第90話 なんでもは知りません。知ってることだけです
ジェシカが正気を取り戻すと、ライトは話しかけた。
「会長、大丈夫ですか?」
「ええ、もう大丈夫です。ライト君は本当に規格外です。なんでも知ってるんじゃないですか?」
「なんでもは知りません。知ってることだけです」
(まさか、僕がこのセリフを口にするとはね)
前世で読んだライトノベルの一節を思い出し、顔には出さないもののライトは心の中で笑った。
「そうですよね。流石のライト君でも、この世界の真理は知らないですよね?」
「・・・知りたいんですか?」
「えっ、わかるんですか?」
わざと溜めて、悪戯っぽい笑みを浮かべるライトに対し、本当にわかるのかとジェシカは目を丸くした。
それを見たライトは、おふざけはここまでにすることに決めた。
「冗談です。それよりも、聖水の作り方はどうしますか? 大雑把な説明でよろしければお伝えしますよ?」
「お願いします」
論文を書く以上、ライトの作る聖水と市場に出回る聖水の違いは知っておきたいので、ジェシカはライトに説明を求めた。
「わかりました。まず、水の準備からです。月光に十分に浴びせた水ということですが、最低でも3日は夜間に月光を浴びせる必要があります」
「3日ですか。それだけでも手間ですね」
「仕方ありませんよ。それぐらいやらなきゃ、ただの水を聖水に変える準備にはなりません」
「それもそうですね。水の準備が整ったらどうするんですか?」
「
「長文?」
「例えば、寿限無、いや、忘れて下さい」
「じゅ、じゅげむですか?」
「すみません。これ以上上手く説明できないので、その部分はスルーでお願いします」
日本人ならわかる寿限無の全文を例に挙げようとしたが、この世界の人間に寿限無が伝わるはずがないことに思い当たり、ライトはこの部分の説明を割愛した。
「わかりました。噛まずに詠唱が終われば、聖水ができるのですか?」
「その通りです」
「聞いただけですと、大して作るのは難しくなさそうなのですが、詠唱が難しいのでしょうか?」
「詠唱もそうですが、水に夜3回分の月光を浴びせても、途中で曇ったりすれば月光不足になります。この2点が、聖水の質の向上と大量生産を阻んでます」
雲一つない夜空が続くならば、月光を浴びせる部分で躓くことはないだろう。
しかし、天候を意のままに操ることはできないから、この時点で聖水の質が安定しない。
そして、月光を十分に浴びせた水を用意できたとしても、詠唱を噛まずに終えるのも一苦労だ。
そんな作成条件なら、聖水の供給量が不安定なのも頷ける話だ。
「ちなみに、ライト君の【
「合ってます」
ホーリーポットを使えば、MPを注ぎ込むだけで聖水が作れるのだから、それ以上に作業が簡単である。
「ライト君が作った聖水の品質が、市販のものよりも品質が高いのは、月光不足と詠唱ミスが原因ということですね?」
「そうだと思います。<鑑定>の結果を見た限りですが、詠唱を間違える度に聖水の効果が少しずつ落ちるみたいです」
「もしかして、既得権益にしがみつく貴族は、それを知ってて敢えて質を落としてませんか?」
「その可能性はあります。教会作成分の聖水の質を意図的に下げて、市場に聖水を高値で流してるならば許されざる行為です」
人類とアンデッドが戦っている中、私利私欲で動く者がいるかもしれないというだけで、ライトはうんざりした気持ちになった。
クゥゥゥッ。
その時、誰かの腹の音が鳴った。
言うまでもなく、イルミの腹の音である。
イルミ以外の4人の視線が自分に集まると、イルミは慌てて首を横に振った。
「お、お姉ちゃんじゃないよ!」
「誰もイルミ姉ちゃんだって言ってないよ」
「でも、お姉ちゃんのこと見てるじゃん!」
「そうだね。ところで、会長、頭を使う内容を話してたから、甘い物が欲しくなってきませんか?」
ジェシカに話しかけているように見せて、イルミがボロを出すのを誘う発言だ。
ライトの作戦に、イルミはまんまとかかった。
