第2話「兄VS妹~殺伐とした団欒~」

○ ○ ○



「……で、だ。お前は、その……本当に桃太郎の転生……なのか?」



 味噌汁を温めなおし、夕飯を再開しながら、俺は訊ねた。



「うん。もぐもぐ」



 山盛りのご飯を食べながら、頷く伊呂波。


 その目は、俺じゃなくてトンカツを見ていた。


 兄である俺の存在はトンカツ以下である。



「で、お前が戦っているのは……鬼?」


「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」



 妹、俺を無視してカツを咀嚼。それ、俺が丹精込めて揚げたカツなんだがな。


 まぁいい。兄の威厳なんて最初からなかったんだ……。



 それにしても、これから俺はどうすればいいんだろうか。


 妹がマジで鬼と戦っているだなんて、こんな非現実的なことが起こるとは夢にも思わなかった。



「……お兄ちゃんには関係ないから。これはあたしの戦い」



 伊呂波はカツを食いおわると、先手を打ってきた。


 それに対して「そうかじゃあ健康に気をつけてがんばれよ」と返すのも兄としてどうかと思う。


 一応俺はコイツの準保護者であり、家族だ。子供の頃は一緒に風呂に入った仲だ。



「水臭いな、伊呂波。昔は一緒に風呂に入った仲じゃないか」


「はあぁ!? なに言い出すのよ、このバカ!」



 そう簡単に兄に勝てると思うなよ伊呂波。兄特権として、俺はお前の恥ずかしい過去をたくさん知ってるのだからな。口のきき方には気をつけてもらおうか。



 俺を殺しそうな目で見てくる伊呂波を前に、さらなる復讐心が芽生えてくる。


 くく……そうだな。ふだん兄としての尊厳を奪われているお返しを、ここでしておいてやろう。


 俺が丹精込めて作った料理に対して「いただきます」も「ごちそうさま」も言わなかったからな。



「そうそう。昔のおまえはホラー映画みると眠れなくなってさぁ。んで、トイレ我慢して、翌日には、おもら」



 すべてを言う前に、俺の顔面に妹の拳が炸裂した。



「ねぇ? そんなに死にたいの?」


「ふみまふぇん……調子に乗りふぎまひた……」



 俺は鼻血を垂らしながら、強烈な殺気を放つ妹に謝罪した。


 こいつ、間違いなく俺より腕力あるからな。剣道では、全国大会優勝レベルだし。



 喧嘩したら、たぶん、いや、間違いなく俺のほうが泣かされる。


 というか、俺はすでに泣いている。



「だ、だがな……伊呂波……。あ、兄として、ふがっ…………お前ひとりを戦わせるわけには……いかんだろ……あふっ……」



 カツに鼻血をソース状に垂らしながら力説する。


 妹を孤独に戦わせておいて、兄が安穏とカツを食ってるだなんて、それは威厳にかかわる。


 だが、妹の反応は極めてつれなかった。



「無駄。邪魔。消えて」



 ひでぇ言われようだ。反抗期かこいつ。しかし、ハンムラビ法典の部分的な信奉者である俺は反抗には反抗を持って返す。即ち、目には目を、言葉には言葉を――。



「そうそう。昔のおまえは俺にゾッコンでさぁ。よく言ってたよな。大きくなったらお兄ちゃんと結婚すぐぇあ!」



 妹の鉄拳制裁が再び俺の顔面に炸裂した。



「今度その話したら命ないから」



 伊呂波はたいそう腹を立てると、椅子を蹴立てて二階へ行ってしまった。


 ……まぁ、今のは全面的に俺が悪い。



 あまりにも異様な出来事を目撃してしまったせいで、俺のテンションもおかしくなっていた。


 この殴られた痛みからすると、どうやら夢ではないらしい。



「しかし、本当にわけのわからんことになったな……単なる中二病じゃなくて、マジで伊呂波が夜な夜な鬼と戦っていたとは……」



 だが……まぁ、なるようにしかならんだろ。小心でありつつも、俺は楽天的な性格でもあった。


 物事を深く考えるのが苦手ともいう。いや、現実逃避といったほうが正しいか。



 食器を洗うと、テレビでも見ることにする。野球中継が俺の人生のささやかな楽しみだ。今日も俺の応援チームは苦戦している。これではクライマックスシリーズ進出は絶望的だ。


 やがて、階段を下りてくる足音がして、伊呂波がリビングへやってきた。



「お、伊呂波。風呂入ってるぞ?」


「……」



 伊呂波は無言で、俺の横を通り過ぎる。


 ……むぅ、まだ怒っていやがるのか? ならば、火に油をそそぐまでだ。



「たまには一緒に入るか?」


「……っ!」



 Uターンしてこちらに戻ってきて無言で俺の頭をぶん殴ってくる。


 腰にひねりの入ったいいパンチだ。



「まぁ冗談だ。ゆるりと風呂を楽しむがいい」


「……覗いたら殺す」


「そんなことするわけないだろ?」



 妹いぢりが趣味の俺でも、それはない。



「ほら、さっさと入れ。ちょっと汗臭いぞ」


「っ!? ……べ、別に汗臭くないもん!」



 伊呂波は自分の胸元に鼻を寄せると、すぐに抗議の声を上げる。



「長年嗅いできた妹臭をわからないわけないだろ」


「死ね! 数千回死ね!」



 再び思いっきり顔面を殴られる。


 うん、伊呂波も難しい年頃だな。



 そんなこんなで伊呂波が風呂に入ったあとで、俺も風呂に入ろうかと思ったのだが湯は全て抜かれていた。



「ちょっと、からかいすぎたか……」



 仕方がないので、今夜はシャワーで済ますことにする。


 ま、自業自得でもある。妹をからかうのも、たいがいにしておこう。



 そのあとは、特に何事もなく夜は更けていった。


 二階自室の隣にある伊呂波の部屋からは、特に物音やら奇声やら必殺技の掛け声は聞こえなかった。普通に寝たのだろう。



 俺も、寝る。断固として、寝る。絶対に、寝る。



 そうやって気合を入れて寝るのは、俺が不眠傾向にあるからだ。


 最近、なぜだか夢見が悪いというか……妙な夢を見るのだ。


 それが、やけにリアルで鮮明で――翌朝になると、心がすごく重くなっている。



 その夢は、遠い遠い昔の話だ。


 ――そう。誰もが、知っている。



「桃太郎、か……」



 そんなの御伽噺だろう。誰かが創作した勝手な話に違いない。それでも、伊呂波は桃太郎の転生だという。ここのところ俺が見ている夢も、それと関係しているから困る。意味深すぎる。



「うーむ……」



 眠れないまま、窓の向こうを眺める。


 月明かりが、部屋の中の闇をいくらか和らげてくれていた。



「夜眠れないってのは、けっこう辛いんだよなぁ……」



 そして、寝たとしても、またあの悪夢を見るかと思うと……。考えたくもないのに考え、考えて、考え疲れて――そして、ようやく……俺は眠りの世界に落ちていった。


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