「辻沢日記 24」(遠すぎる天使)
会いに行く口実になるかと思って夜野まひるの制服を取りに寮に戻った。
クロエはすでに帰った様子で、ミユキには改めて変な奴に狙われてるかもしれないから気を付けるように忠告し、部屋に隠しておいた水平リーベ棒を渡して出かけた。
辻沢に着いたのは5時ちょうどだった。
駅からヤオマングランドホテルまで歩いて行って、ロビーで夜野まひるに取り次いでもらおうとしたら、そんな客は滞在していないと言われた。
セレブにありがちのポカホンタスとか変名でチェックインしているのだと思ってスイートルームの客と告げるとお客様のご都合で取り次げませんと断られた。
アドレスを交換しておくべきだったけど、会ったばかりのセレブとそれができるほどあたしはずうずうしくない。
ダメもとでロビーの電話から内線をかけてみた。
この時間だ。寝ているということはないだろう。5回コールして応答がなかったので受話器を置いた。
それ以上鳴らし続けて夜野まひるに無粋な子だと思われたくなかったから。
ゼミ室を出るときは急に訪ねて行ってもここに来れば何とかなるだろうという根拠のない自信のようなものがあった。
でも心のどこかでこうなることは分かっていたのだ。
へこんだ気持ちを落ち着かせようとラウンジのソファに腰を下ろして一息つくことにする。
硬めのソファーがさらに居心地を悪くさせる。
天井を見上げる。
夜野まひるがいる階は10階で直通エレベーターならすぐだけど、我彼の距離は途方もなく遠いことを思い知らされた。
一緒に空飛ぶ輩と戦ったり、抱き上げてもらったり、大切な制服を貸してもらったりしたから、あの夜野まひると知り合いになれたような気がしていた。
今それが恥ずかしい思い違いだったと気づかされた。
彼女は世界に名を知られたゲームアイドル。
かたやあたしは誰にもその存在を知られていない鬼子使い。
所詮セレブと一般人なんだ。
そう思うとこの場を急いで立ち去りたくなった。
ソファを立って小走りに出口に向かう。
ロビーを横切ろうとした時、エレベーターホールの一番奥の扉が音もなく開いたのに気が付いた。
それは唯一最上階に通じていて、昨晩も夜野まひるに抱かれて乗った箱だった。
足を止めそちらに目を向けると入口の白いロリータ風メイドコスの女性がこちらを見ている気がした。
あたしはフロントに誰もいないことを確認しながら、そのエレベーターに足早に向かった。
箱に乗り込むと操作盤の前に立ったロリメイドが無言のままボタンを押し、扉が閉まって動き出した。
一つしかない停止階ボタンはすでに押されている。
ひょっとして夜野まひるの妹分の笹井コトハ? その名前も飛行機事故のニュース記事の中にあったはずだけど。
「あの、夜野まひるさんはお部屋にいらっしゃるんでしょうか?」
と問いかけたがロリメイドは何も答えずこちらに振り向こうともしない。
無言の時間が過ぎて箱が止まると扉が開いた。
昨晩来た最上階のエレベーターホールだ。
ロリメイドが操作盤に張り付いたまま、廊下の突き当りの大きな扉に向かって片手を差し出す。
その手に促されて箱を降りる時見たロリメイドの横顔はまるで生気がないように感じられた。
青白い肌にこけた頬と血の気のない唇。
あたしが知るその人とはまるで印象が違っていた。
エレベーターの前で案内されるかと思ったらロリメイドは最初のポーズのままじっとして動かない。
あたしは仕方なしに一人で部屋の扉に向かった。
紅色の分厚い絨毯を踏んで部屋の前まで来た。
豪華な扉の前に不釣り合いな牛乳瓶が何本か並べてあった。
昨晩夜野まひるに勧められて飲んだ変な味の牛乳のようだった。
牛乳配達でもやって来るのだろうか。
紅の豪華な絨毯を踏んでここまで空の牛乳瓶を取りに来るのはどんな人なんだろうと思うと、なんだか可笑しくなった。
扉の前に立ってノックをしようとしたけど、扉が少し開いていたので手押しして中に入った。
そして部屋の奥に向かって、
「突然すみません。昨晩はありがとうございました。制服をお返しに上がったわけではないのですが」
と声をかけて見た。沈黙が返ってきた。
部屋の中は昨晩と同じ場所には思えなかった。
すべての家具に白いシーツが掛けてあったから。
後ろで扉が閉まる音がした。
振り向くとロリメイドが扉を後ろ手で閉めたところだった。
うつむいて前髪を垂らしいる姿が話しかけられるのを拒んでいるように見えたので、夜野まひるが出てくるのを黙って待つことにした。
緞帳のような分厚いカーテンの隙間から差し込む西日の中にゆっくりと埃が舞っているのが見える。
洋画のワンシーンのような状況に、自分がこの部屋の主で今しがた長旅から帰ってきたセレブのような気分になった。
ホテルの築年月のせいなのか、ゲードルの部屋には似合わない饐えたような匂いが重い空気の底から微かにしている。
それを覆い隠すように爽やかな山椒の香りが漂っている。
それらの香り一切を含めた空気が辻沢そのものだった。
この街に戻ってくるたびに感じるもの。
懐かしくもあり恨めしくもあるもの。
あたしはシーツの掛かったソファーに座って待つことにした。
時間の経過とともに、それまで部屋に明かりを届けていた西日が心細くなってゆく。
やがて一筋の光が部屋の隅を照らしたかと思うとスッと見えなくなった。
部屋が暗闇に包まれた。
それと同時に何かがあたしの肩に触れ、背筋に悪寒が走った。
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