第3章 2

「俺、律ちゃんに結婚を申し込んだぞ」

 苦悶の中で平穏を取り繕い過ごすうちにいつしか年が明け、我が家を訪ねてきた山田から、いつになく神妙な面持ちで報告を受けたのは、彼が陸軍幼年学校に合格し、四年進級を待たずして中学を去るというひと月前のことだった。

「……せっかちな奴だな君も。まだ十五になったばかりだろうに」

「無論、ちゃんと士官として任官した後に、正式に籍を入れるつもりだ。まあ、先方のご両親にはお許しは頂いているから、問題はあるまい。ま、その、なんだ、ううん、婚約……ということになるのだな、ううむ」

 毬栗頭を真っ赤にして、彼奴にしては歯切れが悪い。柄にもなく相当アガっているらしい。

「出発前に、貴様には報告しておかねばならんと思ってな」

「どうりで律のやつ今日は出てこないはずだよ。照れてやがるのな」

「むぅ……」

 唸りながら山田はばりばり頭を掻き毟った。

「ところで、東京の学舎に入校するのか?」

「うむ、上の兄貴と同じ仙台幼年ならばまだ近くて良かったんだが、例の軍縮で廃校になってしまったからな、不便だよ」

 頭を掻きながら苦笑する山田。

「東京……帝都か」

 呟いてみる。

 外では雪が降り始めたらしく、綿雪の粒々が、障子の向こうにポツポツと透けて見えた。



 出発の日、駅のプラットホオムは見送りの人だかりでごった返していた。これだけ駅に溢れるほどの群衆が詰め駆けるのなど出征兵士を見送る時ぐらいのものだろう。中には日の丸の小旗を用意している同級生の一群もいる。

 見送りの一人ひとりに順繰りに揉みくちゃにされ、せっかくプレスの利いた学生服をくしゃくしゃにされた山田が僕の前に立ち、ニっと笑った。

「達者でな」と僕はいった。

「貴様もな、たまに思い出したら手紙の一つでも送ってやるよ」

「そんな暇あったら律に送ってやれ。見ろよ、これから旦那を戦争に送るような悲愴な顔してるぜ」

「馬鹿言え、手紙はまず律ちゃんに送って、貴様は思い出した時の二の次だ。決まっておるだろうが」

 そういって笑いながら、僕たちは固く抱擁した。

「……姉上、早く良くなるといいな」

「ああ、そうだな」

 抱擁を解く前、山田は小さく耳元で囁いた。

「貴様の笑った顔、一度くらいは見ておきたかったぞ」

「――え?」

 見返す僕の視線の先では既に山田は背を向けていて、一通り居並ぶ人々に挨拶を終えると、「行ってきます」と大きな声で敬礼し、やがて、友人を乗せた汽車は皆に万歳三唱で見送られながら煙を上げて発車した。


「――達者でな」

 学帽片手にいつまでも手を振り遠ざかっていく親友を見送りながら、何故か僕は離別の寂寞よりも、新しい風が自分の中に吹き込んだような、不思議と晴れやかな気持ちを抱いていた。


 山田と直接言葉を交わしたのは、これが生涯最後となった。

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