決して振りかえるな

荒巻 如才

第1話

「学校に着くまで、決して振りかえるな」


朝、学校への登校中にスマホが鳴ったので確認すると、チャットアプリにこんなメッセージが来ていた。


送り手のアカウント名は7734という数字だけ。こんなアカウント名を使っている友達はいない。悪質なスパムにしては内容が意味不明すぎので、クラスメイトの誰かが、俺にくだらないイタズラを仕掛けているのだと確信した。


というのも、最近、学校でつまらない怪談話が流行っているのだ。


それは、『地獄の悪魔からのメッセージ』とかいう怪談話で、ネット経由で全国的に話題になっているらしい。なんでも、ある日突然スマホに、地獄の悪魔からメッセージが送られてくるというのだ。そのメッセージの送り主は7734を名乗り、そして、学校に到着するまで決して振りかえるな、という命令を下すという。


その命令に従わずに振りかえると、目の前に地獄の門が現れる。その門扉が開くと、そこから悪魔の腕が伸びてきて、地獄に連れていかれるのだという。いかにも中高生の好きそうな話題だ。


振りかえるなという命令は、一見すると簡単な命令のように思えるが、そこは、地獄の悪魔の所業。悪魔とやらは、目的を達するために、ありとあらゆる手を使ってくるという。そのため、今まで生き延びたものはいないらしい。

なんの捻りもない単純で馬鹿馬鹿しい話だが、子供には、こういう単純な話の方が拡散しやすいのだ。


なぜなら、単純な話の方が、話に尾ひれを付けやすく、話のネタにしやすいからだ。


事実、俺のクラスの中にも、全国で何件も発生している十代の若者の失踪、行方不明は、すべてこの悪魔からのメッセージのせいだと熱心に語ったり、7734という数字は、悪魔に連れていかれる被害者の予定人数だと珍妙な考察をしたり、悪魔からのメッセージを防ぐには、スマホの待ち受け画面に、黒色のデメキンの画像を表示させればいいと触れ回ったりする輩がいる。


ネタとして楽しんでいる分には結構だが、なかには真に受けて、待ち受け画像にするだけでは不安だと言って、黒色のデメキンを家で飼い始めた人間もいる。


まったくアホらしい。なぜ、こんなすぐに嘘とわかるホラ話を信じてしまうのだろうか。そもそも論として、今まで生き延びた者がいないのなら、どうしてこんなバカげた話が広がるというんだ。ターゲットになった人間は皆死ぬのだから、話を広めることはできないじゃないか。振り返ると地獄の門が現れるだって? 考えた奴はホラー映画の見過ぎだ。

さらに、この送り主の7734という名前も胡散臭(うさんくさ)い。クラスメイトで知っている奴はいなかったが、この数字を反転させると、ある一つの単語になる。4を反転させるとhだ。3を反転させるとE。そして、7はLになる。つまり、7734をすべて反転させるとhELL、つまりHELL地獄ということだ。なんてことはない。英語圏ではおなじみの言葉遊びだ。こういう数字や記号をアルファベットに当てはめることをleet表記という。


まったくもって人為的で作為的だ。この話を信じるなら、地獄の悪魔がアラビア数字とアルファベットを使った文字遊びに興じながら、日本語でメッセージを送ってきていることになる。その姿を想像すると、滑稽としか思えない。


よって、これは作り話。証明終了。


俺は心の中で、シャーロック・ホームズばりの論理的推察力を発揮して、くだらないホラ話を論破していた。


次にやることは、このイタズラを仕組んだ犯人を特定することだ。


何人か思い当たる人間がいるが――。



「ねぇ、そこの学生君。ちょっと」


突然後ろから声が聞こえて来たため、俺の思考は中断された。


見知らぬおばさんの声だ。俺はドキリとして、体が硬直した。明らかに俺に声をかけてきている。背中に冷たい汗が流れた。

(冷や汗? なんで俺はビクついているんだ? さっきのくだらないメッセージを意識しているのか?)俺は硬直したまま自問自答した。


確かにタイミングが良すぎる。朝の登校中に知らない人に声を掛けられるなんて、そうそう遭遇することじゃない。

「ねぇ、ちょっと」

俺の逡巡の間にも、見知らぬおばさんは声をかけ続けている。

(なんで、俺に声をかける? こんな朝っぱらから……。道を尋ねたいのか? それとも俺が何か落としたから知らせようとしているのか?)

「ねぇ、ちょっとってば。聞こえないの?」

おばさんの口調が少しだけ強くなった。

(なぜ呼びかけるだけで用件を言わない?)

道を尋ねたいならもっと丁寧に声をかけるべきだろう。俺がなにか落としたなら、それを早く伝えてくれればいいだろう。なぜ、呼びかけることしかしない?


(俺を、振り向かせたいのか?)


心臓の鼓動が早くなる。


(くだらない話だ。地獄の悪魔だなんて)


しかし、なぜか俺は走り出していた。後ろでは、おばさんが未だに声を出し続けていたが、俺にはその内容が判別できなかった。心臓の鼓動の音にかき消されていたのだ。


一分ほど経って、俺はようやく走るのをやめた。心臓が早鐘のように鳴っているのは、走ったせいに違いない。


(クソ!)


