わたしの幸せな結婚【番外編】

顎木あくみ

義妹が可愛すぎる

 ――ああ、もう、本当に可愛い。


 葉月は将来の義妹である美世を見るたび、常々そう思っている。




「美世ちゃん、こんにちは」

「こ、こんにちは。葉月さん」


 ある日、弟の家を訪ねると、細すぎる腕にたくさんの荷物を抱えた美世がいた。


 さまざまな色や柄の包装紙で包装された箱やら、有名店の紙袋、リボンで飾られた籠などなど。一目で贈り物だとわかるものが大量に積まれ、玄関を占拠している。

 美世はどうやら、使用人のゆり江とともに、それらをせっせと中へ移している途中らしかった。


「すごい量ねえ。私も手伝うわ」

「ありがとうございます。助かります……」


 三人で運ぶと、あれだけあった贈り物の山もすぐに居間へと移すことができた。

 ただし、今度は居間が占拠されたが。


 足の踏み場もないくらいに積まれた荷物は、見ているだけなら楽しいけれど、片付けのことを考えたら面倒きわまりない。


「それにしても、本当に多いわね。……清霞の見舞いの品でしょう?」

「はい、そうなんです。ここ数日、この調子で次々と」

「困ったものね」


 葉月の弟、清霞が数日間にわたる昏睡状態から目覚めたのは、つい一週間ほど前のこと。

 ただ眠り続けていたといえば大したことはないように思えるが、眠っている間は飲まず食わずで、身体を動かすこともない。そのせいでどんどん衰弱し、おまけにだいぶ疲労も蓄積していたことから、あと少し目覚めるのが遅くなっていたら危ないところだったらしい。

