愛と呼べない夜を超えたい/ 東から来た魔女

秋色

プロローグ

 僕の頭の中には小さな塊があるらしい。

 小さいけど、記憶装置である「海の馬」を刺激し悩ませて続けている塊が。そして決して手術不可能な位置にあるという。


 それは、ある日高名な脳神経外科の先生から言い渡された診断だった。


 だからこれからあらゆる事を次々に忘れて、最終的にはこの三十数年の記憶が一切無くなるらしい。


 元より物を持たない主義の自分の部屋は、独り暮らしという事を差し引いても殺風景だ。壁に一枚のポスター、カレンダー、スケジュールが貼られているわけでもない。面白味のない白い壁。机の上に置いてある万年カレンダーがかろうじてインテリアと言える。


 頭の中も同じだろう。


 多分そこが空っぽになっても他の人達よりかはダメージは少ない気がする。


 二十歳になったばかりの頃、定年前の父を癌で、母を膠原病の一種で、相次いで亡くし、親しくしている身内はいない。


 この事については病気と分かった時点で自らの手で作成した経歴書にある。


 ただ気にかかるのは数枚の写真。自分が大事に保管していたらしい女性の小学生から成人までの断片的に写された写真の事。記憶を失くし始める前の自分が大事にしていたという事は、経歴書にも載せてない、この女性を愛していたという事なのだろうか。二人の間にはどんな関係が存在していたのだろう?

 閑散とした、何もない部屋の中にも一つだけ飾れる絵がほしい。晩秋の夕にそんな事を考えてしまうのだ。

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