棺桶の花

燕子花 白

棺桶の花


 嫌いだった。僕という人間を通して自らの理想を見る人たちが。僕はそんな人間じゃないと、僕は本当にどうしようもないやつだと言いたい。でも僕は何よりも嫌われるのが怖かった。だから誰とも付き合わない。付き合ってしまったら失望されてしまうから。それに誰かを好きになるということが分からないから。綺麗じゃないから。

 そんな僕の人生で唯一、恋と呼んでも良いのではないかという彼女への想いを騙ろう。


 彼女、と言ってもそれはsheであり、僕と彼女は付き合ってなどいなかった。僕は好きだったのかもしれないけれど。彼女は普通に見えるが、奇妙な性格をしていて(そこがとても可愛らしい)そしてとても優しい少女だった。背は低く、地味だけれどクラスでは明るいグループに属している、どこにでもいるようでいない人。

 最初に断っておくが、彼女には彼氏というものがいた。付き合っている存在があった。しかし好きだった。彼女は沢山の人に好かれた。目立ちすぎる程に目立つ僕よりかは少ないだろうけれど人気があって、彼女を知る誰もが彼女のことを好いているようにすら思えた。

 僕と彼女はいつも一緒にいた。遠い昔、あの高校生活の中で一番話していたのは彼女だと思う。少なくとも彼女の彼氏よりは。それは僕がずっと側にいたかったから。ずっと見詰めていたかったから。それが僕の生きる理由だったから。奪うこともできた、でも彼女はいい人だった、だから僕には勿体ない。僕とは釣り合わない。僕みたいな弱い人間には。

「私の棺桶に花を入れて下さい」

 彼女は言った、彼女の彼氏でもなく僕に。だからそれまで生きなさいと命じた。

「どうしてそんなことを言うの」

 僕は彼女よりも先に死ぬと思っていた。生に執着なんてなかった。だってそうしたら生きづらい。何かを気にして生きるなんて辛すぎて僕にはできなかった。どうなってもいいと思い込んでいたから今までこうやって生きてこられたのに。

「あなたが好きだから」

 言わないでほしかった、それがlikeだと分かっているから。僕も好きだよ、と返した。でも僕の好きは重すぎる。月がとても綺麗な夜だった。満月よりも半月よりも欠けていて、三日月ではないような微妙な形をしていた。星も沢山見えた。

 好きだよの言葉は聞き慣れていた。僕は僕が整った容姿をしていることも知っていたし友人が多く話しやすいのも、なんでもできることも知っていた。なんで彼女みたいな人と一緒にいるのと聞かれることがあった。僕は彼女は素敵な人だと返していた。完璧だと思われている僕には彼女だけが足りなかった。それでよかった。彼女は僕を見てくれていた。僕じゃない僕を認識してくれて、ただそれだけで嬉しかった。幸せだった。


 高校を卒業して僕らは別れた。自ら連絡を取るようなことはしなかった。でもあの約束だけは胸にしまっていた。だからこそ生きられた。

 風の噂で彼女が結婚をしたことを聞いて僕はただ、そうかと思った。彼女ならきっと幸せになるだろうと信じていた。暫くは死なないだろうと信じていた。


 雪の降り積もる寒い日だった。僕に一通の手紙が届いた。僕の名前はデジタルで書かれていて、それならばメールでもいいのにというようなどうでもいいことを考えてそれを開いた。引っ越したばかりなのによく家が分かるなと首を傾げていた。

 そんな余裕も便箋を開いた時にはなくなっていた。そこには彼女の名前と住所が書かれていた。誰が入れたか知らないが遠く飛行機に乗らねばいけないような場所にそれはあった。僕は何も考えることができずに金だけを引っ掴みそのに向かった。寒さなんて感じる暇もなかった。どうして、どうして……。それだけだった。

 数々のフライトや船を経由して歩いた、歩いて歩いて短く感ぜられた長い長い時間の後に彼女に会った。彼女の近くには誰もいなかった。そこは暑かった筈だったけど僕はそれを感じなかったし彼女は厚着をしていた。

