op.19

「そこをなんとか……はぁ……そうですか」


 これで何件目だろうか――断られた会社を、インクが薄くなってきた赤ペンで上からバツ印を描く。


 コンビニに置いてあった求人雑誌を、何年振りかに自宅に持ち帰って片っ端から電話を掛ける。

 誘導棒を振っていただけの自分に仕事に活かせるスキルなどないことはわかっていた。小さく正社員のマークと若葉マークが記載されている会社だったら業種など構わないつもりだった。


 選ぶ条件はただ一つ――とにかく高校生一人を養えるほどの給料が稼げること。それだけで良かったのだが、小一時間も経つと手元の雑誌はびっしりとバツ印で埋め尽くされていた。

 そのバツは社会から突きつけられた現実だ――辛くても目を背けるわけにはいかない。

 これまでの人生のツケが今頃回ってきているなと苦笑いしつつ、真面目に生きるということの難しさを痛感させられた。


 そんな現実を数ページにわたり目の当たりにしていると、さすがに精神的にくるものがあるが、そんな小さな見栄や虚栄心プライドはとっくにゴミ箱に放り捨ててやった。


 ――今は一秒たりとも無駄にはできない。少しでも稼げる仕事を見つけなくては。


「それにしても、まさかここまで再就職の壁が高いとはな」

 新卒の学生でさえ就職難という時代に、俺のような男に回ってくるようなパイはそもそもの絶対数が少ない。そのことに少なからず焦りを感じていた。


 新規に作った通帳を眺め、覚悟を決め直す。真莉愛の為の預金通帳だ。

 いくらスーパーからをもらってるとはいえ、今後楽して暮らせるような額ではなかった。

 先日、指定した口座に振り込まれた金額をみて驚かされたのは、その額三百万――

 その金額が少ないと見るか多いと見るかは別として、銀行までついてきた真莉愛は記帳された数字を悔しそうに眺めていたのをよく覚えている。


「お母さんの命は、この金額ってことよね」

 涙が枯れ果ててしまったような、あんな辛そうな顔には二度とさせたくない。

「それは……すまない。俺が勝手に話を進めたんだ。これから真莉愛が何をするにもお金はかかる。だから他に選択肢はなかったんだ。許してくれ……」


 母親が亡くなって以来、真莉愛との関係はギクシャクしたままだった。

 こんなときにあの軽い小野田がいれば――と思わなくもなかったが、これからはどう思われたとしても彼女の為に尽力すると決めていた。

 覚悟は力になる。そう信じて。


「住む家はどうしよう。子供一人じゃ大家さんも貸してくれないよね」

「そのことなんだが……家賃は俺が払う。もちろん生活費も真莉愛が必要なものも全てだ」

「え?なんで?」

「俺がそうしたいからだ」

「意味わからない……。だって、そもそもは他人なんだよ?私なんてどこか施設に入れれば」


 彼女の顔には本当に意味がわからないと書いてあった。それ以上に動揺と困惑も――

 だが、これから言うことはさらに困らせてしまことになるかもしれない。それでもこれだけは伝えておかなければならなかった。

 一度、大きく深呼吸をしてから真莉愛に告げる。



「俺が……」

「なによ」

「俺が、真莉愛の父親となる」

「……へ?」




 後ろには、次の番を待っている客が迷惑そうな顔をしていたので、その場を譲り店の外へと歩みを進めた。

 気持ちが急いているせいか早足だった気がする。歩幅を合わせるように真莉愛が隣に追い付き、困惑の眼差しを向けてきた。


「ねぇ。さっき言ったのって本気なの?そんな冗談やめてよ」

「冗談じゃない。こんなこと冗談でいうもんか」

「それは、亡くなった奏太くんと私をダブらせてるだけじゃない?安い同情ならしないで」

 やはり気に食わなかったのか、赤信号で立ち止まった彼女の口調は、隠そうともしない苛立ちが含まれていた。

「違う。確かに奏太のことは今でも忘れられない。それは事実だが、真莉愛は真莉愛だ。お前が一人立ちするまでは面倒を見させてくれ」


 真莉愛はそれに答えることなく黙りこくり、横断歩道の信号が青になり渡り始めてもなお、その場から動こうとしなかった。


「おい。青だぞ」

「……わかってるわよ」


 やはりまだ心は開いてくれないのだろうか。

 だとしてもそれで俺は構わない。彼女の幸せが、俺が願った二つ目の夢なのだから――





 先を歩く律人の背中は、なんだかやたら遠くに感じた。背筋も猫背からまっすぐ伸びていたように見える。


 ――俺が、真莉愛の父親になる。


 思い出すだけでも胸が痛くなる。まさか律人があんなこと考えてるなんて思ってもいなかった。

 青天の霹靂にも程がある。心臓は苦しいほど高鳴っていた。


「誰が親代わりになれっていったのよ……バカ」


 私の考えてることもわからないのに、何が父親よ。結婚だってしたことないくせに。

 しかし本当に律人には困った。なんで私が律人の娘にならなきゃならないの?そりゃ……お母さんが亡くなったことはショックだし、きっとすぐには立ち直るのは難しいと思う。

 それを関係のない律人に理不尽な八つ当たりをしてるのだってわかってた。

 だけど……なにも父親になってほしいなんて思ったことは一度もなかったんだけどな。誰もそんなこと望んじゃいないのに一人で突っ走ってる。

 だって、だってそんなことになったら……もう二度とこれまでの関係じゃいられなくなっちゃうじゃん。

 何をするにも「父」と「娘」になっちゃうじゃん。


「そんなの――私は絶対に認めないんだからね」


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