第4話
入道は目を閉じて、想いを巡らせていた。
そして、深く息を吐いて、深く息を吸った。それを数度繰り返した。
「烏」
「は」
入道の呼びかけに烏が応えると、入道はゆっくりと瞳を開いた。
「……儂は、どうすれば良かったのであろうな」
入道は己の掌に視線を落とし、そして握り込んだ。
「後悔することがおありですか」
「後悔せぬものなどおらぬであろう。さればこそ、まだ、と、思うのではないか?」
入道はそう言って烏を見た。
「然り」
烏の口元が微笑んでいる。入道の口端も僅かに上がっていた。
「生きていればこそ、過ちも取り返せましょう。今、それを知っても詮無き事では?」
「それでも知りたいと思うのが、人の業であろう。役に立たぬ事でも、知る術があるのなら、知りたいと願う」
「手に入れられる術があるなら、手に入れたいと思う」
烏が言った。その言葉に、入道の神経がちりっと痛んだ。己の生前の行いをとがめられている気がしたのだ。しかし、そこで痛みが生じるという事は、己自身がそれを後ろ暗く思っているからであると、入道は察した。
「それが、誤りであると?」
殊更静かに烏に問う。その問いかけに烏は静かに首を横に振った。
「私に正誤は決められませぬ。決められるのは、神と、」
烏はそう言って、言葉を切った。そして、すうっと何かに操られるように、どこか不自然に彼の右手が上がった。その指先が、入道を差し示す。
「儂、じゃと?」
「そう、でもあり、否、とも言えましょう」
「と、言うと?」
「己、自身にござりまする」
「成程」
入道は静かに目線を下げた。
「何を悔いておられまするか?」
烏が言った。入道が顔を上げて、自嘲気味に笑う。
「さて、な。後悔か。確かにそれもあろう。だが……」
その先は、入道は口にしたくなかった。今それを口にしてしまえば、それが、現実になってしまいそうだったからだ。
「まぁ、いい。そうだな。何故、儂がここで死なねばならぬのか。やはり、仏罰か?神仏が我に罰を下したのか?」
「罰を下されるようなことを、なさった覚えがおありなのですね」
「いかにも」
烏の不躾な物言いに、入道は逆に胸を張って答えた。
「人の頂点を極めるには、泥は被らねばならぬ。美しい、穢れ無き世界だけでは生きられぬ。現世に穢れあれば、我もそれを受けずには生きられまい」
「知って被った罪科であると」
入道はふんと鼻を鳴らした。生前の彼の性根が戻っているようであった。
「どこがどれほど悪くて仏罰を食らったのか、言うてみい」
入道はどかっと地面に胡坐をかいて座った。その姿は白装束の入道姿。そこにうっすらと、侍烏帽子と狩衣を身に着けた、武士の姿が被る。生前の性根。入道の若き頃の猛々しさもまた、戻っているようだった。その様子に、臆するでなく、烏はただ、静かに見つめている。
「申し上げましたように、私にはその判断は致しかねまする。それを決められるのは、」
「ここに居る中では儂だけ、じゃな」
眼光が鋭くなっている。それでいて、ただ厳しいだけではなく、何かを楽しむような色も含んでいた。それこそが、人の世の頂点を極める男の、持ちうる特殊な性質なのかもしれない。
「見せられるか、烏。儂の生き様を」
「御意」
烏は腕を胸の前に置いて深く頭を下げた。見慣れない礼の取り方を怪訝に思うも、またすぐ悪戯小僧のような、好奇心に満ちた瞳になった。それを待っていたかのように、烏の足元に小さな光が生まれた。その光は大きく広がっていく。やがてそれは、二人の視界を覆いつくした。
そして、
二人の周りには、何かの風景が映し出されていった。
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