視線

大河かつみ

 

(1)

 春花は高校へ通学途中、バスの中で嫌な視線を感じた。なんとも気味の悪いドロリとした視線だ。その視線を感じる方をちらりと見る。立っている乗客が邪魔して判りづらいが、チラチラと制服の女子高生が確認できた。小柄で地味な印象だ。無表情で生気がない。でも、どこかで見たような気がする。

(小・中学校時代の同級生かしら?)

思い出そうとしたが答えは出なかった。とにかく視線は、その女の子のものだった。目が合った気がしたので慌てて視線をそらす。

(なんだろう?この嫌な感じ。なんであんな目で私を見ているんだろう?)


 春花は小・中学生の頃から容姿端麗、勉強もスポーツも万能でクラスでも一際目立つ子だった。女子高に在籍する現在もそれは変わらず、バレーボール部の主将であり、エースストライカーとして全校生徒から黄色い声援を受ける存在だった。同級生や後輩女子からラブレターを受け取る事もしばしばあり、困惑しつつも嬉しかった。いつも熱い視線を感じて過ごす日々。それだけに、今このバスの中で受けている悪意があるような視線は今迄に感じた事の無いものだけに余計に気味悪い。

 バスが終点のJR線の駅に着いた。春花はその子から逃げるようにサッサとバスを降り小走りで駅に向かった。


 高校に着き、いつもの日常に戻ると朝の出来事は忘れてしまった。只、バレーボールの練習中に足を捻挫してしまうアクシデントに見舞われてしまった時、ふと嫌な気分に見舞われた。何か仕組まれたような事に思えた。

 帰宅すると母が異変に気づき

「足、怪我したの?」

と心配げに尋ねたが

「ぜんぜん大丈夫だから」

とだけ言って自分の部屋に入った。


(2)

 その後もその女子高校生をバスで見かける事が度々あった。その都度、悪意のある視線を感じた。不思議な事にふと、気づくとそこにいるのだ。はじめは気づかなかったのに。

そして度々、些細な不幸が続いた。調理実習で火傷をしたり、朝礼中にめまいを起こし保健室に運ばれたり。その様な日々を経た後、事件が起きた。

 とある朝、寝坊した春花は自分の事は棚に上げ母に対して

「もう、なんで起こしてくれなかったの!」

と悪態をつき、母の作った弁当箱をひったくるようにカバンに入れ、慌てて家を出てバスの停留場に走った。丁度バスが停留場に着くところ、ギリギリ間に合って乗ることが出来た。

「セーフ!」

そう呟いて空いていた吊革につかまった。

 その瞬間、またゾクリとした。同じ並びの左、二つ先の吊革を例の女子高生がつかまっていた事に気づいた。これだけ近くにいたのは初めてだった。その子も春花に気づいたようで、その顔を覗き込むように視線を向けている。その無表情と濁ったような目がなにかこの世の人間には思えない怖さがある。

(何なのよ。もう。)

春花は改めて昔の事を思い出そうとした。小・中学校でこの子と出会っており、恨まれるようなことをしただろうか?しかし、いくら考えても思い出せない。誰かをいじめたという記憶は無かった。

 バスが駅前の終点に着いた。その小柄な女子高校生は、吊革に掴まったままで、降りる人の列に加わる気配がなかった。春花が先にその列に加わり運転席横のドアに向かった。その女子高生を通り越した途端、その子が春花の後ろにつくように列に加わった。嫌な予感がした。そして春花はスマホをかざしバスから降りる瞬間、背中に強い衝撃を感じた。それは手で押されたというより何か念力のような目に見えないような力、強い風圧を受けた感じだった。

「アッ!」

春花は反射的に叫んで地面に落ち突っ伏した。手をつくのが一瞬遅れた為、額が地面を擦った。

「大丈夫!?」

前にいた女性や運転手さんが驚いて言った。

周りの人が春花を介抱した。

額を擦りむき血が滲んだが、痛いというより恥ずかしさが先にきた。半笑いで

「大丈夫です。どうもごめんなさい。」

とだけ言った。そして周りを見渡した。あの女子高生の姿は無かった。


(3)

 春花は一応、バス会社の事務所で応急処置を受けた。その際、あのバスの運転手さんがいたので

「私の後ろにいた女子高校生に背中を押されたような気がするんです。」

と言ったが

「そんな高校生いたかな?」

と首をひねられた。

「確かなの?」

と運転手さんが尋ねる。

「いえ、ハッキリとした事はいえません。」

証拠もないし、これ以上話しても無駄だと思い口を閉ざした。


 その日は朝のショックを引きずり、部活を休んで帰宅をした。母が春花を見て

「どうしたの?その、おでこの絆創膏?」

と心配そうに言った。

「ちょっと転んで。・・・」

と適当に返事をし

「お父さんは?」

尋ねる。

「もう、そろそろ帰宅すると思うけど。」

「そう。」

そう言って自室に入った。春花は父にはバスで起きたことなどを話そうと考えていた。というのも、父には何か霊感的な能力があり、その事を自他共に認めていたからだ。あの女子高生をバスの運転手さんは見ていないという。もしかしたら自分にしか見えない霊なのではないかと春花は思っていだ。それに最近続く小さな不幸もあの女子高校生を見た日に限って起きている事に気づいた。