俺は心の中で悪態をついた。自分の不甲斐なさに。なにをバカげたことにムキになっているんだ。悪魔なんているわけがないって、ただのイタズラだって、さんざん自分で証明したじゃないか。


俺は、拳を握りしめた。手のひらにも汗がにじんでいる。


(振り返ってやる!)俺は決意した。


単純な話だ。振り返ってしまえば、すべてはっきりする。もちろん、そこにあるのは、いつもの見慣れた通学路の風景に違いない。目の前に地獄の門が現れる? 上等だ。そんなバカな話があってたまるものか。


俺は歩くのをやめ、立ち止まった。クソ。足が震えてやがる。きっとさっき急に走ったせいに違いない。俺は立ち止まったまま、一度、大きく深呼吸をした。俺は心の中で数を数えることに決めた。三つ数えて振り返るのだ。馬鹿馬鹿しい演出だが、たまにはこんな遊びをするのもいいだろう。俺は一人ほくそ笑みながら心の中で数を数えはじめた。


(さん…)


(にい…)


「い、ぢッ!?」


最後の数字を数え終えるその時に、俺は間抜けな声を出しながら、目の前に道路に四つん這いに倒れてしまった。

別に犬のマネをしようと思い立ったのではない。突然、後ろで轟音が発生し、驚いて倒れてしまったのだ。いや、こんな簡単に倒れたのは、さっき急に走って疲れていたからだ。

(なんだ、さっきの音は?)無様に道路に四つん這いになったまま、俺は思考をめぐらせた。何かが壊れるような音だ。金属の嫌な音。車のブレーキ音も聞こえた気がする。


(交通事故だろうか?)


三つ数えて振り返るなんてバカげた遊びの途中だったせいで、変な不意打ちを食らい、俺は未だに後ろを振り返らずにいた。もし、そんな遊びをしていなかったら、間違いなく振り返っていただろう。


俺は体の芯が冷えるのを感じた。さっきから立て続けに、後ろを振り向かせられようとしているのは、俺の被害妄想だろうか。


(ば、馬鹿馬鹿しい)


俺は、頭に浮かんだくだらない疑念をかき消しそうとした。振り返れば、その疑念は消え去るだろう。しかし、俺には振り返ることができなかった。

振り返れば、単なる交通事故だと分かるはずだ。地獄の門が現れるなんてこともない。

だけど。だけど、俺にはもう振り返る気力がなかった。


(何かが俺を振り返らせようとしている!)


俺にはもう、それが真実だとしか思えなかった。


それは信じたくないことだった。信じたくないのは、俺がこんなバカなことを信じようとしていることだった。


俺はゆっくりと立ち上がって、歩き始めた。走りたかったが、足が言うことを聞かない。俺は、手提げカバンを両手で胸の前に抱きかかえるように持った。さらに顔をカバンにアゴを埋めるように乗せ、猫背の姿勢をとった。

傍から見たら、滑稽この上ないことだろう。しかし、これは今の俺に考えられる最上の防御姿勢だった。こうすれば、ちょっとやそっとじゃ後ろを振り返らないはずだ。


この状況で振り返えろうとすると、上半身を大きく捻って振り向かなければならない。この窮屈(きゅうくつ)な姿勢なら、不意打ちを食らい、反射的に振り返ってしまうことを抑えることができるはずだ。咄嗟(とっさ)に思いついたにしては、我ながら理にかなっている。


俺は人目を気にしつつも、そのまま歩を進めた。教科書の入ったカバンを抱きしめながら登校している高校生なんて、日本で俺一人だろう。


「ガシャン」


一分も歩かぬ内に、俺の後ろから鉛(なまり)でできた風船が割れたような音がした。大きな音ではなかったが、俺をビクつかせるには十分だった。完全防御の姿勢故に、振り返ることはなかったが、俺の精神を乱すには十分だった。


どこかの家のガラスが割れたのか。あるいは猫が植木鉢でも落として壊したか。止まぬ追撃に、俺の全身の汗腺から汗が噴き出していた。


(間抜けめ!)


俺は、自分を奮い立たせるために、心の中で悪態をついた。悪魔のくせに、ホラーの才能がない。交通事故の轟音の後に、あんなちっぽけな音を立てたって振り返るわけがないだろうが。


だけど、一番の間抜けは、ビクついて振り返ることもできない俺なのかも知れない。悪態をついたものの、その気の強さは十歩も歩かぬうちに消え失せてしまった。


(もう何も起きてくれるなよ)俺は心の中で、願った。


汗は止まったが、今度は口がカラカラに乾いている。体中の水分が蒸発してしまったようだ。


「ピロロリン!」


突如発生した電子音は、俺の後方ではなく、真下から響き渡った。俺は、地面から飛び上がりそうになった。


それは、ポケットに入っていたスマホの通知音だった。そんなに大きな通知音じゃないはずだが、集音機と化した今の俺の鼓膜には、象の悲鳴のような大音量に聞こえた。


俺はいつの間にか立ち止まっていた。足がわなわな震えている。今の通知音はチャットアプリの音だ。そう、悪魔からのメッセージを受信したアプリである。


またしても俺の心臓がバクバクと音を立てる。血液が体内を一周する時間はおよそ一分と言われているが、今の俺の心臓なら、十秒とかからず血を循環させることができるだろう。


