曇り空の下で、君と

ぴよ2000

1話(完結済・5997文字)


「ここは等活地獄っていうの」

「とうかつ?」

「簡単に言うと、私みたいに飛び降り自殺をした人が、罰として同じ苦しみを受け続けるの」

 クラスメイトの柳(やなぎ)さんはそう言うなり、下駄箱外のアスファルトから校舎の屋上を指差した。僕は彼女が指差す先よりも、彼女の姿に目を奪われた。いや、姿というか、

「柳さん、頭から、血」

 彼女の頭からありえない程の量の血が流れている。どくどくと流れていて、足元が血の池みたいになっている。しかし彼女は構うような素振りは見せず、「だって、私は屋上から飛び降りたんだもの」と淡々と答えた。

「どうして」

 飛び降り自殺なんか。

「でも」

 そう言って、彼女の人差指は屋上から僕の方へシフトする。

「え」

 彼女が指差したのは、正確に言えば僕の頭頂部。思わず触れると、ぬるり、とした感触が指先をつたって「ひい」自分も柳さん同様流血している事がわかった。

「ごめんね。私が飛び降りた時、誤って真下にいた吉野君にぶつかってしまったみたい」

 柳さんは血まみれの頭を手で小突き「てへ」と舌を突き出す。小柄な顔に、猫のように大きな目元。女子然とした華奢な体躯。その容姿ゆえに、黒髪のセミロングが多量の血液でガビガビになってさえいなければ恋心を射抜かれるような仕草である。

「そんな。どうして」

「自殺を敢行した時、不運にも下駄箱から出て来たあなたにぶつかった。そして死してなお地獄で罰を受ける空間に吉野君を巻き込んでしまった……ということかな」

「すごくわかりやすいけれど」

 どうして当事者がそんなに理路整然と現状を説明できるんだ。もう少し悪びれろ。

 ……いや、そんなことはもう今はどうでもいいか。問題なのは、

「という事は、ここは」

「はい。一応死後の世界、という事になります」



 鉄筋コンクリート造の三階建て校舎屋上からの自由落下。本来なら地面のアスファルトにその小柄な顔面を強く叩きつけられて、頭がぱっくり割れたり色々はみ出すところだった。ところが僕が下敷きになったおかげでそこまでの惨事は免れたらしい。いや、死後の世界にいる時点で十分悲惨な末路を辿っているか。

「次の時計の針が四時四四分になれば、私はまた屋上から落ちることになる」

「何だそれ」

「私と吉野君が死んだ時間だね」

「ああ」

 成程。等活地獄といったか。仏教だとか宗教だとかあまり詳しくないけれど、確か、自らの死を何度も繰り返し受けさせられる種類の地獄だった気がする。そしてさっき柳さんも同じような事を言っていた。つまり、僕と柳さんが身を置いているこの場所は「ええ。まごうことなき死後の世界です」と内心を見透かしたかのようにして彼女が答える。

「実際、私たちは頭蓋が割れているはずなのに今はどこも痛くないでしょう」

「生々しい表現で言われるのは嫌だけど、まあ事実だ」

 頭頂部から血が流れているけれど、不思議と痛みはない。いや、死後の世界なのだから痛みを感じることなんてないのだろう。

「……けれど、午後四時四四分になれば死んだ時の痛みを繰り返す?」

「話が早くて毎回助かるわ。そうそう。今はインターバルみたいなもの」

 時が来れば死そのものがやってくる。時とは、僕達が死んだ時間だ。

 そういえば、と、ポケットから携帯を取り出し時刻を確認する。

 午後四時四〇分。あと四分後に、僕と彼女は死ぬほどの痛みを受けなければならない。死後の世界だというのに時間の概念がある事には少し驚いたけれど、まあ、そういうものかもしれない。

