遠い日の欠片

タツチキ

第1話 木彫りの猫

降り注ぐ陽光に照らされて、きらきらと輝く群青の海。港町リンデの桟橋の上に、うたた寝をする一匹の黒猫の姿があった。


「なんだ、ヴァルヲ。こんなところにいたのか」


名前を呼ぶ声に目を覚ましたヴァルヲの頭を、アルドはその手で静かに撫でる。


「あ……! せっかく気持ちよさそうに寝てたのに……。もう……起こしちゃだめだよ、お兄ちゃん」


後を追いかけてきたフィーネが気遣いのない兄を叱った。


「そ、そうか……! 悪かったな、ヴァルヲ」


ヴァルヲは当然ながら何も答えず、頭を掻くアルドの足元をテトテトと通り過ぎていった。


「ふぅ……。それにしても、やっぱり海は気持ちいいね。ヴァルヲと一緒にお昼寝すればよかったな」


フィーネは潮風に髪をなびかせながら呟いた。


「ここではさすがにまずいだろ。でも確かに風が気持ちいい……ん?」


アルドはくんくんと鼻を鳴らす。


「あれ、潮の香りに何かが混ざって……。これは……木のにおいか?」

「お兄ちゃん、もしかして、あのおじいさんじゃないかな? 木を削って何かをつくってるみたいだよ?」


フィーネの視線の先には、ナイフを器用に使って木材を加工するお爺さんと、落ち着かない様子でその周りをうろうろする小さな女の子の姿があった。丸みを帯びた形に整えられた木材と、お爺さんの足元に広がる相当な量の木屑から、作業は既に長時間にわたっていることがうかがえる。朝からずっと削り続けているのだろうか。

アルドたちが少し離れたところから二人の様子を観察していると、女の子がお爺さんに駆け寄り声をかけた。


「……ねぇ! おじいちゃん、もうできた!?」

「ああ、ちょっと待っていてくれ。もう少しで完成だからな……」


お爺さんは手元を見つめたまま返事をすると、また黙々と木を削り続ける。なんだ、とつまらなそうに呟いた女の子は小石を蹴ったりして時間をつぶし始めた。

今が好機とばかりにフィーネは女の子に近寄ると、お爺さんと木材について尋ねる。


「ねえねえ、おじいちゃんに何をつくってもらってるのかな?」

「ねこさん!!」


どうやら人見知りをしないらしい女の子は、フィーネの目を見て元気にそう答えた。


「ね、ねこさん!?」

「そう! ねこさん! おじいちゃんは木をつかって、なーんでもつくってくれるんだよ! だから今日はカワイイねこさん、つくってもらうの!」

「へぇ……! どんなのができるんだろうな!」


そう言いながらアルドも合流し、三人はお爺さんの手元を覗きだす。


「おお、旅の方々かな? あと少しでこいつが完成するから、よかったら見ていかないかい?」


お爺さんは顔を上げるとアルドたちに微笑みかけた。


「ありがとうございます! ……出来上がるの、楽しみだね! えっと……」


女の子に名前を聞こうとしたフィーネは、自分たちがまだ名乗っていなかったことに気づく。


「そうだ! ……わたしはバルオキーのフィーネ! そして、こっちがお兄ちゃんの……」

「アルドだ。あと、この猫はヴァルヲ。よろしくな」

「うん! わたし、ルースっていうんだ!」


よろしくね、と自己紹介を終えたルースは、アルドが腰にいている巨大な剣に目を移す。


「アルドさん、すっごく大きな剣、もってるんだね! とっても重そう……」

「ああ……。こいつはオーガベインっていってな。……危ないから、なるべく触らないほうがいいぞ」


たまに喋るんだよ、と言いかけてやめたアルド。この呪われた魔剣への興味を刺激するのはまずいだろう。好奇心旺盛な子供には特に危険だ。

話題をかえようと、アルドは今まで繰り広げてきた数々の冒険についてフィーネとともに語り始める。ルースが目を輝かせて聞き入っていると、しばらくの後、ナイフで木を削る音が止んだ。


「……よし。これで完成だ!」


お爺さんはナイフを脇へ置くと、興味津々の三人に、丹精込めてつくり上げた自信作を見せる。フィーネは思わず感嘆の息をついた。


「うわぁ……! すごい! 本物の猫さんみたい!!」

「ああ! 小さいけど、今にも動き出しそうだな!!」


木彫りの猫は、生きているかのような躍動感に溢れ、木でできていることを忘れさせるほどにふわふわとした毛並みが再現されていた。彫刻については全くの素人であるアルドたちにも、熟練の技があって初めてつくることのできる品だとわかる。


「だろう? だろう? ほれ、ルース。じいちゃんの手にかかればこんなに可愛い……」


若者ふたりに絶賛され、得意げな表情を浮かべるお爺さん。しかし——。


「かわいくない」


孫の冷たい一言に、その笑みは一瞬にして崩れ去るのだった。


「なぬっ……!?」

「いまいち、かわいくない!」


自慢の作品に対する予想外の反応に、お爺さんは納得できない様子だ。


「な、なかなか評価が厳しいんだな……」


ルースにとっての可愛さとはいったい何なのだろうか。アルドも思わず首を傾げる。


「かお、全然よくない! こんなのヤダ!! もっとかわいい猫さんがよかったー!!」

「え、えぇ……!? おじいさん、がんばって彫ってくれたのにそんな言い方って……」


フィーネは不満を炸裂させるルースに注意をしようとするが、どうやら聞く耳は持ってもらえそうにないようだ。


「うむ……仕方あるまい。少し顔を調整してみるとしよう」


お爺さんは再びナイフを手に取ると器用な手つきで猫の顔を削っていく。刃を入れるたびに印象が変わっていき、繊細な調整が行われていることがアルドたちにも分かった。お爺さんは木屑を払うと再びルースに作品を見せた。