「甘い物ならお姉ちゃん大歓迎だよ!」
「イルミ姉ちゃん、正直に言ってごらん。それなら、味見させてあげるから」
「お姉ちゃんのお腹の音だよ! ライト、何か作って!」
「やれやれ。会長、こうなっては仕方ありません。この続きは、ティータイムの後にしましょう」
「わかりました」
最初からわかっていたけれども、やはりお腹の音はイルミのものだった。
これまでの間、なんだかんだずっと頭を使っていたので、ライト達も一休みした方がこの後の生産性が上がる。
ということで、ライト達はティータイムに入った。
ライトはお菓子を用意すると言って、ジェシカとメイリンが見えない場所に移動してから<
その瓶の中身は、濃い赤色のジャムだった。
続けて、黒パンを薄くスライスした状態で皿の上に並べたものも取り出し、その上にジャムを適量かけたらおやつの完成である。
お茶の方は、ライトの準備が終わる頃にはヒルダが人数分淹れていた。
「ライト君、薄く切った黒パンの上にかけられてるのはなんですか?」
「聖水で育てたウィークのジャムです。事前に作り置きしてたんですよ」
「ライト、お姉ちゃん愛してる!」
「イルミよりも、私の方がライトを愛してる!」
「喧嘩は、他所で。冷める前に、食べる」
イルミの発言を聞き、異議ありと言わんばかりにヒルダが立ち上がると、メイリンが口を開いた。
「メイリン、ダイエットは良いの?」
「・・・夕飯、少なくする」
甘味を前にして、ダイエット中のメイリンはあっさり屈してしまったらしい。
ジェシカがそれを指摘すると、メイリンはジェシカを直視せずにボソボソっと答えた。
新しい甘味のためなら、夕飯の量を減らすことも厭わない。
これがダイエット女子なのだ。
それはさておき、一旦難しい話は止めにして、ライト達はティータイムを楽しんだ。
「うん、丁度良い甘酸っぱさです」
「これが手軽に食べられるなら、ライト君は聖水を量産すべきですね」
「完全に、同意」
「お姉ちゃん・・・、このジャム・・・、もっと・・・」
「イルミ姉ちゃん、食べるか喋るかどっちかにしようよ」
ジェシカとメイリンの私欲まみれの発言をスルーし、ライトはイルミに品がないと注意した。
すると、イルミは喋ることよりも食べることを優先した。
そんなイルミを見たヒルダは呆れて苦笑した。
「イルミの旦那さんは、イルミの食費を賄えて料理上手じゃなきゃ駄目だね。そんな人いるの?」
「・・・ライト?」
「・・・ライト君ですね」
「ライトは私のものです。イルミには渡しません」
「えっ、ライトがお姉ちゃんのこと養ってくれるんじゃないの!?」
(アルバス、こんな姉でも嫁にほしいのかな?)
外見は整っているが、脳筋でエンゲル係数を上昇させる原因たる今のイルミを見ても、アルバスは変わらずに結婚したいというのかライトは気になった。
いや、正確にはアルバスも単純なところがあるので、アルバスとイルミが結婚したらドゥネイル公爵家の将来が心配になったという方が正しいだろう。
「イルミ姉ちゃん、結婚したら僕が養う理由はないよ?」
「じゃあ、お姉ちゃん結婚しない! 一生ライトに養ってもらう!」
「私は認めないからね、イルミ。自分の食い扶持は自分で稼いでもらうから」
「そんなぁ~」
「当たり前だよ!」
(ごめん、アルバス。イルミ姉ちゃんは色気よりも食い気らしいぞ)
イルミの発言を聞き、ライトは溜息をついた。
その後、ライトはジェシカとメイリンから、ウィークのジャムは賢者シリーズとしてサクソンマーケットで発売されるのか訊ねられたり、イルミからずっと養ってと言われたり、ライトは自分の物だと主張するヒルダを宥めたりと大忙しだった。
休むためのティータイムだったのに、ライトは休む前よりも疲れてしまった。
ティータイムが終わって議論をしていると、頭を使う方が楽だと思ってしまうあたり、ライトの苦労が伺えると言えよう。
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