6−5 あなたこそ分かってない

「ホワード妹!? どうしてここに」


 明るい若葉色の髪を揺らし、自分を助けてくれた仲間の少女――エルシー・ホワードを見やり、リクスンは驚きの声を上げた。それを聞いた少女の、平素であれば可憐な茶色の瞳がつと細くなる。


「それはこっちの台詞よ、リンさん。どうしてひとりで行っちゃうの」

「!」

「本当の救護係の方は、今回は来られないの。それに入り口にいたギムリウスさんから聞いたわ。一人でも平気だって言ったんですってね?」

「そ、それは」


 負傷した脇腹と脚を反射的にかばいつつ、騎士は返事に窮した。案の定この様子に仲間は身を乗り出し、腰に手を当ててぴしゃりと言う。


「どこが平気なのよ! まだ入り口からそんなに進んでないのに、小型精霊になんて苦戦しちゃって」

「待ってくれ、あれで小型なのか!?」

「そこじゃないから! とにかく、リンさんは精霊のことを何も知らなさすぎるのよ。今まではあたしが一緒だったから、敵意ある精霊なんて寄ってこなかったし」


 つかつかと歩み寄ってきたエルシーは、リクスンの手を押しのけて脇腹の傷を診た。痛みに顔をしかめた患者を無視し、冷静に観察する。


「まだ精霊の光がくすぶってる。この火山製の防具で良かったわ。骨まで溶けちゃってたら、さすがに治癒が追いつかないもの」

「骨ッ……!?」

「たまに火を吹くような魔獣と精霊を一緒にしちゃだめよ。彼らはいわば、自然の力そのもの。だから反対属性の魔力をぶつけて弾けさせるのが一番いい。リンさんみたいな同属性の場合は、単純な力比べになるわね」


 先ほど精霊を飲み込んだ炎の波を思い出し、リクスンは納得した。知恵竜が自分をこの儀式に推薦した理由はおそらくそれなのだろう。少々荒い方法だとしても、成長や打破というものはいつも戦いの最中でしか発しないものだ。


「少し我慢してね」


 知識を提供しつつ、少女は患部に手をかざす。髪と同じ緑の燐光が細い指の間からこぼれた。羽でくすぐられるような軽やかな感覚が走り抜け、あっという間に痛みを連れ去っていく。


「精霊の変形には、規則性や条件があるの。それを知れば、剣士だって勝てると思う」

「本当か!」

「この山の火竜たちにしてみれば常識だって、族長さんが言ってた。けど普通は知らなくて当然よ。あたしがあなたに道中でその知識を与えても、儀式失敗とは見なさないって約束してくれたわ」


 若いといっても少女の数倍を生きているであろう火竜の長だが、彼女の雄弁さの前にはたじろいでしまったに違いない。同情しつつも、リクスンはハッとなって大きな声を出した。


「道中とは――まさか、君も“儀式”に同行するつもりなのか!?」

「救護係兼、精霊の案内人ってところね。思ったとおりここの精霊たちは気さくで、おかげで暑さもそれほどじゃないし」

「そこじゃないだろう! 危険なのだ、分かって」

「あなたこそ分かってないッ!」


 傷はほとんど癒えていたが、キッと見上げてきた少女の顔を見たリクスンは心がずきりと痛むのを感じた。真剣さの中に心配をたたえた、真摯な眼差し――。


「あたしもフィルも、気づいてるんだから。何か困ったことがあるんでしょう?」

「な……」

「言いたくないなら良いわ。でも、それでひとり危険に陥るのは許さない。それを黙って見ているほどあたし、大人じゃないのよ」


 大きな茶色の目には、頑固な光が浮かんでいた。彼女の無愛想な兄が時折見せる、固い決意を宿した目だ。こうなればこちらの言い分など通らないだろう。リクスンはしばらくののち、濃いため息をついてこぼした。


「わかった。しかし手出しはもう無用だ、これは俺の儀式だからな」

「了解よ。さっきのはつい手が滑っちゃっただけ。今後は助言と回復に努めるわ」

「手が滑ったという威力ではなかったが……」


 にこりと微笑み、少女は立ち上がってしなやかな身体を伸ばす。彼女のまわりを巡る火の精霊たちは、心なしか嬉しそうに見えた。負傷箇所は焦げた服を残し、すっかり消え去っている。


