4−18 お前たちが、賢者ぁ?

 ルナニーナとテオギスが――苦労の末――見事弟子入りを果たしてから、実に100年の時が経った。


「アガト師匠せんせい! どうした、もう今日の手合わせはお終いか!?」

「予定の倍以上やったでしょうが、ルナ。もう俺っち、腰痛くて……」

「じいさんだな、ほんと。これくらいで許してやって、晩飯にしようぜ」

「テオギス、お前は審判やってただけじゃん……。あ、俺っちのスープ、玉ねぎ抜いといて」


 血気盛んな若者たちに手を焼くアーガントリウスだったが、その実どの弟子たちよりも手塩にかけて育てているようだった。


 実際に竜たちはめきめきと魔法の才覚をあらわした。最近では力試しも兼ねて、近隣諸国の問題解決に手を貸すこともあるほどである。


 大きく切り拓いた山奥で家族同然に暮らす竜の師弟を見守るのはもちろん、誰にも視えない時の漂流者――フィールーンだ。


『皆さん、とても仲が良かったんですね』


 もちろんそのすべての瞬間を共にしてきたわけではない。しかしその一幕を垣間見ただけでも、彼らの間に築かれた深い信頼を感じとることができた。


 それでもやはり――出会いがあれば、別れが訪れる。


「え……。ゴブリュード城に?」

「そうだ! あたしたちをぜひ、城に招致したいと――“賢者”として!」


 ヒトの大きさに成る術を会得したルナニーナが、興奮した様子で手にした書簡を振り回す。彼女のとなりには、当然だという顔でうなずいているテオギスの姿もあった。


「お前たちが、賢者ぁ?」


 2足歩行の竜といった見た目の若者たちと違い、アーガントリウスは相変わらず完璧なヒト姿を好んでいた。彼は愛用の椅子の中から、胡乱げに弟子たちを見上げる。


「いやいや早すぎでしょ。まだ、たった100年――」

「もう100年だ! 竜の感覚でだって長いぞ、師匠」

「そうだぜ、師匠。そろそろ俺たちも、でかい舞台に上がってもいいだろ」


 はしゃぐ若者たちは互いに熱っぽい視線を交わしたが、反して師である大魔法使いの表情は冷めていく。


「……やっぱ、そうなるわけね」


 フィールーンは書簡を握る彼の手がわずかに震えていることに気づき、空色の瞳を歪ませた。


「好きに……すれば。あの城には、お前たちが大好きな“歴史的資料”が多くあるし」

「師匠も行かないか!? 若い頃、住んでいたんだろう?」

「……俺っちは、いい。もう知ってる奴もいないだろうしね」


 褐色の長い指が、さっと小さな指輪に飛ぶ。

 すっかり褪せてしまった緑色の宝石は、近年ではあの調子っ外れな声を響かせることもなくなっていた。


「そうか、残念だ。けどあたしたちは行くぞ。もう荷もまとめてあるんだ」

「心配すんなって。ゴブリュードなんて、飛べばすぐだろ。結婚式には来いよな」

「なっ……なな、なにを気の早い話をしてるんだ、テオ!?」

「認めたな、ルナ? そりゃ可能性があるってことを示したも同然だぞ」

「バカ竜っ! 早く荷物を詰めろ!」


 賑やかなやりとりをしつつ退室していく弟子たちを見送り、アーガントリウスはひとりため息を落とす。


「あいつらでもう……最後にしよ」


 透けた王女だけが、丸くなったその背中に静かに手を添えた。





 最後の弟子たちが巣立ったあと、アーガントリウスはふたたび世界放浪の旅へと出向いた。


「え……あなたが大魔法使い、アーガントリウス? 冗談でしょう! 歴史上の存在ですよ。それに、彼は巨大な竜です」

「あ、バレたか。まあ生きてりゃもう750歳だし、こんな美中年ナイスミドルなワケないよねー」


 小さな町のとある酒場、煙舞う室内の隅。

 気が合った男と札遊びに興じていたアーガントリウスは、どこか乾いた笑い声を上げた。


