第293話 背中の傷は重騎士の恥だ
4月3週目の火曜日、トールが昼寝に入って暇になったヒルダは、ライトに甘えられないかと期待して執務室に向かった。
ドアをノックしてから、ヒルダは声をかけた。
「ライト、私よ。入っても良い?」
「良いよ」
返事を聞いてから、ヒルダはライトの執務室に入った。
そこには、机に8×8マスに線が引かれた正方形の板を置き、その上にマークの描かれた四角いチップを1列8つで2列に並べるライトの姿があった。
ライトはヒルダが入って来ると、顔を上げてヒルダの顔を見た。
朝食の時は特にアレンジしていなかったが、今のヒルダは綺麗な銀色の髪を後ろで縛っていた。
「あれ、ポニーテールにしたの?」
「うん。ちょっと気分転換にね」
「似合ってるよ」
「エヘヘ、ありがとう。ところで、ライトは何やってたの?」
「新しい娯楽を作ったんだ」
「娯楽? どんな?」
「1対1で盤上で駒を動かして遊ぶもので、
ライトが作ったと聞いて、ヒルダはじっくりと盤と駒を見るためにライトの隣へと移動した。
ライトが座る椅子の半分だけずれると、ヒルダはそこに座った。
「私にもできる?」
「できるよ。頭を使う娯楽だけど、ヒルダならきっと大丈夫」
「難しいの?」
「向き不向きはあるかもしれない。これは集団を指揮する訓練にもなる娯楽だから」
「むむっ、面白そうだね。やり方を教えて」
どれぐらいの難易度なのか聞き、ヒルダはなんとか遊び方を覚えてライトと遊んでみたいとやる気を出した。
そんなヒルダを見て、よし来たとライトは2つの駒を手に取った。
「1ターンに1回だけ盤上のマスから好きな駒を動かして、相手の
「決着がわかりやすいね。ねえ、
「そうだよ。
「面倒でもそういう気遣いが大事だよね」
「うん」
ヒルダはライトが貴族感の争いのきっかけにならないように配慮したと気づき、苦笑いするしかなかった。
今はパーシーとローランドの新旧教皇コンビが収めたが、少し前まで大陸北部では勢力争いが続いていた。
もしも、そのタイミングで
しかし、今はそうならないぐらい状況は安定しているし、これはあくまで集団を指揮する訓練となる娯楽だから、お披露目しても大丈夫だろうとライトは考えている。
「じゃあ、まずは
「全方向に動かせるんだ」
「うん。
「私の職業だね」
「その通り。
「
自分の職業が強いことは嬉しいが、それでも
その疑問に対し、ライトは首を縦に振った。
「別に構わないんだよ。相手の指し手=
「なるほど。普段は後ろでどっしり構えてて、必要があれば最低限動くのが
「そういうこと。
「確かに。でも、ライトが私の職業を切札に選んでくれて嬉しいな」
「
「もう、ライトってば・・・。好き♡」
不意打ちでキュンとしてしまったらしく、ヒルダはライトに抱き着いた。
元々ライトに甘えに来たので、ヒルダはその目的を果たしたと言える。
ヒルダを抱きつかせたまま、ライトは説明を続行する。
「
「これはどう動かせるの?」
「斜め方向に好きなだけ動かせるんだ」
「斜めだけなの? なんで?」
「他の駒で前後左右に好きなだけ動かせるから、その亜種みたいな扱いだね。ちなみに、その駒は陣営の後列両端にある
ライトは
「役割分担がされてるってことね」
「うん。それぞれの職業にも役割があるから、
「納得したわ」
ヒルダが何故を繰り返すようなことはしなかったから、ライトは説明を先に進めた。
「OK。じゃあ、1つ飛ばしちゃったけど、それぞれ
「
「正解。前後に2マス動かしてからその左右どちらかに1マス移動させるか、左右2マス動かしてからその前後どちらかに1マス移動できるよ」
「すごいトリッキーな駒だね。アンジェラそのものみたい」
「でしょ? ちょっと変わった動きをする駒を用意したいって思った時に、真っ先ににアンジェラが浮かんだよ」
だがちょっと待ってほしい。
ライトのその発言は、全国の
変態であるアンジェラと自分を一緒にするなという訳ではなく、そのパフォーマンス面において同レベルを求められれば、期待に応えられないという意味で待ったと抗議するに違いない。
「後列の動きはわかったわ。前列の駒について教えて。8つ全部同じく盾のマークだね」
「うん。前列の8つは全て
「後ろには戻れないの?」
「背中の傷は
「なるほど。
ここまでの説明でわかる者の方が多いと思うが、
キングが
駒の動きでチェスと違うのは、
「それと、あと2つだけルールがあるんだ」
「何かな?」
「1つは相手から駒を3回取る度に、取った駒の内1つだけ自分の駒として好きな位置に置ける。もう1つは、
「どうして?」
「前者は相手を倒していく内に降伏して味方になる者もいる想定だからで、後者は盾役が左右に並ぶことはあっても前後には並ぶことは戦場じゃほぼあり得ないから」
「言われてみればそうかも。ルールはこれで全部?」
「全部だよ。覚えられそう?」
「覚えた。早速やってみようよ」
「流石ヒルダ。物覚えが良いね」
それからすぐに、ライトとヒルダの対局が始まった。
それでも、ヒルダだって教会学校にいた頃は学年主席であり、生徒会長に就任できる頭脳の持ち主でもあったからライトを相手に善戦した。
結局、ライトの勝ちに終わったが、ヒルダは初心者にしては十分ライトと遣り合えたと言える結果になった。
「うぅ、負けた。悔しい」
「いやいや、普通に強かったからね? 開発したのは僕なのに負けるかもって焦ったよ」
「いつかライトに勝ってみせる」
「あれ、もしかしてハマった?」
「ハマったかも。でもさ、なんでこの時期に
ヒルダは今になって最初に訊くべき質問をした。
極東戦争の結果、大陸東部連合軍は呪信旅団に敗北した。
それゆえ、今は国を挙げてリベンジを目指して準備の真っ最中だというのに、どうしてこのタイミングで
それは最初に訊くべきだっただろう。
「理由は2つあるかな。1つは集団を指揮する訓練になること。もう1つは、ずっと戦争の準備ばかりしてたら疲れちゃうでしょ? だからこそ、このタイミングで息抜気になる娯楽を作ったんだ」
「やっぱりライトは色々考えてるね。流石私の夫だよ」
「ありがとう。もう1戦やる?」
「やる」
この日、ライトとヒルダはアンジェラが夕食に呼びに来るまでの間、ずっと
時にはこういう日があっても良いのかもしれないと思う2人だった。
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