第94話 僕はなんでも知ってますから

 9月3週目の土曜日の午後、ライトとヒルダ、ジェシカは教会にやって来た。


 今日は論文発表会の当日で、昼休みにライト達は合流して手短に昼食を取った後、会場となる会議室へと移動した。


 ライト達が教会に着いた時には、他の参加者達もかなりの数が集まっていた。


「ふぅ、有力者がここまで集まると、流石に緊張しますね」


 ジェシカはここで発表するのかと思うと、緊張して体が震えてしまった。


「会長でも、こういう機会だと緊張しますか?」


「しない訳ありません。ライト君とヒルダはどうして平気そうなんですか?」


「僕の場合、入学前の治療院で貴族や有力者の治療も行ってましたから慣れてます」


「私はライトの将来のお嫁さんとして、恥ずかしくない振舞いが求められるとわかってるので、気合を入れてるだけです」


「なるほど。私もドゥネイル公爵家に名を連ねてるので、こういう機会に参加したこともあることにはあります。それでも、どうしても慣れないものです」


 (意外だな。会長だったら、こんなのしょっちゅう参加してると思ったのに)


 ジェシカの意外な一面を知り、ライトは少し心配になった。


 よく考えてみれば、ジェシカは今日の発表を成功させるために練習に練習を重ねていたが、それはお偉方が集まる場所で恥をかきたくないからのようだった。


 発表前に緊張で喋れなくなりましたでは困るので、ライトは前世のおまじないを教えることにした。


「会長、手のひらにhumanと3回書いてそれを飲み込んで下さい」


human、ですか? 何か意味があるんですか?」


 突然、ライトに意味のわからないことを言われたため、ジェシカは首を傾げざるを得なかった。


 そんなジェシカに対し、ライトはきっちりと説明し始めた。


「緊張しなくなるおまじないです。緊張することを人に呑まれるって言うじゃないですか。だったら、逆にこちらが人を呑んでしまえば緊張しないでしょう?」


「面白い考え方ですね。やってみます」


 ジェシカはおまじないの由来を聞いて納得し、手のひらにhumanと3回書いて飲んだ。


 本来であれば、漢字でと書くのが正しいが、今ライト達がいるのはヘルハイル教皇国だから、公用語のヘルハイル語で人を意味するhumanと書いている。


 おまじないを試し終えると、震えがマシになったジェシカがライトに話しかけた。


「まったく、ライト君は博識だね」


「僕はなんでも知ってますから」


「まさか、ライト君は世界の真理も知ってるんですか?」


「知りたいんですか?」


「えっ?」


「冗談です」


「ライト君、意地悪ですね」


「でも、緊張はもう解けたでしょう?」


「・・・言われてみればそうですね。色々と話している間に、かなり気分が楽になりました」


 ライトにもう大丈夫かと訊ねられると、微笑みながら応じられる程度にジェシカは緊張から脱していた。


 すると、向こうの方からヘレンがライト達に近づいて来た。


 ライトがいち早く気付くと、自分から声をかけた。


「こんにちは、叔母様」


「こんにちは、ライト君、ヒルダちゃん、ジェシカさん。調子はどうかしら?」


「ライト君のおかげで、緊張はどうにか解けました」


「あらあら、ライト君ってばジェシカさんに何をしたのかしら?」


 邪推してニヤニヤと笑うヘレンに対し、ヒルダがライトを抱き締めて応じた。


「緊張しないようにするおまじないを教えただけです」


「ヒルダちゃん、冗談よ。ライト君モテそうだから、つい言ってみただけ」


「ライトは私のものです。近づく女は徹底的に排除します」


「・・・ご、ごめんね。そこまで刺激するとは思ってなかったわ」


 この謝罪は、ヒルダに対してというよりはライトに向けられたものだった。


 エクスキューショナーのデメリットにより、精神が不安定になるとヒルダに殺人衝動が沸き起こることをヘレンは知らない。


 自分が知らなかっただけで、実はヒルダがヤンデレ気質だったのかと勘違いしてしまった。


 だから、ヘレンは自分が地雷を踏んでしまったと悟ると、ライトになんとかしてほしいという願いも込めて謝罪したのだ。


 やれやれと内心溜息をつきながら、ライトはヒルダを宥めた。


「ヒルダ、落ち着こうね。大丈夫。僕はヒルダの前からいなくなったりしないから。深呼吸しようか」


 ライトに言われ、ヒルダはライトを抱き締めたまま深呼吸した。


