6−14 すべてを護ろう
「くっ――!」
踏ん張りも虚しく、リクスンの脚は勝手に一歩大きく踏み込む。振りかぶった手から放たれた漆黒の炎は、一直線に不死鳥を目指した。
「ぬぅ、これは!?」
ファレーアが魔法による防護壁を築いた場面は初めて目にした。剣による斬りかかりですら弾く鉄扇のような翼をもつ存在が、今は警戒をあらわにしている。さらに驚いたのは、決して大きくはない黒い炎の一撃が不死鳥の魔法を相殺できるほどの威力を持っていたことだった。
「やった! すごいわ、リンさん」
砕け散った防護壁がパラパラと崩れ落ちるのを見、何も知らないエルシーが感嘆の声を上げる。彼女に警告を送らねばとリクスンは渾身の力を込めてみたが、指一本動かせなかった。
代わりに叩きつけられたのは、身震いするほどの熱い怒気。
「おい。若造」
「!」
あの従者が是が非でも自分に見せたかったのは、この怒りに震える不死鳥の姿だったのだと確信する。動かせない視界の中で、儀式の守護者は太陽のように輝く魔力を立ち昇らせて言い放った。
「この力は、あの忌々しい国の――ケーラの力じゃ」
「なっ……!?」
「呪われし魔術によって滅びた国の力を、なぜお主のような若造が扱える?」
恐ろしいほどに低く、そして冷たい怒りに満ちた声だった。背後のエルシーも場の空気に気づいたのか、狼狽した様子で呟く。
「ケーラってあの、呪いとか殺しの魔術をたくさん作ったっていう」
「そうじゃ、娘。この世でもっとも愚かで、傲慢な者たちが興した国じゃ。当然、もう存在せぬがな。しかし奴らの魔術を信奉する者たちは後を絶たぬ」
吐き捨てるように言い、不死鳥はふたたびリクスンを睨んだ。
「ケーラ魔術だと……!」
リクスンとて、その国の凶悪性は知っている。各地に散らばった信奉者たちは未だ怪しい実験に身を投じ、時折恐ろしい事件を引き起こしていた。騎士隊が派遣されたのも数度のことではない。直近の記憶ではたしか、この旅に出た直後に遭遇した物盗り一家の老婆もケーラ魔術の使い手だったはずだ。
(おやおや、相変わらずひどい評判ですね。我が国は)
「! 貴様」
己の内側から響いてきた声はやはり、この事態を見越していたような落ち着きに満ちている。しかしこの場でリクスンが事情を語ったところで、不死鳥の信頼を得られるとは思い難かった。それほどまでに目前の守護者は怒りに染まっている。
「あの国の畜生魔術師どもは当時、実験のために我らが同胞を捕らえおった」
「!」
「炎が枯れるまで力を放出させ、反属性の力と無理矢理に融合させられ……その多くが、不死鳥にあるまじきおぞましい死を迎えたという」
「ファレーア殿――」
「黙れッ!」
一歩前に出たリクスンにカッとくちばしを開き、不死鳥は吠えた。まるで直接肌を打たれたかのような衝撃。敵意が含まれた魔力があたりを満たし、洞穴は燃え上がらんばかりに灼熱しはじめた。
「どうやって知恵竜の懐に入り込んだかは知らぬが、若造――貴様、ケーラの手先じゃな。今度は我や火竜たちを手籠めにする気か? 許さぬ……!」
「待って、違うわ! あなたの話が本当なら、さっきの黒い炎はリンさんの力じゃない。きっと何かの間違いで」
「ホワード妹、待て!」
熱波に顔を覆いながらも訴えたエルシーに、リクスンは警告を叫んだ。
「かばうな、精霊の娘よ。貴様も灰になりたいか!!」
しかし守護者の怒りはすさまじく、最早我を失っていると言っても過言ではない。よほどケーラ国に深い恨みを抱いているのだろう。呼び覚まされたその憎悪は容赦ない火球へと膨れ上がり、儀式の挑戦者ではない少女へと放たれた。
「きゃっ!?」
この場で最上位の力を誇る存在が放った炎に、エルシーを護る小さな火精霊たちが抗える道理はない。すかさず身体を寄せ合って壁を築いた精霊たちを呆気なく突破し、炎の剛球が“救護係”を焼き尽くさんと迫る――。