「む?」


 焦げた服を整え終えたリクスンはふと、救護係の頭上に不思議な魔力を感じとる。


「ホワード妹。何やら一体、様子の違う精霊がいるぞ」

「ああ、この子は精霊じゃないわ。アガトさんの魔法よ」


 エルシーの緑髪の上にちょこんと載っているのは、まわりの精霊たちよりも控えめに輝く赤い光だった。よく見れば小さな耳と鼻が突き出ており、どこか見覚えのある獣の姿をしている。


「非常事態のための、連絡手段ですって。向こうからしか呼び掛けられないそうなんだけど――定期的に声かけるって言ってたわ」

「そうか。気にかけてくださったのだな、アガト殿は……」

「“持たせるの女子限定だからね”って言付けも賜わってるわよ」

「……」


 悪戯っぽく言う魔法使いの姿を思い描いていると、リクスンの心中からほくそ笑むようなささやきが聞こえてきた。


(“精霊の隣人”。何度見ても、心惹かれる力ですね。実に興味深い)

「き――!」


 貴様、と応じようとした口を慌てて閉じる。エルシーが同行する以上、悔しいがこの半端竜人のお喋りは野放しにするしかないだろう。


(ああ、実際にお答えいただかなくて結構。私には、貴方の心の揺らめきがはっきりと感じられるのですよ)

「……」

(私の所感を聞き、少女の身を案じましたね? 安心して下さい、彼女には何もしませんよ。世にも貴重な人材ですからね)


 口調自体は穏やかなものなのに、その裏には明らかな悪意が居座っている。やはり彼女の同行は心配の種になるのではとリクスンが懸念を抱くと、元使用人はすばやく言い添えた。


(引き返したりしないで下さいね。それにもちろん、私の存在を明らかにすることもお控え下さい。そのように興醒めなことが起これば、私はすぐに貴方の意識を完全に乗っ取ることにします)

「!」

(うふふ。そうなったら、しばらく貴方のふりをしているのも面白そうですね? 少女がどこまで純情でいられるか、からかってさしあげるのも一興です)


 ぎり、と奥歯を噛み締める。愛剣で今すぐ自身を袈裟斬りにしてしまいたいほどの不快感が駆け巡るが、その怒りを吐き出すこともできなかった。


(最後に貴方の剣で斬られたら、さすがにこの強気な少女も驚くでしょうね。可憐な顔に咲くのは、哀しみか怒りか……ああ、剣の手ほどきも受けておくべきでした! 魔術ばかりにかまけていたので、きっと酷い斬り方しかできません)


 その嘲笑には耐えきれず、思わずばしりと手で額を打つ。音に気づいたエルシーが、ぎょっとした顔で振り向いた。


「どうしたの?」

「……うるさい虫がいただけだ。心配ない」

「そ、そう。高温の山にも、たくましい虫がいるのね。薬も持ってるから、必要だったら声をかけて」

「了解した」


 なるべく普段の表情でもって頷きを返すと、少女は赤い光が揺らめく道を指差して告げた。



「さ、行きましょ。奥から大きな力を感じるけど、まだまだ遠いわ」





「こんなものか。母上のすきな山菜が見つかってよかった」



 色鮮やかな山菜でいっぱいになったバスケットを見下ろし、リクスン少年は汗だくになった額を拭った。手に付着した草汁がみずみずしい匂いを放っている。


「……ん?」


 その爽やかな香りの中に、はっきりとした異臭が混ざる。小さな鼻をすんすんと鳴らし、少年は辺りを見回した。どうも焦げ臭いが、出どころがわからない。自分の背丈と同じほどもある草をかき分け、元いた道へと引き返す。


「!」


 その途端、涼しい夕暮れに不似合いな生温い風が吹き抜けた。先ほどの匂いが強くなっている。金色の眉を寄せて空を見上げた少年の目に映ったのは、いつも母と探した一番星ではなかった。


「え」


 もうもうと立ち昇る、黒い煙。煤けた空気はここまで届き、よく見れば小さな灰が粉雪のように舞っている。


 なにが、燃えている?


 吹き上がる暗黒の煙柱――その下方向にあるものを見、少年は半日かけて集めた収穫物をどさりと取り落とした。


「なん、で……」


 それは故郷の村の在り処を知らせる、道標。



 山のどこからも見えるその大きなパエリの木の向こうで、巨竜のような炎が躍り狂っていたのだった。



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