 よって、今もなかなか回復せず、清霞は日中でも床についている状態だ。


 まあ、それは任務中の事故で、仕方がないとしても。

 どこから漏れたのか、「清霞が怪我をして仕事を休んでいる」と中途半端な情報を聞きつけた、清霞の自称・親しい仲の者たちがこぞって見舞いの品を送りつけてくるという。


「手紙とかも入っていて。とりあえず旦那さまに聞いて、重要度順に仕分けてはいるんですけど……追いつかなくて」


 美世はひどく困った様子で肩を落とす。

 確かにあれだけあれば、仕分けしきれないに決まっている。


「じゃあ、私も手伝うわ。家の付き合いのほうなら、だいたいわかるもの」

「葉月さん……! ありがとうございます。本当に、本当に、助かります」


 大袈裟な、と思いつつ、こうして頼りにしてもらえるのがうれしかったりする。


「そうと決まれば、さっそく取りかかりましょ」

「はい」


 そうして、いくつか包装を剥がしていくとよくわかった。見舞いの品は包装された外観こそさまざまだが、案外、中身はどれもたいして変わらない。


「もう、またお菓子よ。病人にそんなにお菓子を食べさせるわけがないでしょう」

「こっちもまた水菓子です……。こんなに食べられません」

「花束もありますよ。困りましたわねえ」


 女三人でそろってため息を吐く。


 クッキーやチョコレート。饅頭に羊羹。

 どれも高級な輸入品だったり、有名店のものだったりするが、多すぎて素直に喜べないし、同じものが次々に出てくるとうんざりする。

 それから、桃や林檎、梨といった水菓子。

 少しだったらありがたいこれらも、とても消費できる量ではない。


 花も同様だ。飾るにも限度がある。


「……むしろ、見舞い状だけのほうが助かるわね」


 葉月が言うと、美世もゆり江もうんうんとうなずく。


「あら、でもこれは使えそうね」


 ふと、葉月は話しながら開けていた品が、手ぬぐいであることに気づいた。


 花や波紋の柄がなかなか洒落た手ぬぐいである。しかもこれならたくさんあっても困ることはないし、たいしてかさばらない。

 食べ物の類はもう十分なので、ことさら気の利いた見舞いの品に思えた。


 差出人を確認してみると。


「……大海渡家からね。さすが、軍人は見舞いにも慣れているのかしら」


 かつて夫だった人物から送られてきた品は、なんとなく葉月を複雑な気持ちにさせる。しかしやはり、あの人はよくできた人だな、とどこか誇らしさも感じた。


 美世がぱちぱちと瞬きをしながら、首を傾げる。


「大海渡さま……確か、旦那さまの上司だという」

「そうそう」

「では、重要な関係の方ですね。……そういえば、軍の関係の方からはお見舞い状だけいただくことが多いように思います」

「きっと、物を送ってもこうして相手が困ることがわかっているんじゃないかしら。軍人なら自分や身近な仕事仲間が怪我をして入院することもあるでしょうし」

「なるほど……」


 口では話を続けながらも、手は包みを開いていくのをやめない。


 葉月と美世、ゆり江の三人はどんどん見舞いの品を処理していき。

 途中でふいに、美世の手が不自然に止まった。


「どうしたの? 美世ちゃん」

「…………」


 彼女の手元には開きかけの包みと、ちょっとした挨拶が書かれているらしい、いわゆる『メッセージカード』があった。

 美世が黙ったままなので、深刻な問題があるのかと葉月はそれを覗き込んだ。


「これは……」


 包みの差出人は、八木やぎ百合子ゆりこ、とある。


 その名前には覚えがあった。


「この方、知っています」


 ぽつり、と美世が呟く。


「……すごい、美人なんですよね」

「そうね」

「『馨しの百合乙女』……という通り名まであると、聞いたことがあります」


 それは、葉月も以前耳にした。


 この百合子という女性は、歳は美世よりもひとつかふたつ下。相当な美貌の持ち主で、何人もの男性がひっきりなしに求婚したとかいう逸話もあったはずだ。

 かなりの有名人だから、噂として美世の耳にも入っていたらしい。


「八木家と親交なんてあったかしら。ああでも、百合子さんの名前で送られてきたということは、彼女とは個人的なお付き合いがあると――」


 しまった。失言だ。


「…………」

「そ、そのカードには何が書いてあるの?」


 黙り込む美世が手に持っているカードを見た葉月は、そのまま固まった。


『久堂清霞さま

 以前、パーティーでダンスをご一緒させていただいたときは、夢のようでした。わたくしの一生の思い出になるでしょう。回復されたあかつきには、またダンスに誘ってくださいませ。八木百合子』


 なんてものを送りつけてくるの!

 と叫びたい衝動を、なんとか堪える。


(……彼女、婚約者いたわよね!? 八木家の教育はどうなっているのよ!)


 心の中で顔もおぼろげにしか思い出せない八木家の当主を非難し、はっと美世のほうを見た。

 これは何か、弁明をしなければ――。


「み、美世ちゃん、あの」

「わかっています。旦那さまは素晴らしい方ですから、女性が放っておくわけがないんです」

「美世ちゃ……」

「家のお付き合いもありますよね。わたし、文句なんて言うつもりは、ありません」

「だ、だからね……」


 す、と立ち上がった美世は、そのまま八木百合子から送られてきた包みを手に、台所へ行ってしまう。

 陰になって表情は見えなかったが、だいぶ思いつめているのではないか。


「ねえ、ゆり江。様子を見に行ったほうがいいかしら……」

「そ、そうですね。あんな美世さまは、ゆり江も初めてですから」


 二人でうなずきあい、抜き足で台所へ向かう。


 出入り口から中を覗くと、美世は普通に何か料理をしているようで、ひとまず安心した。

 しかしいったい、あの流れでなぜ突然料理をすることになるのか。

 二人は美世の邪魔をしないよう息を潜めつつ、さらに目を凝らした。


(鍋で何かを煮ているように見えるけれど……)


 肝心の、八木百合子からの見舞いの品が入っていた箱は、すでに空になっている。

 となると今、美世が煮ている何かが、箱に入っていたものなのだろう。


「……葉月さま、この匂いは」

「なんだか、独特よね……」


 二人は互いにおかしな表情で顔を見合わせた。




 ◇◇◇




 清霞は布団の中で目を覚ました。

 もうかなり体調は良くなっているはずなのだが、こうして日中に意識が落ちているうちはまだ、体力が十分に戻っていないのだと医者に言われているため、大人しく寝ている。


(だいぶ身体が鈍ってしまったな……)


 清霞は憂鬱になりながら、ゆっくりと起き上がる。すると、ちょうどそこへ、部屋の外から声がかかった。


「旦那さま、起きていらっしゃいますか?」

「ああ」

「入ってもよろしいでしょうか」

「構わない」


 失礼します、と襖を開けて入ってきた美世は両手で盆を持っている。その盆の上には熱そうな土鍋が乗っていた。


「あの、少し早いですがお昼も近いので、どうでしょうか」

「ああ、もらえるか」


 土鍋の中身は粥だろうか。

 そろそろまともな食事をしたいところだが、こればかりはどうしようもない。


 枕元に腰を下ろした美世は、盆を置くと土鍋の蓋を開けた。


「……なにか、おかしな匂いがしないか」

「そうですか?」

「いや、気のせいかもしれないが……」


 見た目はほかほかと湯気を立てるごく普通の粥だ。別におかしいところはない。

 しかしその湯気に乗って嗅覚に届く匂いに、違和感がある。


(毒……ということはないだろうが)