「……ッ!」
しかし炎は左右へと逸らされて地面を抉り、またいっそう歪な地形を作り出すに留まった。轟音と眩い輝きが静まると同時に、焼き尽くされる運命にあった少女の叫びが響く。
「り――リンさん!」
剛球が直撃したはずの場所に立っていたのは、ひとりの若き騎士。剣腕ではない手は前方へと掲げられ、そこには人間ふたりを十分に覆えるほどの炎の
その炎の色は、純然たる茜色。
「お主」
「“剣に巻いて振り回すだけが、火の使い道じゃない”」
「!」
手ひどく惨敗したあの朝に、知恵竜が授けてくれた助言である。ずっと頭の隅でくすぶっていたその言葉が今、リクスンに活路を見出してくれた。
「……炎は、相手を灼くためだけに存在するのではない。使い方によっては相手の侵入を許さぬ、強靭な楯にもなる」
「リンさん、それって」
「ああ。ようやく理解した」
目の前に浮かぶ大楯を見上げ、リクスンは静かに答えた。
「これが、俺の炎のかたちなのだと」
透けているのにたしかな実体を感じさせる大楯の表面には、光輝く幾筋もの線が走っている。見慣れたそれはヒトと竜の友好を示す、交差した黄金の
無意識に近い状態で作り出したはずのその形状を見、リクスンは小さく口の端を持ち上げた。
「俺には君の兄のように、すべてを斬り伏せるほどの剛力はないかもしれん。それに主君のような聡明たる頭脳や、魔法の才も持ち合わせてはおらん」
「リンさん」
「しかし己の背に控える者がいるかぎり、俺はこの楯を掲げ――すべてを護ろう」
魔力が血流のように全身を巡っている。いつの間にかあの従者の気配は消えていた。支配を解いたのか、あるいは“本体”が何か別のことに気を取られているのかもしれない。いずれにしても好機だ。
茜色の輝きを保持したまま、リクスンは空中に留まる相対者を見上げる。
「不死鳥よ。過去の因縁を想起させる力を見せてしまったこと、申し訳なく思う。しかしこの娘に炎を差し向けることは、断じて許容できない」
「生意気をッ!!」
ほとんど我を失っているかのような甲高い声が返ってくるが、大楯はその魔力すら通さなかった。利き手が握っている愛剣へと魔力を流し込めば、その刀身も同じ色に染まる。
かつて義兄は、剣の鍛錬に取り組みたくてたまらない自分にこう説いた。
“義兄上。あの……今日も楯のとりまわしの訓練ですか?”
“うん? つまらないといった顔だな、リンよ”
“そ、そういうわけでは”
訓練用の盾の後ろから顔を覗かせた見習い騎士に、義兄は形の良い口元をほころばせて言った。
“たしかに少し、地味かもしれんな。しかし騎士の本分は、護ることにある”
“護る、こと”
“そうだ。剣を突き出すことに夢中で、後ろの者たちのことを忘れてはいけない。まず築くべきは、その者たちに恐れを抱かせないほどの強靭な護りなのだ。行くぞ!”
爽やかに言った兄が繰り出す剣撃は、言葉ほど軽やかなものではなかった。あの時にリクスンの背後にあった訓練用人形は、無残に斬られてしまったものだが――。
「この場は絶対に、火の粉ひとつ通さん!」
鮮やかに揺れる緑髪をもつ少女。護るべきその存在を背後に感じると、リクスンの魔力はますます燃えがった。
「ケーラの悪魔共め、生きてこの山から出られると思うなッ!」
「その呼称は否定する。しかし、俺に落ち度があるのも事実……貴殿の気が済むまで、俺もこの炎で応戦してみせよう」
「リンさん」
「俺のうしろから出ないでくれ、ホワード妹」
剣の柄を握る手に一段と魔力を込め、騎士は灼熱の地を蹴った。
「必ず――この儀式を終わらせてみせる!」
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