第271話 アンジェラが一晩でやってくれたんだ

 パーシーの出発を見送った後、ライトはヒルダとトールがいる寝室へと向かった。


 ドアを開けると、スヤスヤと眠るトールとその様子を見つつ本を読んでいるヒルダの姿があった。


 ライトを視界に捉えると、ヒルダは静かに本を閉じた。


「ライト、お義父様はもうお帰りになったの?」


「うん。用事が済んだからセイントジョーカーに帰ったよ」


「あの後はどんなことがあったか教えて」


「わかった」


 ライトはヒルダが席を外してからのことを話した。


 全てを聞き終えたヒルダは苦笑した。


「お義父様もまた思い切ったことをしたね。実際にやったのはライトだけど」


「まあね。でも、思い出してみれば叔父様にも呪武器カースウエポンの強化ができるって伝えた後、僕も叔父様にティルフィングの強化をするかって訊いたことがあったよ」


「ローランドさんはリスクを心配してやらなかったんだっけ?」


「うん。そこが父様との違いだよね。父様なんて、ティルフィングの強化が失敗しても一向にかまわないって思ってたんだから」


「そういう思い切りがあったからこそ、ライトのやろうとしたことが次々に実現したんだよ」


「僕もそう思う。ところで、トールは寝ちゃったみたいだけど大丈夫だった?」


 ライトがヒルダに確かめたかったのはこの点である。


 レヴィ=ユミルの話をした時の場の暗い雰囲気に反応し、トールは寝ていたにもかかわらず目を覚まし、そのまま泣き出してしまった。


 そんなトールのことが心配だったからこそ、パーシーを見送ってすぐに寝室に直行した訳である。


 ライトの心配を察してヒルダは優しく微笑んだ。


「大丈夫。ここに戻って来て横になってすぐに寝息を立ててたもの。さっきは驚いちゃっただけよ」


「そっか。良かったぁ」


 トールの寝顔は安らかであるから、きっと大丈夫だろうとは思っていたが、ヒルダからの話を聞いてより一層ライトは安心した。


「ライトは心配性だね」


「情操教育上よろしくない話だったんだから、心配したくもなるって」


「それはまあ、確かに幼いトールの耳に入れたい話じゃなかったかもね」


「でしょ?」


「うん」


「という訳で、トールが生まれた時のために作ったこれの出番だ」


 そう言うと、ライトは<道具箱アイテムボックス>から数冊の本を取り出した。


「本? ライトは本を作ってたの?」


 ヒルダの疑問を受け、ライトは右手の人差し指を左右に振った。


「チッチッチ。違うんだな。これは絵本だよ」


「絵本? 何それ?」


 実は、ニブルヘイムには絵本というものが存在していなかった。


 本はあるが、図鑑を別として表紙や背表紙以外に絵はほとんど描かれていない。


 それゆえ、ヒルダは絵本と言われてもピンと来なかった。


 百聞は一見に如かずということで、ライトはテーブルの上に置いたものから1冊手に取ってヒルダに渡した。


「中を見てくれたらわかるよ」


「わかったわ。この絵本はタンポポ出世街道っていうのね」


 ライトに促されたヒルダは、渡された絵本のタイトルを読み上げて早速捲った。


 すると、1ページ目から絵が大きく描かれており、子供でも読みやすいような表現で物語が始まった。


「すごい、絵がたくさんある。ううん、絵がメインで文章が少しずつ載せられてるのね?」


「うん。僕が文章とざっくりとした絵のイメージを準備したら」


「準備したら?」


「アンジェラが一晩でやってくれたんだ」


「製本作業を一晩で終わらせるなんて、相変わらずアンジェラはすごいね・・・」


 アンジェラの仕事ぶりにヒルダの顔が引き攣った。


 それはさておき、ライトはタンポポ出世街道とは前世のわらしべ長者にアレンジを加えた絵本である。


 昔ある所に正直者だが運の悪い男がいたという部分は、ある所に孤児院育ちだが真面目で無職の男がいたという風に変えている。


 いつも日雇い労働に勤しんでも稼ぎが悪く、飲まず食わずで男が祈る部分は相手を観音ではなくヘルに差し替えた。


 男は教会で祈っている最中に空腹で意識を失い、夢の中でヘルに出会う。


 ヘルは男が目を覚ました時、手に掴んでいた物を持って南へ向かえと伝える夢である。


 目が覚めると、男は手に季節外れのタンポポを一輪掴んでいた。


 ヘルの言う通り、男は一輪のタンポポを持って教会から南へと出発する。


 南に向かうと、親子連れとすれ違う。