 思い出される、美世と出会ったばかりのときの、朝食での一幕。

 まさか、数か月越しにそれが現実になったのか。いや、美世はそんなことをする娘ではない。


 清霞はぐるぐると思考を巡らせ、けれども、ついにあきらめて匙を手にとった。


「い、いただきます……」

「どうぞ」


 そして、掬った粥を口に入れた瞬間。


「〜〜〜っ!」


 まずかった。とても、まずかった。


 口に入れてすぐは、「少し苦いような?」というくらいなのに、あとから謎の生臭さと薬っぽい匂いが鼻を抜けていく。

 粥の中に混じっている、何か白い野菜のようなものがその匂いの根源のようで、それを噛むたびに強烈な異臭が襲ってくるのだ。おまけにこの野菜の、土を固めたような食感は非常に不快と言わざるをえない。


「だ、旦那さま。大丈夫ですか?」

「み、水……」


 差し出された水を一気に飲み干して、清霞はやっと落ち着いた。


「あの、味が良くなかった……でしょうか」


 美世に不安そうに訊かれ、ここではっと気づく。


(正直に言うと、まずかった……が、この場面で言っていいことか? 美世は料理上手だし、きっとそれが自信に繋がることもあるはず。それをまずいなどと言ったら、また傷つけることに――)


 そもそも、こうしてわざわざ身体に配慮して作ってもらったものに、味をどうこう言うのは、間違っている。

 結論が出た清霞は、ごくり、と喉を鳴らし、全力でごまかした。


「い、いや。かっ……身体に良さそうな味だった」

「食べられそうですか?」

「た、食べる。食べる」


 口許を引きつらせ、微かに震える手で匙を握りまたひと口、粥を食べる。


(ま、まずい……! しかしああ言った手前、完食しないわけには)


 ゆっくり、ゆっくりとひと口飲み込むごとに水で匂いを薄めながら、匙を動かし。

 四口目くらいを飲み込んだとき、美世がとんでもない真実を明かした。


「良かったです。そのお粥の中に、お見舞いでもらった食材を使ったのですが」

「……見舞い? 誰からのだ?」

「八木百合子さんという方です」


 八木百合子、八木百合子。

 すぐには思い出せず、たっぷり一分以上は考え込んで、やっと清霞はその人物にたどり着いた。


(あれか……)


 外見が美しい女性ではあった。

 ただし、清霞が苦手とする部類の女性だったので、しつこく誘われたダンスに一度付き合い、それ以上の交流はない。


「それで、その食材というのは?」

「はい。外国に昔から伝わる、漢方にも使われるものだそうです。名前は……難しくて読めなかったんですが、見た目は生姜に似ていました」


 名前のわからんものを不用意に使うな! と思いつつ、嫌な予感がする。


「食べるとたちまち元気になるのだそうです。――精がつくと」

「ごほっ」

「だ、旦那さま?」


 なんということだ。

 いや、確かに弱っている人間が口にすれば、活力が湧いていいのかもしれない。しかし、たぶん、つまり、おそらくは――そういう用途の食材であるわけで。


 何を送りつけているんだと、すごく文句を言いたい。


 清霞は冷や汗をかきながら、匙を置いて、土鍋を盆ごと端に避ける。


「……悪いが、もう腹いっぱいになった」

「そう、ですか」


 呆気にとられた、きょとんとした表情の美世。

 わかっている。彼女はなにも、意地悪であの粥を作ったわけではない。善意が十割なのだ。


 角が立たないよう、美世を傷つけないよう、精一杯、言葉を選ぶ。


「……それと、漢方の材料になるような食材は、ちゃんと専門家に分量を聞いてから使うべきだ。予想外の効き目が出たりするからな」

「ごめんなさい」

「いや、謝ることではない。お前の気遣いはうれしかった」


 こくり、とうなずいた美世に、清霞は肩の力を抜いた。


 とりあえず、回復したら八木家には苦情を言おうと心に決めながら。




 ◇◇◇




 一部始終をゆり江とともに見ていた葉月は、笑いを堪えるのに必死になっていた。


(お、面白すぎるでしょう!)


 もちろん変なものを送りつけてきた八木百合子は許しがたいし、その犠牲となった清霞には申し訳ないと思うが。

 美世にまったく悪気がないので、ますますおかしい。


「いいものを見させてもらったわ。……っ、ふふ」


 この点だけは『馨しの百合乙女』を評価してもいいかもしれない。


 それにしても。

 生まれてこのかた、弟である清霞のことを可愛いと思ったことはほとんどないが、美世と一緒にいると可愛らしく思えてくることがある。

 あの仏頂面の朴念仁が、あそこまで誰かに気を使い、表情豊かになるのだから。


(美世ちゃんは偉大だわ)


 おまけに、八木百合子のカードを見たときの、あの反応。

 彼女自身にはまだ自覚はないだろうけれど……これは、二人の仲もさほど待たずに進展するかもしれない。


 葉月は「私の義妹、やっぱり可愛すぎる」と声を抑えて笑った。

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