確認すべきだろうか? もしからしたら、また悪魔からのメッセージかもしれない。そう思うと血の気が引いた。悪魔がどんな手を使ってくるか想像もつかない。余計な行動は起こさないほうがいいかもしれない。

しかし、案外ネタばらしかもしれない。今までの出来事は単なる偶然で、やっぱりさっきのメッセージは友達のイタズラだったということも考えられる。もしそうなら、もうこんな惨めで辛い思いをしなくてもいい。


俺は意を決して、右手をポケットに滑り込ませる。そしてスマホを取りだし、画面を点ける。しかし、いざチャットアプリを開こうとした時に、ふと疑念がわいた。


(罠の可能性もある)


そうだ。悪魔が友人を騙(かた)る可能性だってある。友人を騙(かた)って「さっきのメッセージは嘘でーすw 俺は誰でしょう? 今お前の後ろにいるよん!」なんて、メッセージを送ってくる可能性だってある。そこで後ろを振り返れば悪魔の思うツボだ。


乾いたはずの汗が、再び噴き出している。体中の水分は、先ほどすべて蒸発したはずなのだから、これは文字通り脂汗だ。脂ぎった汗ではなく、脂が噴出しているのだ。


(これは罠だ)


俺は心の中で断定した。今すぐ画面を閉じて、スマホをポケットにしまうべきだ。

しかし、思いに反して、俺の瞳はスマホの画面にくぎ付けになっていた。目を離すことができない。今スマホを下に降ろせば、一緒に眼球も引きずりだされるに違いない。

俺は、確認したい誘惑に抗うことができないでいた。安心を得たいのだ。よくホラー映画で、登場人物がわざわざ物音のする部屋を確認しに行くというバカな行動をするが、あの心境がようやく分かった気がする。妙な冒険心を起こさず、徹頭徹尾、防御と逃げの一手を打てば、生存する可能性は上がるに決まっている。

しかし、それでは恐怖に耐えることができないのだ。じっと息を潜めていると酸欠を引き起こす。安心という名の酸素を得たいがため、人は愚かにも生っ白い生首を、殺人鬼の鎌の前に差し出してしまうのだ。


俺は、ついに耐え切れなくなって、震える指でチャットアプリを開いた。しかし、予想に反して、メッセージの送り主は悪魔ではなく、母親だった。


「確認なんだけど、今週の土曜日、入院しているおばあちゃんにお見舞いに行く予定なのちゃんと覚えてる?」というメッセージだった。


一瞬、悪魔が母親から送られたメッセージのように偽装したのかと疑った。しかし、なんの変哲もない、日常のメッセージだ。こんなメッセージを読んでも、俺が後ろを振り返るわけがない。だから本当に母親からのメッセージに違いない。おばあちゃんのお見舞いに行くという約束も覚えている。


俺は、ちょっと拍子抜けしてしまった。いきなり、戦場から日常に引き戻された感じがした。

しかし、俺は慌てて、スマホをもったままカバンを抱きしめ、再び防御の姿勢に戻った。


メッセージの送り主が母親だったからといって、状況が変わっている訳ではない。今、気を緩めたら、すべてが台無しだ。

その時、俺の頭の中で妙案が浮かんだ。実は土曜日に友達と遊ぶ約束をしてしまっていたのだ。だからお見舞いに行く日は日曜に変更してもらわなければならない。

そのメッセージを今から送ればいい。母への返信に精神を集中させれば、精神力を持ち直すことができるはずだ。


偶然の助け船とはいえ、母親の存在がこんなに有難いと思ったことはなかった。現世にいるときは口うるさい鬼婆に見えてしまうが、地獄にいるときに出会えば仏というものだ。


俺は防御の姿勢を保ったまま、スマホに文字を入力していく。歩きスマホは絶対にするなと、親からも先生からも言われているが、こんな状況ではそうも言っていられない。


「土曜は友達と遊ぶから、日曜日にして」そう文字を打つだけでもなんども打ち直した。防御の姿勢のせいで打ちづらいのではない。恐怖で指が震えていたのだ。後ろでは、猫が不気味な唸り声をあげている。


(くそったれめ! 猫を登場させるなら一番最初だ、馬鹿野郎!)


 母のおかげで、俺には再び悪態をつく余裕が生まれた。


 そして、返信を終えて目線を上げると、ついに学校が目の前に見えた。見慣れた正門が見える。今まで学校に着くことがこんなにうれしかったことなんてあっただろうか。


もう安心だ。学校に入るまでもうあと十歩もない。たとえ背中を刺されたって振り返るものか! 今まで誰も成功しなかったって? なら俺が最初の成功例だ!

その時、チャットアプリに、母親からのメッセージが届いた。


「分かったわ。おばあちゃんに、お見舞いに行く日取りは、日曜日に振り替えになったって伝えとくからね」


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