13 僕ら二人

 数十分後、僕が目を覚ました時にはすでに幽霊ゴーストは消えていて、呆れ顔のウルフが待っていた。すべて丸く収まったという。あとはガーゴイルを直すよう大学側に言えば、それで大丈夫だと。ジュールとクームズは半分泣いたような顔をして、呆然とベッドに座っていた。


「こってり絞られたので、しばらくはこのままでしょうね」


 などと、ウルフはひとり平然としていた。

 僕らはエイト・ブリッジを後にした。ウルフの足首はひどく腫れ上がっていたから、僕は肩を貸した。断られるかと思ったけれど、さすがに痛むらしくて、彼は素直に肩に掴まった。

 寮までの道をゆっくりと下りていく。半月でも満月でもない月が、西側に傾いて浮かんでいた。もう時刻はかなり遅い。寮の正面玄関は閉まっている時間だけれど、男子トイレの窓の鍵が壊れていることを知っている僕らはまったく焦らなかった。風はやっぱり冷たくて、刃みたいに鋭かったけれど、幽霊と同じ部屋にいる時の寒気よりは何百倍もマシだと思えた。

 道中、僕は幽霊について文句を言ったが、ウルフに悪びれた様子はなかった。


「だから覚悟をしろと言ったでしょう」

「確かに言ってたけどさぁ、僕だけ外に出してくれても良かったじゃん」

「仲間外れは可哀想だと思いまして」

「そんなこと思ってないくせに」

「思ってないことはないですよ。確かに、ほんの少しだけですが」

「思ってないようなもんじゃん、それじゃあ」


 僕が頬を膨らませると、ウルフは鼻で笑った。


「しかし、すごい演技だった」

「何がですか?」

「君さ、ウルフ。連中との言い争いとか、その後とか。よくアドリブであんな風にできるね。すごかった」

「あの手のことは得意なんです」


 僕はちょっとだけ迷ったが、結局尋ねた。


「役者とか、目指そうと思わないの?」


 ウルフは三秒ほど黙って、


「思いません」


 そんな夢はもう忘れました、と囁いた。やっぱり誰でも怪我をすると弱るらしい。彼にしてはやけに頼りない声は、あっと言う間に冬の風にさらわれていってしまった。

 しばらく沈黙が続いた。

 寮の屋根が見えてきた時。


「本当に、これで良かったのでしょうか」


 彼がポツリと言った。それは懺悔みたいな響きを持っていた。月夜にそっと落とされた告解。だが、魔法使いの目に神の恩恵サクラメントは映るのだろうか。その懺悔に応える声は、この世のどこにあるのだろうか。

 そんな風に思ったら急に胸が苦しくなった。腕に力を込める。


「良かったと思うよ。少なくとも僕はね。……良かったんだよ、これで」


 僕の言葉はどんな風に響いただろうか。前よりは空虚じゃなかったと願いたい。フーセンガムの中の二酸化炭素じゃなくて、酸素くらいにはなっていてほしい。

 ウルフはそれ以上、この件については何も言わなかった。




 その後のことを、僕は勝手に聞き回って知っていた。僕の周りにはおしゃべり好きな小鳥がたくさんいるからね。ウルフはその手のことに疎いから、逐一教えてあげたりした。

 マックス・アンドリューズは後遺症もなく、数週間後に退院した。その間にジョナサン・ジュールやフィービー・クームズと話し合って、一応和解したらしい。エイト・ブリッジでは季節外れの部屋替えが行なわれたそうだ。

 ジョナサン・ジュールとフィービー・クームズの恋の行方は、まぁ、予想通り。僕から見たって脈は無かった。ジュールは体よく利用されただけってわけ。でも、クームズのことを暴露するようなことはなかったから、彼女は上手く彼らをあしらったらしい。やり手の女性だ。

 そういえばアンドリューズもクームズを庇っていた。確かに、庇わなければ寮則違反も浮気も全部ばれちゃうもんね。彼からすれば、クームズに恩を売って黙らせ、口うるさいジュールが消えてくれる、一石二鳥の妙案に思えたことだろう。すべてが事故として処理されたことを、喜んだか怒ったかは知らない。

 エイト・ブリッジのガーゴイルはすぐに修復された。その工事のついでに、裏門にも防犯カメラが取り付けられた。おかげで女人禁制は徹底されるようになったらしく、一部の男性陣がひどい嘆きようを見せていた。……どうしてそうなったか、って?


「約束通り、私は寮則違反について何も言いませんでした」


 ウルフの真っ黒い瞳が本から離れ、僕を見た。相変わらず、暗くて深くて広い。宇宙のような瞳。でももう怖くない。その中に無数の輝きがあることを知ってるから。ほら、今もきらりと、悪知恵を働かせて面白がる子どものように光った。


「君が何か言ったのでは?」


 僕は笑い返した。


「約束したのは僕じゃないからね」

「君もたいがい真面目じゃありませんね、ロドニー」


 まぁね。僕はただの平和主義者であって、正義のヒーローでもヴィランの魔法使いでもないから。

 それはたぶん、君と同じように。


「……そうだ、それともう一つ」


 あ、やばい。ベッドに寝転がっていた僕は、緊張を悟られないように寝返りを打って、本に目を落とした。文面を追いかけるふりをする。怪盗パンクはジロベエに助けられて窮地を脱し、一度アジトに戻る。そこで作戦を練り直して、もう一度ピンクのミンクを盗みに行くのだ。さぁクライマックス。


「最近、図書館で本を読んでいると、謎の相談者が来るようになりまして」

「へぇ、そうなんだ」

「私の正面に座って、それから三分以内に私が顔を上げたら、相談を聞いてくれる合図なんだそうですね」

「ふぅん、知らなかったなぁ」

「先日いらした方が、あなたから聞いたと言っていましたが?」


 僕はぐっと黙り込んだ。

 沈黙。窓の向こうで風に揺すられた葉がさわさわと擦れる音が聞こえるくらいの沈黙。ああ好い天気だな、なんて思うのもあまりに白々しい。

 しばらくして、ウルフがわざと音を立てて溜め息をついた。


「分かりました。ではその代わりに、少し手伝っていただいてもよろしいですか?」


 僕は即座にもちろん! と答えて飛び起きた。









 噂話を作り出したのは確かに僕だ。でもそれを積極的に広めたのは、エイト・ブリッジの連中だった。あの時部屋になだれ込んできた八人。彼らが中心になって、真っ赤なコートの魔法使いを“冷たいけれど頼れる相談相手”に仕立て上げていったのだ。

 ウルフの言うことはいつもだいたい正しい。

 橋は水の上に架かり人の行き来を自由にする。すなわち滞りをなくし、流れを生み出すものである。八人の人柱が(もちろん犠牲にはなってないけど)橋の楔となって、一般人と魔法使いの間を繋いだっていうわけだ。


 さて、それじゃ、言っていい?



 ――めでたしめでたし、ってね!



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