「ほれ、どうだ!? これで本当に可愛い猫に……」

「うーん……」


ルースが腕組みをしながら猫と向き合うなか、お爺さんは評価が下されるのをじっと待つ。


「…………ごくり」

「…………! うん、ごうかく! かわいくなった!!」


ルースは満足げな笑みを浮かべると木彫りの猫を抱き上げて飛び跳ねた。


「おお……!! そうかそうか、やっと気に入ってくれたか!!」


厳しい批評家に認められ、お爺さんはほっと大きなため息をつく。やっと、というあたり、これが初めての制作ではないのかもしれない。


「よかったね。ルースちゃん」

「うん! 気に入った! わたし、このねこさんとお出かけしてくる!!」


完成した「ねこさん」を腕に抱えて中央の広場へとかけていくルースを、フィーネは手を振りながら送り出すのだった。

残された三人の周囲には、まるで嵐が去ったかのような静けさが漂う。長時間の作業で疲れたのだろう、お爺さんは手を握ったり開いたりと繰り返していた。


「ふぅ……。なかなか勢いのある女の子だな。おじいさんも、あれに付き合うのは大変なんじゃないのか?」


あれくらいの歳の頃は、確かにフィーネも元気が有り余り、バルオキーの人々に迷惑をかけていたが、ルースは更にその上をいく。少なくとも、アルドにはそう見えていた。


「子供はわんぱく過ぎるくらいがちょうどいい。それに……」

「それに……?」


続きを尋ねるフィーネに、お爺さんはゆっくりと語りだす。


「ルースの母親は、何年か前にあの子を置いてリンデを出て行ってしまってな……。今はわしが一人で面倒を見ているんだが、これからもずっと……ああして笑っていて欲しいもんだ」

「おじいさん……」


一緒にいて安心できる大人の存在が子供にとっていかに重要か、エデンの一件があってからフィーネはよく考えていた。自分と兄を拾い育ててくれた祖父もきっと、思う存分甘えられる存在になろうと無理をしたことがあるに違いない。あのルースにも、いつかわかる日が来るのだろうか。


「……そうだ、旅の方々よ。木で彫刻をつくってみたことはあるかね? もし興味があれば、わしが教えて差し上げよう」


せっかくの機会だから、と手招きするお爺さん。願ってもない誘いにフィーネは二つ返事で応える。


「ええ!? いいんですか!? わたしも猫さん彫れるかなぁ……! あ、お兄ちゃんも もちろん教えてもらうよね?」

「ああ。オレもお願いするよ。たまにはこういうことに挑戦してみるのも面白そうだしな」


お爺さんは既にある程度削られた木材を荷物から取り出すと、彫刻用のナイフと共にアルドたちへ手渡す。あと一つ足りないのは——。


「それじゃあ、そこのヴァルヲさん。モデルになってくれるかな?」


ヴァルヲはお爺さんに呼ばれると、三人の間にちょこんと座り、おりこうさんにポーズをとる。ふたりはヴァルヲをじっと見つめ、それぞれの作品に取り組み始めるのだった。


***


そのころ、リンデ中央の広場には、木彫りの猫に話しかけながら無邪気に走り回るルースの姿があった。


「ねこさん、ねこさん、どうしたの? あっちに行って遊びたい? うん! わたしも!!」


ルースは街の人々とぶつかりそうになりながら広場を縦横無尽に駆けていく。そんな彼女を一人の若い娘が遠くから睨んでいた。


「はぁ……まったく。うるさい上にワガママな子。少しお仕置きが必要かもしれないわね……」


娘はため息まじりにそう呟くと木々の向こうへ消えていくのだった。


***


アルドたちが初めての彫刻を完成させる頃には、もう夕暮れが近づいていた。


「で、できた……! これでヴァルヲに見えなくもない……かな?」

「なかなか良くできてるんじゃないか? ……少なくともオレのよりは」


フィーネの作品は饅頭のようにまるまるとした猫の姿に、アルドのものはゴツゴツした体格の獣に仕上がった。お爺さんは二人の作品を見て満足そうに頷く。


「うむ。二人とも、対象の特徴をよく捉えておる。はじめてにしては上出来だ」

「やった! 褒められたね、お兄ちゃん!」

「ああ。あとでリィカたちにも見てもらおう」


やっとモデルから解放されたヴァルヲは全身で大きく伸びをすると、アルドたちの作品をじっくりと鑑賞し始める。どうやらお気に召したみたいだ。


「……さて、日が暮れる前に孫を呼んでくるとするか」

「それなら、オレたちが呼んでくるよ。おじいさんはここで待っていてくれ」

「うむ……。ではお言葉に甘えるとしよう」


お爺さんは孫をアルドたちに任せると、自身は彫刻の道具を片付け始める。

アルドたちは立ち上がると、リンデ中央の広場に向かって歩き出すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る