(このまま放っておいたら、もっとひどい事が起きる。)

そんな予感がし、父に話せば霊視して問題解決の糸口でもアドバイスしてくれそうな気がした。


 程なく父が帰ってきた。母が食事の支度をしている間に部屋に呼び入れた。父は春花の様子を見ただけで、おでこの絆創膏よりも核心に触れる事を言った。

「お前、最近悪い事が続いているようだな。」

と言った。

「わかる?」

「うん。」

春花はバスでの女子高校生の話をした。そして今日起こった現象で怪我したことも。

「全て霊障だな。」

「やっぱり?」

「ああ。」

「ただ、その女子高校生の事、今は、はっきりとした事は言えない。とにかく自分の目で確認したいから明日、俺も一緒にそのバスに乗ろう。」

「会社に遅れない?」

「大丈夫。お前の方が気にかかるよ。何も対処しないと、これからも続くとおもうから。」

「ありがとう。」

父が同行してくれると聞いて、春花は少し安心した。


(4)

 翌朝、父は母に対して

「今日は取り引き先に直行だから、いつもより遅くていい。」

と嘘をついた。

「行ってきます。」

春花と父は一緒に家を出てバスの駐車場に向かった。既に二人ほど並んでいる人がいた。その後ろに春花、父の順で並んだ。

「その子はここより前の停留所から乗ってきているのかい?」

父が聞く。

「そうだと思う。後から乗ってきたの、見たことないし。なんか、いつの間にかいるのよね。」

しばらくしてバスがやってきた。ウィンカーのライトを点滅させ、速度を落としてバスが停留場に着こうとした瞬間、信じられない事が起きた。なんと父の後ろからその女子高校生が顔をひょいと出したのだ。

(一体いつの間に?)いつもの無表情。そしてドロリとした目。春花の身体が硬直する。

「きゃあ!」

その女子高校生が春花の腕を掴むと思い切り、道路側に春花の身体を押し出そうとした。

「危ない!」

父が反応し春花の上体がバスの前に出る事を左腕一本で抑え込んだ。あやうくバスに接触してしまうところだった。父はその女子高校生の姿を認めて大声で叫んだ。

「自分が何をしているのか自覚しなさい!」

そして

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」

と唱えて九字を切った。すると女子高校生は春の目の前で徐々に消えていった。あのドロリとした目のままで。

「たぶん、もう大丈夫。」

父が言った。春花を震えながら

「何だったの?やっぱ幽霊?」

と聞いた。

「判らなかったのか。あれは高校時代のお前のお母さんだよ。」

それを聞いて、春花は絶句した。


(5)

 もうバスに乗る気にならず駅までの道を春花と父は歩いた。

「あれはお母さんが生霊を飛ばしていたんだ。」

「・・・。」

「お母さんは高校時代、本当に目立たない地味な子だったらしい。だから春花みたいな人気のある子に嫉妬していたんだな。それに、そういう子にどうもいじめにあっていたらしい。だから、春花に対して高校時代のお母さんの気持ちが悪さをしたんだよ。」

「実の娘にそんなことする?」

春花の声に怒りの感情が滲む。

「無意識だよ。そんな能力あるなんてお母さん自身だって分かっていないから。」

「でも何故?・・・」

「これは春花の方に問題があるな。」

「え!?」

「最近、あまり話もしていないだろう?」

「だって、話すことないし。・・・」

「日頃、感謝の気持ちも忘れていないかい?

例えば毎日のお弁当だって母さんがつくっているんだぞ。たまには“ありがとう”ぐらい言えよ。」

春花は返す言葉が無かった。

「お母さんにとって春花は自慢の娘でもあり、コンプレックスを感じる苦手なタイプでもあるんだよ。その相手に毎日、お弁当を作ったり、色々な面倒をみても、感謝の言葉一つもないんだぞ。寂しいし悔しいし、まるで高校時代の自分と同じじゃないか。そういう悪感情が生霊になってお前についてきたんだよ。」

確かに母をどこか見下していたかもしれない。皆の熱い視線を浴びてスター気取りにでもなっていたのだろう。春花は自分を恥じた。


 その日の昼下がり。母のLINEにメッセージが届いた。春花からだ。

“お弁当美味しかったよ。いつもありがとう”

「なに。急に?」

そう独り言をいいながらも、母の顔は少し明るくなった。

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視線 大河かつみ @ohk0165

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