 子供は季節外れのタンポポに興味を持ち、それが欲しいと主張する。


 その主張の仕方が駄々っ子そのものであり、困った親は男にタンポポを譲ってくれと頼む。


 男は孤児院にいた頃、目の前で泣き喚く子供と同じぐらいの子供の面倒も見ていたので、泣き止ませるためにタンポポを譲る。


 タンポポを貰うだけでは申し訳ないと親が言い、男は代わりにミカンを3つ貰った。


 ミカンを手に入れた男は親子と別れて南に向かい、しばらくしたら住んでいた領地の南門に到着した。


 南門で男は、壁外でアンデッドに遭遇したらしく、南門に着いたことで気が抜けて倒れた行商人と遭遇する。


 門番が周囲に見当たらないため、男が助け起こすとその行商人は全力で走り続けたせいで喉が渇いたと言い、お礼をするからミカンを譲ってくれと頼む。


 行商人の水筒には水が一滴も残っていないと聞いて不憫に思い、男は全てのミカンを譲る。


 行商人はミカンのお礼に、男にユグドランαを2本渡した。


 男は行商人と別れて壁外へと出る。


 男にしては運の良いことで、その日は気候も暑過ぎず寒過ぎずでアンデッドにも遭遇しないまま夕暮れまで男は街道を進んだ。


 すると、街道で立ち往生している守護者ガーディアンのパーティーと遭遇する。


 パーティーは男に話しかけ、パーティーメンバーの1人がアンデッドにやられて倒れており、瘴気による病に効く薬を持っているか確認し、持っていたら譲ってほしいと頼む。


 男は行商人から貰ったユグドランαを譲り、倒れていた者は1本目のユグドランαを飲んで小康状態になる。


 この状態を維持してパーティーが男の旅立った領地に行けば、病状が落ち着いた者は後遺症も残らずに済みそうだということで、パーティーリーダーが男にお礼をしたいと言う。


 最初は金銭で払おうとしたパーティーリーダーだったが、領地間の移動で必要物資の調達でお金を使っていてほとんど所持金がなく、ユグドランαを飲んで落ち着いた者の治療にもお金がかかることから所持品からのお礼で構わないかと訊ねる。


 男はせっかく助かりそうな者がいるのに、お金がないという理由で治療を受けられないことは良くないと思ってそれを受け入れる。


 パーティーリーダーは感謝し、男にお礼として自分の予備の武器である聖鉄製の短剣を渡した。


 アンデッドが蔓延る壁外では、夜通し移動するならば強さに余程自信があるか、上等な蜥蜴車リザードカーがないと厳しい。


 そういう理由から、パーティーリーダーはそこで野営をすると言って、男も夜明けまでお世話になることになった。


 翌日、守護者ガーディアンのパーティーと別れた男は、再び南へと進み始めた。


 そして、アンデッドと遭遇するも、パーティーリーダーから貰った聖鉄製の短剣に怯えて近づいて来ないような雑魚モブだったこともあり、男は南の領地に辿り着いた。


 門番は男が聖鉄製の短剣以外何も持たずにいるのを不思議に思ったが、その短剣の柄に彫られていたマークに気づき、領地を治める貴族に報告すべく使者を送った。


 その間、門番は男に門番が執務や休憩に使う詰所で待機するように頼む。


 それからしばらくすると、使者が執事の操縦する蜥蜴車リザードカーに乗って帰って来て、男を貴族の屋敷へと連れていく。


 屋敷に着くと、男は貴族が短剣を渡したパーティーリーダーの兄だと知る。


 貴族から弟のパーティーを救ってくれたお礼に、その優しさと勇敢さを見込んで屋敷で働かないかと申し出を受け、男は快諾する。


 男はその貴族の家の使用人になり、飢えることも職がなくて貧乏であることからも脱却して物語は終わる。


 ヘルハイル教皇国において、無職の者が貴族の屋敷の使用人になることは滅多にない。


 だからこそ、タンポポ出世街道はハッピーエンドの物語であった。


 読み終えたヒルダは目を輝かせた。


「ライト、この絵本すごい! 物語は絵があってわかりやすいし、これならトールにも読み聞かせてあげられるよ!」


「ヒルダ、喜んでくれるのはうれしいけど、トールが寝てるから静かにね」


「あっ、ごめん。でも、それだけ感動したよ」


「ありがとう。トールは賢いみたいだから、案外読んだら反応してくれるかもね」


「そうかも。トールが起きたら読んであげるね」


「うん」


 しばらくして起きたトールが絵本に興味を持ち、ヒルダが読み聞かせるとキャッキャと喜んだのは言うまでもない。

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