『もうそんなに、時が……』


 その隣席に佇むフィールーンは、誰にも聞こえない呟きを落とす。

 アーガントリウスの見た目は相変わらずの若々しさだったが、ひとり旅に戻ってからは少し老け込んだようにも感じられた。


 町長であるという丸顔の男は、人の良さそうな笑顔を浮かべて言う。


「勝負に負けたくないからって、変な冗談はやめてくださいよ。その話が本当なら、あなたはこの町――いや、“村”だった頃の救世主さまです」

「ああ……うん。“大毒蛇ヒュドル団子”の話ね」

「そうそう! なんでもご先祖さまの手記には、天から降りてきた“猛き竜”が、村の水源を汚した魔獣を――」


 町長が嬉々として語る“救世主”の伝説には、見事な装飾がついている。苦笑して相槌を打つアーガントリウスだが、彼の顔に浮かぶのは嬉しさや感慨深さの類ではなかった。


 長きに渡って知恵竜を観察してきたフィールーンは、鈍く痛む胸を押さえる。


『アーガントリウス様……』


 あまりにも多くの出会いと別れを繰り返した彼は次第に、世の中の喧騒から一線を引くようになっていた。


 立ち寄る街では決して深入りせず、世間話や買い出し程度に止める。女遊びも昔ほど目立たなくなり、よほどの深刻さを感じない限りは人助けにも乗り出さなくなった。


「……とまあ、こんな感じの伝説なんですよ。今でも毎年同じ季節に、感謝祭を行うんです。ぶつ切りになった“大毒蛇”を模した大からくりが練り歩く様は、必見ですよ!」

「ふーん。ま、気が向いたら見に来るわ」

「おや、もう発たれるので?」


 よっこらしょという掛け声と共に椅子を引いたアーガントリウスに、町長は残念そうな顔を向ける。


「まあね。コーレルの町へは、東の道だったよね?」

「そうですが……そちらへ向かうのでしたら、明日の周遊馬車を待ったほうがいいですよ」


 急に声をひそめた男に、アーガントリウスもフィールーンも怪訝そうな顔で振り返る。彼は近くの席に住人がいないことを確認し、さらに声を絞って続けた。


「どうにも最近、不審者がうろついておりまして……。馬車の本数を増やしたところなんです」

「どんな奴?」


 酔いが吹き飛んだらしい町長は、旅人の問いにぎこちなくうなずく。


「黒いローブ姿の男で、いきなり襲いかかって来るのだとか。それも老若男女はおろか、身分にも関係なくです。物盗りでないのはたしかですね」

「そりゃ物騒だねえ……」

「ええ、本当にまいります」


 アーガントリウスの言葉に同意し、町長は額に吹き出した汗を腕で拭った。彼はこの件をしばし忘れたいがためにこの酒場を訪れたのではないか、とフィールーンは推し量る。


「まだ殺された者はおりませんが、少し腕に覚えがある者などはひどく痛めつけられました。相当な使い手のようです」

「武者修行にしちゃ、手荒すぎるな」


 顎に手を遣りつつも涼しげな顔をしているアーガントリウスを見上げ、町長は心配そうに言い添える。


「あなたさまは、旅慣れているようですが……。万が一遭遇しても、一戦交えようなどと気を張らないで下さいね」

「まさか! 俺っちはひ弱な魔法使いよ? すぐ逃げるわ」

「どうかそうなさってください。“救世主”と同じ名を戴いた方に、無残な結末は似合いませんから」


 そう話を締めた町長は、窓辺で月光を浴びる小さな置物に向き直った。町のあらゆる場所に設置されたそれは、大蛇を咥える雄々しい巨竜を模したものである。


 真剣な顔で太い手を合わせ、町長は呟いた。



「アーガントリウス様……。どうかこの者の旅路に、竜の加護をお与えください」


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