意事項を訊きたいから」
「あっ、はい」
ライトは離席したかったのだが、エマがそれを許してはくれなかった。
医者としての注意事項を訊きたいと言われてしまえば、逃げる訳には行かないのだ。
ライトはトールを自分が抱くと言ってヒルダから受け取り、ヒルダとエマの話が早く終わるように願った。
「あう・・・」
「ありがとう、トール」
トールが元気出してと言わんばかりにライトに手を伸ばすので、ライトは微笑みながらトールが伸ばした手を優しく握った。
聞いていて気まずく感じる話でも、トールが傍にいてくれればライトもトールに意識を向けていられるから耐えられるのだ。
そんなライトを見て、心外だとエマは抗議した。
「ライト君、私は別に下世話な話をヒルダとする気はないよ?」
「えっ、そうなんですか?」
「何その意外そうな反応」
「わかりませんか? 僕がいる場所でヒルダに下世話な話をしてた記憶しかないからですよ」
「・・・今日は違うもん」
心当たりがあったようで、エマは顔を赤くして否定した。
この話を続けても仕方がないので、ヒルダが軌道を修正した。
「エマ、日頃の行いが悪いのせいよ。諦めなさい。それで、どんなことが訊きたいの?」
「妊娠してから出産するまでの間のことについて、アドバイスを貰えるだけ貰いたいの」
「割とまともね」
「ヒルダまで!?」
(僕もヒルダもエマが下世話な話をするって印象みたいだね)
ライトが日頃の発言には気を付けるべきだとエマを見て思った瞬間だった。
「まあ、冗談はここまでにしといて、妊娠した時には味覚が変わったわ。普段は酸っぱい物はそんなに欲しくならないんだけど、妊娠中は欲しくなったりしたかな」
「ちょ、ちょっと待って。味覚の変化ね」
ヒルダが真面目にアドバイスし始めると、エマは慌ててメモを取り始めた。
「それと、服に困ると思うわ。妊娠期間が進むにつれて、お腹が目立ってくるでしょ? そうすると着られる服が限られてくるから、オシャレな服を着たいと思ってもそうはいかないかも。まあ、私の時はどうにかなったけど」
「どうにかなったの? なんで?」
「我が家にはアンジェラっていう裁縫にも長けたメイドがいるもの。しかも、ライトが妊婦でも着られるオシャレな服をデザインしてくれたから、妊婦としては着飾れたんじゃないかしら」
「その服見せてもらえたりする?」
「ちょっと待ってて。アンジェラ、いる?」
「奥様、お呼びでしょうか?」
何か用事があった時のために、アンジェラは応接室の前で待機していたようで、すぐにドアを開けて室内に入って来た。
「私のマタニティドレスをここに持って来てくれる? エマが見たいんだって」
「かしこまりました」
アンジェラは一礼して応接室を出ると、数分でヒルダが来ていたマタニティドレスを数着持って来た。
「すごい! これなら妊婦になってもオシャレできるね!」
そう言いつつ、エマが獲物を狙う目でライトを見ていた。
エマの声は嬉しそうであり、言外に自分にも作ってほしいと告げていたのは言うまでもない。
「な、なんですか?」
「もう、わかってるくせに」
「言葉にしないと伝わらないこともあるんですよ」
「普段の行いのせいで誤解しちゃうもんね」
「ヒ~ル~ダ~」
ヒルダが悪戯っぽい笑みを浮かべて言うと、エマが顔を赤くして抗議した。
だが、お願いするのは自分であることを理解しているので、エマは気持ちを切り替えて頭を下げた。
「ライト君、私にもオシャレなマタニティドレスをデザインして下さい」
本気であることを伝えるため、普段の軽い感じではなく丁寧に頼んだ。
「わかりました。ただ、僕だってデザインは専門じゃないですからね? それに、ヒルダのためと思って頑張りましたけど、普段はそこまでデザインに気合とか入れませんし」
「くっ、ここに来て砂糖が投下されるなんて・・・」
ヒルダの妊娠期間のオシャレにまで、ライトとヒルダの仲の良さが現れるとは思っていなかったので戦慄した。
あくまでヒルダが着ると思ったから、ライトはヒルダのマタニティドレスのデザインは気合を入れて描いたのであって、エマにそれと同じクオリティのものを描いてあげられるとは限らない。
そもそも、前世の記憶から絞り出したのがヒルダの着ていたマタニティドレスであり、このデザインを量産するつもりはない。
そうなれば、別のデザインを用意する必要があるが、ライトはデザイナーではないからエマを満足させられると保証できないのだ。
「デザインは考えておきます。それはさておき、僕からも妊娠期間の注意点を話しますからちゃんとメモして下さいね」
ライトはデザインの話を終わらせ、医者目線で妊娠期間の注意事項を伝えた。
全部書き終えた頃には、エマの右手はすっかり書き疲れていた。
「ふぅ・・・。結構ボリュームあるね」
「でも、これだけ気をつけなきゃいけないことが多いんだよ。私はライトがいてくれたから、トールを健康な状態で産むことができたんだもの。エマもしっかり守るべきだわ」
「そうだね。成功者の後をしっかり追っかけなきゃ」
実際のところを言えば、仕上げにライトの【
人の口には戸が立てられないから、【
そうでないと、誰もかれもライトに出産に立ち会ってくれと頼むに違いない。
「よし、これで用事の1つは終わり!」
「用事はもう1つあるんでしたっけ?」
「うん。実は、この袋の中身について相談したくて」
エマが持参した大きな袋を開けると、ライトは前世で直接手に取ったことはなかったが、ニブルヘイムに来て初めて本物を見た物があった。
それは、海ぶどうの呼び名で有名なクビレズタであった。
「海ぶどうじゃないですか」
「良かった。ライト君知ってたんだぁ・・・」
ライトがこの海藻の正体を知っていると知り、エマはホッとした様子だった。
<鑑定>を使ってみると、ライトはこの海藻の名前が海ぶどうになっていることを知った。
クビレズタとは和名なので、ニブルヘイムでは海ぶどうという名前なのだろうと深く考えはしなかった。
「海ぶどうについて、どんな相談があるんでしょうか?」
「実は、オリエンスノブルスに接する海で海ぶどうが大量発生しちゃったの。食べられることは知られてるんだけど、料理法が限られてて領民が飽きてるんだ。でも、食べないと大量発生した海ぶどうが生態系に影響を与えるから、なんとかしなきゃいけないんだ。ライト君なら、何か良い知恵がないかなって思ってね」
「なるほど。魚醤に漬けたりサラダにして食べたりしてるんですか?」
「そうだよ。海ぶどう自体に味がないもの」
(どこかで海ぶどうを必要とする物があったような・・・。そうだ、思い出した!)
ライトは少し考えた結果、どうにか使い道を思い出せた。
「これ、全部貰っても良いですか?」
「全部? 貰ってくれるなら私は助かるけど、結構量があるよ?」
「構いません。薬の材料になるので」
「薬? どんな薬?」
海ぶどうが食用である認識はあったが、まさか薬の材料になるとは思っていなかったので、エマは首を傾げた。
ライトが薬の材料になると言ったが、その薬はルクスリアレポートに記されていたもので、今は製法が失われているものだ。
だから、エマが知らないのも当然である。
「折角ですし、今から作ってみますか? エマさんが覚えて帰れば、オリエンスノブルスでも作れるでしょうし」
「賛成!」
海ぶどうの大量発生をどうにかできるならと、エマは喜んで賛成した。
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