ヒーローになれなかった主人公

三越 銀

epilogue 「こんな世界は」

 ヒーローになるのが夢だった。

 幼い頃、画面の向こう側で皆の期待を一身に受け止め、凶悪な怪獣たちから地球を守る赤い巨人に大きな憧れを抱いていた。彼らはウルトラマンと呼ばれ、親しまれていた。

特に好きだったのは、ウルトラマンガイアだ。彼がこの地球に姿を現したのは、一九九八年。俺が生まれる少し前だけど、年度で見れば同期ってこともあって愛着がある。何よりも好きなのは、登場シーンで巻き上がる砂埃だ。上から落ちてきてスクワットのような体勢で着地するのだが、その際の重みと衝撃で全身が隠れるほどの砂埃が舞う。その砂埃のカーテンの向こう側で光る眼が最高にかっこいいのである。

 昼休みが終わり、各々が睡魔と闘う五限目。暖房の重たい暖気が籠もる教室内には、理系の先生特有の抑揚がない単調な声だけが存在していた。

 一番窓際、真ん中あたりの席で俺は外を眺めている。だから今この瞬間、俺の中で存在しているのは、窓の外の景色と数学教師の声だけだ。声だけでも存在させてやっていることに感謝して欲しい。この授業つまらないからなぁ。まあ、自分が苦手なだけなんだけど。苦手なものを遠ざけると一生追いつけなくなるよね。そもそも最初から一歩前を走っているやつを遠ざけたら、追いつけないのは必然なんだよな。わかる。

 見つめる先には、秋らしい見事な紅葉が広がっている。高台にあるこの学校は緑に囲まれていて、四季折々の自然を楽しむことができる。ついでに街も一望できるし、クソみたいな自称進学校にも良いところが一つはあるものなんだなぁなんて、気取ったことを思ったりしているのはまだ幼い証拠なのかもしれない。容姿も頭も良いのに性格まで良くなっちゃったらモテ過ぎちゃうからなぁ。そのへんの調節?わかってるんだよなぁ、やっぱ俺って。完璧だから誰も近寄れないのかしら?

 「おい、あかつき。校庭の女子がそんなに気になるか?」

 下らないことを考えながら景色を堪能していたのに、意識が一瞬にして教壇へと吸い戻された。

周りの生徒がチラチラと俺を見てはクスクス笑っている。教室の隅から、「うわっ」という女子の冷淡な声が聞こえてきた。

 「さーせん」

 空返事をして、ノートに視線を落とす。盛大なふりオチになってしまったな……。

 それにしてもこの男、五限目始まってからまだ一文字も書いていない。そりゃテスト出来るわけないよね。だって授業聞いてないどころか、板書写してすらいないんですもん。

 自分の怠惰に嫌気が差しながらも、今黒板に書かれている内容だけでもと思い、ペンを走らせる。こういう時友人がいないって辛いよな。まず誰かのノートを写させてもらうって発想がないし。

 そもそも、こんな怠惰な奴がヒーローになんてなれるわけがないのだ。ウルトラマンに変身する人は、自分を犠牲にしても誰かを助けたい一心で行動している。その勇気に、ウルトラマンたちは力を貸すのだ。今の俺には、誰かを救おうという心意気も、犠牲を払う勇気もない。だから、ヒーローにはなれない。

 これでも、昔から怠惰な人間だったわけではない。俺にも誰かを救いたい一心で行動していた時期はあった。ヒーローになりたいと、本気で思っていた。

 けれどあの日を境に、ヒーローになりたいと口にすることは一切なくなってしまった。

 「―お前まだそんなの好きなのかよ。お子ちゃまだなぁ~」

 その言葉が、あの嘲笑が、いつまでも心の底に響いている。

 人は誰もが、一度はヒーローに憧れたはずだ。皆心のどこかでヒーローを求めている。でも現実にヒーローたる行動を取る勇気ある人が現れた時、人はそれを偽善だ、馬鹿らしいと非難し唾を吐き捨てるのだ。そうやって少しずつ、心は歪み、形を変えてしまう。

 この世界の型に合わせて。

 俺はもう一度、窓の外に視線を移した。

 色付く木々が涼しい風に揺られている。やはりこの景色は絶品だ。美しい。

 だがこんな世界は、クソくらえだ。

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