「でも安心して。私は吉野君を巻き込んだというだけで、君まで私と同じ苦しみが続く訳ではない」

「それは、どうして」

 同じ苦しみが続くはずの世界で、どうしてそう言い切れるのか。しかし、彼女が「実際に、あなたには記憶がないでしょう」と答えたところで合点がいった。

「目が覚めたら自分はここにいて、目の前にいた血まみれの私から事情説明を受けている? 違う?」

「そ、そうだ」

 柳さんの言う通り。目が覚めると彼女がそこにいた。

そして痛みや記憶が蓄積していない。これは、

「私は何度も君とぶつかり、その度に事情説明をしている。最初の頃は毎回記憶を失っていると思ったけれど、どうも違う。どうも記憶自体リセットされているような感じ」

 柳さんは一拍の間を置いて、結論を紡ぐ。

「私が思うに、自殺の行為者は私自身で、罰を受けるのはあくまで私一人。だけど、私が直接ぶつかったのは玄関タイルでもなければアスファルトでもなく君自身で、罰を受ける度に存在しなくてはならない必然みたいなものかもしれない」

「それって、テレビゲームに出て来る村人Aみたいなものか」

「ゲームの事はよくはわからないけれど、多分そんな感じ」

「そんな」

 自分が死んだという事実だけでも受け入れ難いのに、そんな訳のわからない世界に囚われてしまったなんて、冗談じゃない。これではずっと僕は成仏もできないという事ではないか。

「ごめんね。私の飛び降りるタイミングが悪くて」

「そもそもどうして自殺なんか」

 容姿もよく、人柄も悪くない。実際、クラスの中でも誰彼構わず仲が良く、嫌われるような人間という印象ではなかった。それとも僕が知らなかっただけで、影でいじめにあっていたとか? 

「これ」

柳さんは自分のポケットから携帯を取り出し、画面を僕に見えるように差し出した。画面はどうやら犬の写真で、ディスプレイの中央には小柄でふわふわコートのポメラニアンがこちらに向かってお座りしている。

「キャサリンがね、あ、キャサリンというのは私が飼っていたこの子の事なんだけれど」

「うん」

「それでこの子がね、腎臓の病気で昨日亡くなっちゃって」

「まさか」

「それがショックで、むむむむむむいだいだいだいい」

「へえ。死後の世界でもこうすれば痛みは感じるんだね」

 半ば無意識に僕は彼女の両の頬をつまんでぐいいいっと引っ張っていた。もっと深刻な事情かと思ったけれど「だってこどほのこほからかっへいはいふはんだほん!」「キャサリンだってご主人にはもっと長生きしてほしかったんじゃないかな!」因みに翻訳すると「子供の頃から飼っていた犬なんだもん!」である。

「もう」

 柳さんは僕の手を振り払い、こちらに向き直る。

「何もつねらなくたっていいじゃない。つねらなくたって」

 そう言って彼女は笑う。しかしその目の焦点が僕に合っていない気がする。開いた瞳孔がぐらぐらと揺れていて、どこか落ち着かない。だからきっとこれは、

「柳さん」

「何?」

「何度も何度も僕に嘘を看破されて、そろそろもうネタがつきてきたんじゃないですか」

「ええ? 何よいきなり」

「飼い犬が原因じゃあないんでしょう?」

 音の無いはずの世界で、しん、と耳鳴りが耳朶を打つ。

 体温など無いはずなのに、血の乾きが肌でわかる。

 汗なんてかかないはずなのに、喉が渇いてからからになっていく。

 そして、柳さんは僕を見据える。

 少し恨めしいような、半ば諦めたような目で、そして言う。

「まただ。またばれちゃった」



 高校生活が始まったばかりの頃。

 同じ中学の友達とは別々のクラスになり、知り合いが誰一人としていない空間に放り出された。周りは人間関係を着実に築いていくのに、僕は教室の隅で小説を読むふりをしながら周りの様子を窺っている。