「どうしてきたの」

「僕も棺桶に花を入れるつもりしかなかったよ」

 彼女はどうしてこんな小さな病院にいるかを語らなかった。でもなんとなく分かっていた。

「手紙を書いてね、人づてに渡して貰った。あなたのことを知ってる人は多いから」

 道理で住所が書かれていない訳だ。僕の住所も君の住所も。この手紙はどれだけの年月をかけて辿り着いたのだろう。

「あなただけに、書いたの」

「間に合って良かった」

 僕の微笑に彼女は力なく笑う。僕は彼女を抱き締めたくなった。

「いいよ、言ったでしょう。私はあなたが好き」

 僕は愛してるよ、と言いそうになったけどやめておいた。言葉にしないほうがいいこともある。

「ねぇ、何の花束を入れればいい?」

 僕を見てくれた唯一の人へ最初で最後の贈り物。

 彼女は僕の長い髪に触れてそして僕を抱き締めた。幸せな時間だ。

 その力は徐々に小さくなり、でも手だけは離さないでくれた。僕と彼女を繋ぐ鎖はいつも小さなものだったけど強くて僕らはそれを愛していた。

「二輪の花を入れて下さい。一つはブルースター、もう一つはあなたが選んで」

 僕らには信じ合う心があった。僕はこれからもそれを愛していくよ。

「青い花、好きだったよね」

 彼女がそれに頷いて終わった。すべてが終わった。


 棺桶なんてなかったから木で箱をつくってそれを燃やすことにした。彼女に言われたとおりブルースターの花を探した。とても綺麗なのが見つかったが見つけるのに物凄く時間がかかってしまったのは言うまでもない。見つかって幸運なくらいの場所である。

 彼女の棺桶に二輪の花を入れる。もう一つの花はヒヤシンス。もちろん青色。探す必要はなかった、これは僕が持ってきていたから。僕はそれを入れるとずっと前から決めていたのだ。

 彼女が燃えるのはとてもとても長い時間を要した。満月が二回ほど訪れたような気がする。燃えにくい木から真っ白な彼女が出てくる時にはもう花なんてなかった。硝子のように硬く小さくなった彼女の存在感は火が消えた後も残っていた。僕はそれを抱き抱えて歩いた。

 彼女と歩いて僕はふと現実に立ち戻った。すべての期待や重荷を捨ててきてしまったのだと気が付いたし財布ですらも置いてきてしまったらしいけれど何やら僕が欲しかったのはそれらじゃないと思ったのでもはやどうでもいい。僕にはただ彼女がいればいい。いればよかった。あの時から変わらない答えだ。僕はそれをあの時に伝えていたらというような無駄な後悔を頭に過らせたけれどこれでよかったと、彼女が最期に笑っていて僕も彼女の約束を守れたから。ずっと一緒にいてしまったらきっと果たせなかった約束だ。

 カラリカラリと音を立てる骨をどこへやろう。彼女の好きな場所へ。これは頼まれていないことだ。でもいいじゃないか。花と共に眠れなかったことを怒るだろうか。僕の我が儘を許してくれ。花言葉を守るから。こんな僕を傍に置いてくれ。

 熱帯特有の木々は日差しを遮れずに僕を染める。朱い光だった。僕は森の中を歩いていた。月もない夜を歩いていた。ようやく明ける。終わって始まる。急がないと。完全に始まってしまう前に、終わらせなければ。僕と彼女の物語を僕の身勝手で。

 歩きは駆け足に、じきに疾走に変わった。僕はただ真っ直ぐ走った。木々につまずき、木々に血を流しそれでも光をめがけて走り続けた。長い長い導きの果てにまだ朱い光が僕を包み込む。神の計らいだろうか、崖下には大きな青い海が広がっていた。彼女の好きな海。彼女の好きな青色。彼女の好きな朝日。僕らはそこに眠ろう。

 僕と彼女は青い海に飛び込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

棺桶の花 燕子花 白 @kakitsubatahaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