 以前口にしたライトニウムとやらを、体内に取り込んでいるのだろうか。


 深呼吸を重ねるごとに、ヒルダの表情が穏やかなものに変わっていった。


「ヒルダ、もう大丈夫?」


「うん、大丈夫」


 落ち着きを取り戻したヒルダは、ようやくライトから離れた。


 それを見たヘレンは、ライトに口パクでごめんと謝ってから話題を変えた。


「そうそう、ライト君達に声をかけたのは、ゴーント伯爵家の件について教えてあげようと思ったからなの」


「そういえば、あれから何も情報が入って来ませんでしたね」


「緘口令を敷いてたから、知られてた方が問題だわ。事の顛末、気になるでしょ?」


「勿論です」


「結論から言うと、ゴーント伯爵家は取り潰しになったわ。その一派も含めて散り散りにさせて、この大陸の数あるアンデッドの多い領地で強制労働の刑に処したの」


 人類がアンデッドと生存競争をしている現状、死刑に処して終わりよりも使い捨てにできる労働力にされるのが世の常だ。


 聖水の利権を悪用し、貧乏人を見下す発言をするような家の者は、死刑にして終わりではなく、対アンデッド戦の肉壁や駒として扱われる最期が相応しいと考えられている。


 日本とは違うとわかっているので、ライトはそれについて疑問は抱かなかった。


 しかし、別の事柄が気になった。


「ゴーント伯爵家の領地はどうなったんですか?」


「前回の大規模遠征で活躍した法衣貴族の土地になるわ。ゴーント伯爵家の取り潰しと共に、後日大々的に発表されることになってるの」


「そうでしたか。では、それまでは僕達も黙っておきます」


「そうしてもらえると助かるわ。ちなみに、本当は腐れデブの一派からも発表があったんだけど、今回の件で発表は中止になったのよ。良かったわね、ジェシカさん」


 ゴーント伯爵家に関わる者達なんて、顔も見たくないだろうとヘレンがジェシカに話を振ると、ジェシカはその通りだと頷いた。


「良かったです。値上げの脅迫のことがありましたから、ゴーント伯爵家の顔を見たら苛立ちを抑えられなかったかもしれません」


「まあ、聖水の利権については、ライト君の協力もあって見直されることになったから大丈夫だろうけど、この発表会の参加者は色々と利権を持つ人達ばかりだから気を付けてね」


「わかりました。お気遣いいただきありがとうございます」


 その後、ヘレンがスタッフに呼ばれたので、ライト達は自分達が座る席へと移動した。


 席に着くと、机の上には今日のプログラムが置かれており、ライト達はそれに目を通し始めた。


 そこには、有識者や専門家として知られる人達の名前が並んでいた。


 そんな中、教会学校生徒会長という特別枠でジェシカの名前が最初に載っているのだから、プログラムを見る限りではそれが浮いているように見えてしまう。


 だが、もうジェシカは緊張していない。


 それに、ライトが後ろに控えていてくれれば、大概のことはどうにかしてくれるだろうという信頼感があった。


 だから、ジェシカはこれ以上緊張することなく発表原稿を見て最後のイメージトレーニングに入った。


 それから少しして、参加者が全員揃い、論文発表会の開始時刻になった。


 ヘレンが会議室に用意された演台の前に立つと、会議室が一瞬にして静かになった。


「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。定刻となりましたので、今年の論文発表会を始めます。今日が実りのある場となることを心から願います」


 そこまで言うと、ヘレンはチラッとライト達の方を見てから再び口を開いた。


「それでは、最初は特別枠として今期の教会学校の生徒会長、ジェシカ=ドゥネイルさんに発表をしていただきましょう。こちらにいらして下さい」


「はい」


 ジェシカは立ち上がると、そのまま躊躇うことなくヘレンがいる演台へと向かった。


 助手のライトとヒルダもその後に続く。


 質疑応答が終わり、この席に戻って来るまでがジェシカの発表だ。


 ライトも助手として、ジェシカが答えられない状況に陥ったらフォローに入る必要があるので、黙ったまま席に戻れるとは限らない。


 演台の後ろにジェシカが立ち、ライトとヒルダがその後ろに着く。


 そして、ジェシカの発表が始まった。

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