地元が同じで元々仲の良いグループ。

同じ部活で、共通の先輩の愚痴で盛り上がるグループ。

お洒落に目覚め、化粧の話で華を咲かせる女子グループ。

深夜アニメの話で熱くなるオタクグループ。エトセトラ。エトセトラ。

皆一様にして共通の話題を見つけ、友達を簡単に作っていく。一応、周りから話しかけられたりはするのだが、急に話しかけられた事に焦った僕は「今日は良い天気ですね」という『会話が広がる方法』という自己啓発本に載っていた初歩中の初歩の言葉しか見つけられず、当然会話も広がる訳ない。

性格上、相手の懐にもなかなか踏み込めない現状なのだが、もし話しかけて無視でもされたら、と、そんな怖さが日々コミュニケーション能力をそぎ落としていくのも事実。こうして負の連鎖が生まれていき孤立が始まるのだ。そう諦めかけていた矢先の事だった。

「天気の話? 私は曇り空が好き。何か落ち着くから」

 何を聞かれた事がきっかけだったのかもう覚えていない。話しかけられ、いつも通り僕は天気の話をしてしまい、やっちまった、と後悔していた。いやいや、家族との会話でこんなに緊張しないだろ。もっとしっかりしろ自分。と、話しかけられ僅か三秒でそこまで自分を責めていた時、柳さんは僕の返しに呆れることなく答えてくれた。

「いきなりそんな話をするなんて、やっぱり吉野君は面白いね」

 それから度々彼女と話すようになり、他人と会話を交わす事への緊張も薄れていった。

そして、彼女がクラスの中心人物であるが故に、自然と他のクラスメイトとも打ち解けていくことができた。

「どうして僕なんかと話すようになったの」

 いつか二人きりになった時、そう聞いた事がある。すると珍しく柳さんは怒ったように語気を強くして「どうしてそんなことを聞くの?」と逆に聞き返して来た。当然、僕は焦るし慌てる。思考が整理できず、答えに見合った言葉を上手く引き出せない。

 それが柳さんに伝わったのか、呆れ顔で彼女は答える。

「あのね。自分の事を『なんか』って言わないの。そうやって自分を卑下するって事は自分の友達や家族を否定する事に繋がるんだよ」

 その言葉に、僕はぽかんとした。

 欲しい答えではないような気がしたけれど、何とはなしに彼女の考えが伝わってきた。

きっとこの人は、クラスで孤立する僕を憐れんで声をかけてきたりした訳ではない。

「そうか。ありがとう」

「いえ、どういたしまして……って、この流れでどうしてお礼を。あれ? そういえばこれって何の話だっけ」

 いきなり毎日が劇的に変わったりはしていない。

それまで曇り空だった毎日の中に、彼女がちょこちょこ現れただけ。それだけで、一日の中に晴れ間が少しずつ見え始め、灰色の世界が次第に色づいてきた。

彼女のおかげで僕は自分の殻を破れたような気がした。

それなのに、

「誤魔化さないで答えてほしい」

 時計を見ると午後四時四二分。

 運命の時間は午後四時四四分。僕と彼女に残された時間はあと二分しかない。

「どうして自殺なんか」

 飼い犬が死んだ、というのは嘘かもしれない。

そう思ったのは、愛犬が死んだだけで自死するような人間をニュース含めて見た事がないというのが正直なところだ。よっぽどの愛犬家であるなら話は別だが、そんな話も聞いた事がないし。

「振られちゃったんだ」

 柳さんは諦めたように笑いながら、僕を見た。

 対して僕は、彼女の答えを噛み砕けずにいる。ふられた? 振られた? 今彼女は何に対してどういう意味でそう言ったのだろう。でも、言葉に詰まる僕の反応をまるでこれまで何回何十回と見てきたようにして、彼女は平然としている。

「付き合っていた先輩がいて、でも他に好きな人ができたから別れようって言われて、気付けば私は屋上の縁から下を見下ろしていた」

「そもそも」「『私が誰かと付き合っていた事も知らなかった』んでしょ」「っ」

 そうだ。

 僕からすれば何事も初めての経験だが、彼女はこの世界を何度も廻っている。

 僕の考えはおろか、僕から出て来る言葉すら僕より先に知っている。

「死ぬほど彼が好きだった。でも、どうして付き合っている私より、他の女になんかに目が眩むんだろう、そう思うと悲しくて、悔しくて、地縛霊になってもやりきれないよ」

 彼女の口調は淡々としたもので、でも、その目から血の雫が一滴、頬を伝い落ちた。

 これは、呪詛だ。

 繰り返し相手を呪い、自らをも苛んでいる。

 何とかしてあげたいけれど、この世界では、僕は、

「柳さん」

 きっと、こうしている間にも一分が経過した。

僕達に、いや、僕に残された時間はもう数秒しかないのだろう。

だったら、僕だって思いの丈をここでぶちまけてしまってもいいのではないか?

もし、またこうしてここに記憶もろともリセットされてしまうのなら。

「地獄らしく亡者の本性を曝け出そうか」

「え」

「先輩の事なんて知るか」

 僕は彼女の肩を掴んで、引き寄せた。

 ふにゃふにゃの柔らかな肩。

 鼻腔に迫る血特有の鉄臭さ。

死んでいるはずなのに、生きているみたいに鼓動がうるさい。

「何百何千何万回、僕はこうして、或いは、こうはしないかもしれない。でも――ここは地獄で苦しみしか続かないけれど、僕は柳さんと一緒にいれてとても嬉しく思う」

 好きだった。

 届かない片想いだったけれど、これで伝えられるのなら。

「私は」

 彼女の姿が胸元からすっと消え、次の瞬間、衝撃が脳天から来て視界が途切れた。



 心肺蘇生装置の音と、慌ただしく動き回る白衣の人達。

 最初はあの世かと思ったけれど、天使にしては衣装が医者や看護師寄りだし、羽も生えていない。僕が意識不明の重体から意識を取り戻したのは、事が起きてから二週間余りが経ってからだった。

「一時、君は五分間心肺停止状態だったんだ。あの時は本当もう駄目かと思った」

 担当医からそんな説明を聞かされても、まだ頭はぼやっとしたままで、過去と現実の区別が曖昧だった。もうあまりよく思い出せないが、色々な幻覚や幻聴を見たり聞いたりした気もしたし、それ自体が夢だったのかもしれない。

痛みもましになり頭部から包帯が解かれたのは病院に運び込まれて二か月が経った頃、リハビリを経て復帰を果たしたのがそれから三か月後の事で、施術により丸坊主で帰って来た僕をクラスの皆は嬉々として迎え入れてくれた。

 難なく学校生活が始まったところで、僕は友達数人から柳さんが交際していたという先輩の名前を聞き出し、本人に会いに行った。衆目の前であったが、とりあえず僕は柳さんの机に置いてあった花瓶で頭をぶん殴って気絶させ、その場を後にした。

 不思議な事に僕の所業は本人どころか誰からも咎められず、学校側からも「なかった事」として処理されたが、そんなことはもはやどうでもよかった。

 午後四時四四分。

 校舎の玄関口。

 辺りは人気もなく、吹奏楽部の演奏がかすかに響いてくる程度の静けさ。

彼女と二人きりになるには丁度良いシチュエーションかもしれない。

 僕は手に持っていた献花をタイルの際に置いて、手を合わせた。そして、その場所から真上を、彼女が立っていた縁あたりを見上げる。

 当然、誰もいない。

あるのは今にも降り出しそうな曇り空ばかりで、地上にいる者すべてを灰色に映し出してしまいそうだ。彼女はどうしてこんな天気が好きだったのだろうか。ただ、それを聞くことはもうできそうにない。代わりに「さようなら」とその場所に告げて、踵を返した。

「ありがとう」

 真後ろから、声が聞こえた。

はっとして、立ち止まる。

目頭に熱がこもり、鼻がひくひくする。

でも、きっと、今振り返ってはいけない。

きっと彼女は独りで、今もずっと落ち続けているのだから。

                                                                           了

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